・17・『鎮まれ!』
――魔王城・図書館にて。
殺気をまとい、自身に向けられた何らかの魔力が出現した方向を睨みすえる男と、影蟲の女王・リベラとの間は、およそ20mほどだろうか。
本棚の上段にとまっていたリベラは不意に飛び上がり、地面へと降り立った。
と、その姿は地面の影に沈み、次の瞬間――大量の黒い霧が噴き出した。
否、100万を超える小蟲が群れをなして影から出現し、それは一つの形を作る。
立ち上がった人型になった霧はやがて周囲の影に溶け、その後には栗色の長い髪を三つ編みにし、薄茶色のマントをまとった人物が一人。
その顔は妖精界にいたはずのロベリアとそっくり同じものである。
「・・・・・・貴様、何者だ?」
低く、容姿にそぐわない滑らかな声で、男はその人物に問いかけた。
「・・・・・・・・・・・・」
しかし、何者かは沈黙を返す。
突然現れたこの人物、それはロベリア本人である。
なぜ妖精界にいたはずの彼女が魔界の、それも最も北にある王城の図書館にいるのであろうか。
それは、彼女の使い魔・影蟲の生態を利用した特殊な移動手段によるものである。
影蟲は影に棲み、影が存在する場所ならばどこへでも移動することが可能だ。
たとえば、この閃光蛍の魔族を探すために魔界の隅から隅まで広がったり、妖精界にいるロベリアの影を伝って彼女に連絡したりなど。
しかし、本来は妖精界にのみ生息する矮小な魔蟲である。
他の世界から世界へなど、移動できるわけがない。
それをここまで可能にしているのは、主人であるロベリアの高い魔力のおかげである。
そして、ロベリアは自分の膨大な魔力によって拡大された影移動の範囲を利用して、ロベリア自身も影蟲を利用して影移動できるようにしたのである。
最も、これには大量の魔力を消費してしまうし、反則的すぎて基本的に精霊王に禁止されている。
それゆえ、普段のロベリアはちゃんと世界の”摂理”をわざわざぶち破って他の領域へ出かけているのだ。
しかし、今回は緊急事態である。
後で精霊王に報告は必要であろうが、きっとあの魔族に対応するため、と言えば許してもらえそうな気がする・・・。
などと、ロベリアは影移動した後でそう頭の片隅で考えつつ、その思考のほとんどは視線の先の魔族で占められていた。
不意打ちでの拘束の魔術は避けられてしまった。
彼女の魔族としての力だけでは、1000年超えの魔族と対等に戦うことは難しい。
ロベリアが彼の魔族に魔術を放つのは、ひとえに魔族には魔術に対抗する手段がないからである。
しかしそれも気づかれるとなれば、他にとれる手段は少ない。
黙ってこの窮地をどう脱するか思考するロベリアに、閃光蛍の男はその身にまとう殺気をぐわり、と膨らませる。
(ひぃぃぃ・・・!)
あまりにも巨大な気配に、ロベリアは内心で悲鳴をあげた。
背中に気持ちの悪い汗の流れを感じる。
と、自身の足元に急速に魔力の集まりを感じて、ロベリアは戦慄した。
(――――っマジか!!! ちょ、待てよ!)
思わず有名なセリフを脳裏に浮かべつつ、ロベリアは反射的に言ってしまった。
『鎮まれ!』
「・・・・・・っ! 何だと!?」
シュワン・・・と魔力の分散する幻音が聞こえ、男は信じられないというように炎のような橙の目を見張った。
今、ロベリアは発現されそうになった男の攻撃を相殺・鎮火した。
彼の魔族は閃光蛍の血を引くからして、炎系の力を持っているはずである。
その力の発現は、よく知る炎竜の魔族のように、往々にして炎や溶岩の形をとる。
しかし、彼女たちが現在いるのは大量の書物がある図書館。
火の気がたてば、どうなるかは明白である。
氷竜の血を引くロベリアの氷で対抗することも可能であったろうが、あまりに突然だったため、ロベリアは言霊を使ってしまった。
声に魔力を込め、発言した言葉通りの現象を起こす、精霊族の力である。
「貴様ぁ・・・その姿、まさか魔族ならざる者ではあるまいな?」
訝しげな表情で問うてくる魔族。
禁止されている言霊をとっさに使用してしまった事でひどく動揺していたロベリアだが、その言葉にハッとある事に気づく。
(そっか!私今妖精族に見えてるんだった!)
