・10・「あ・・・あぅ・・・えぇ!?」
『――――ふうん』
深緑の瞳を伏せた青年――精霊王は、ロベリアの報告を聞き終えると、ただ息を吐いたような、そんな声を出した。
永く生きる精霊王に年齢も姿も枷はなく、少年の姿も青年の姿も、同様に精霊王であることに違いはない。
頻繁に見かけが変化する精霊王に慣れていたロベリアもそれを指摘することはないが、それでも唐突に全然違う姿になると少々驚いてしまったりする。
もう満身創痍(心理的に)なロベリアは、淡白な精霊王の反応に、内心びくびくしながら沙汰を待った。
『ロベリア、なぜ私が【半身の書】を禁書とし、儀式を秘匿しなければいけないとしたのか、言ってごらん?』
ちらり、とロベリアに視線を流し、精霊王は優しく命じる。
「はいっ。えっと、それは、儀式には数種類の血と心臓が必要で、かつ、多量の魔力を用意するために毎度悲惨な犠牲が出されたからと、”王”がいなくても魔界が存続することと、あらたに犠牲者を出さないため・・・です」
『うん。よくできました』
たどたどしく答えたロベリアに、精霊王はにっこりと微笑む。
(ひぃぃぃ・・・わたし、大丈夫かなぁ・・・)
その笑みに寒気を感じたロベリアは、思わず自分の腕をさする。
飄々として、淡白なように見える精霊王が、その見かけとは違い、それなりに冷酷でひねくれている事を彼女は知っている。
あんなに美しく自愛に満ちて見える笑顔のときは、決まってろくでもないか、大変な目に会うことは経験済みだ。
もっとも、たいていはロベリアの自業自得なのだが。
『それで、その危険で血の流れる儀式を君が悪用しないと信じたからこそ、私は君に知る許可を与えた。――そうだね、ロベリア?』
「はい・・・」
『それなのに、なんとも運の悪い事にそれを魔王を復活させたいと望む魔族に見られてしまうなんて・・・』
いかにも心底嘆かわしい、といったように頭を振る精霊王。
その姿がわずかにかすみ、次の瞬間には、ひどく老成した、ヒゲと髪を腰まで伸ばし皮膚のところどころにしわが刻まれた老人に変化した。
それに伴って、声質も枯れ木のようにかすれた、しかし不思議に耳に響くものに変わる。
腰を上げた精霊王は、空中をゆったりと歩きながらロベリアの元に降りてくる。
「本当に、申し訳ありません・・・」
『あぁ、そうだねぇロベリア。これは謝罪と反省が必要だけど、それでは済まされないと君も分かっているだろう』
齢をかさねて背が縮んだのか、同じ目線で冷たい深緑の瞳がロベリアの氷色の瞳を射抜く。
「・・・はい」
目をそらすことは許されず、弱弱しくロベリアは自身の非を肯定した。
見られたのはわずかな時間とはいえ、そもそも存在自体を知られてはいけないものであったし、あの閃光蛍の魔族は知ってしまったからには、どんな手を使っても魔王を復活させようとするに違いない。
なにせ、あの男は1000年かけた、などと言っていたのである。
精霊王は、この儀式によって血が流される事を危惧していたのに、そのきっかけの可能性を作ってしまったからには、ロベリアにはそれを防ぐ義務が生じるのだ。
悄然としたロベリアの様子に、精霊王はしばし黙り、ふ、と表情を緩める。
『ロベリア、君がとても後悔している事は分かった。それならば、私からの罰も忠実に行ってくれるね?』
無言で彼女が頷くと、精霊王は穏やかな笑みで、なんでもない事のように言った。
『その魔族を使って、魔王を復活させなさい』
「・・・・・・・・・・・・へ?」
思わずさきほどまでの殊勝な態度も忘れ、間抜けに目を丸くするロベリア。
予想通りの反応に、精霊王はニヤニヤと悪そうな笑みを深める。
精霊王が言った「魔族を使う」とは、つまりあの男を生贄にしろ、という事である。
このような部分を垣間見せるがゆえに、ロベリアは彼の柔和な印象を信用しないことに決めている。
流血を禁忌とし、殺生を厭う精霊族の祖であるからして、精霊王もその気質を持っている。
しかし、戦闘本能と弱肉強食を地で行く魔族の祖も、この精霊王の子孫なのだ。
冷酷さ、非常さ、嗜虐的で合理的。
ロベリアは儀式の内容を思い返し、その意味を正確に理解する。
秘密を知った魔族を生贄にして魔王を復活させる事で、口を封じすると同時に魔王も復活させて、儀式を行う必要性をなくせ。
要はそういう事であった。
「あ・・・あぅ・・・えぇ!?」
混乱して意味不明なうめき声がもれる。
否、「罰」の意味は理解したのだ。
あの魔族を始末しなけらばいけないことはロベリアの好む事ではないし、魔王を復活させるというのはとんでもない重要な事である。
しかし、とある事がひっかかり、素直に頷けない。
『おや? 何か不服でもあるのかい?』
精霊王は顎ヒゲをなでながら、意外そうに問う。
それに慌てて首を横に振ったものの、ロベリアはおずおずと疑問を口にした。
「あのー・・・再誕させるのはいいんですけど・・・その、半身は誰にするんですかね・・・?」
『半身?』
予想もしない事を聞かれた、というように首を傾げた精霊王の姿がまたもかすむ。
と、するすると頭が下に下がっていく。
つられて視線を下に動かしたロベリアが見たのは、およそ5、6歳ほどの、若葉色の髪をはねさせた男の子だった。
今度は幼児になったらしい。
精霊王はロベリアを見上げると、にぱっと無邪気な笑顔を見せる。
『そんなの、ロベリアに決まってるでしょお?』
幼い子供らしい舌足らずな言葉に、ロベリアはやっぱり!?と思うとともに、さっきよりも激しく首を振る。
半身とは、魔王復活の際に儀式を