幻覚の魔術のかかった薄茶色のマントのおかげで、ロベリアの魔族の姿はあの男には見えていない。
つまり、ロベリアの正体はばれていない。
ここまでで魔族としての攻撃をしていないことから考えても、閃光蛍の魔族にロベリアが魔界でも二つ名のつく魔族ということは気がつかれていないはずだ。
彼の魔族からすれば、前回の出来事も、今も、何か不詳の存在からの攻撃だと思われているはずである。
一度言霊を使ってしまったことと、正体がばれていないことに気がつき、ロベリアは心が決まった。
『警戒を解け。私とお前は同士であろう?』
「――っ! あ、あぁ、そうだったな・・・」
ロベリアが親しげにそう言うと、とたんに男は呆然とした表情になって殺気をしまった。
『私とお前は、魔王サマを再誕させる事を目的とした同士だ。そうであったな?』
「あぁ、そうだ」
『【半身の書】は私が所有する事にお前は同意したな?それに、お前は儀式のための犠牲になる事も了承した。そうであろう?』
「もちろんだ。【半身の書】は貴様が持っているし、私は魔王様のためにこの身を捧げると決めたのだ!なんと光栄な事かっ!」
ロベリアが言霊で語りかけると、男は先程までの剣幕もなかったかのように笑顔を浮かべて、ロベリアの話す内容を当然のように肯定する。
まるで十年来の友人のように会話し、さらに儀式の生贄になることでさえ、自分の意思のように疑いもしない。
これが言霊の為す力である。
精霊族なら生まれ着いての能力のためと、それを悪用するような思考をそもそもしないために危険性など皆無であるが、それを好戦的で弱肉強食を地で行う魔族、それも他の世界に出て行くような妖精族並みの好奇心を持つロベリアが使えてしまうとなれば。
ロベリアは魔族としては非・好戦的であり、もちろん言霊を悪用するつもりなどないが、その危険性はあまりに大きく、現にこの閃光蛍の魔族にしたように洗脳すら容易に行えてしまうため、基本的に精霊王によってロベリアは言霊の使用は禁止されていた。
しかし、今回その精霊王によってこの男の犠牲にせよ、という命令は出ていた上、手段も選ばずとも良いという事も考えて、ロベリアは言霊を大盤振る舞いすることにした。
(・・・正直、自分で使っててもチートすぎるって思うよねー・・・。てか、自分がされたら超怖い)
思わず遠い目になりながらも、彼女は洗脳を続行する。
『まだ儀式の準備は終わっておらぬ。それまでは荒らしたこの場所を整えておくといい』
「あぁ、了解した」
『それと、お前にこの影蟲を一匹つける。これで連絡する故、それを待て』
「うむ。有難い」
頷いた男に向かって、ロベリアは影蟲を一匹飛ばす。
これによって公然と男の行動を見張り、把握することができる。
『では、私は行くが・・・書物は繊細に扱え』
「あぁ」
指示を終えて、また影蟲に影移動するように言おうとしたロベリアは、ふと動きを止めて、未だにこの男の名前を知らない事に気づく。
そんな自分に思わずため息が出るが、いそいそと床の書物を拾い始めた背中に問いかける。
『・・・そういえば、お前の名はなんと言うのだったか?』
男は顔だけロベリアに向け、おどけるように肩眉を上げた。
「なんだ同士よ、ボケておるのか? 閃光蛍の魔族が一人、『静寂の火花』ことホーンレスタよ」
朗々と口上のごとくそう言って、彼の魔族――ホーンレスタはまた作業を再開する。
(ふーん・・・。ホーンレスタさんねー・・・)
心中で確かめるように復唱して、ロベリアは影の中に溶け込んだ。
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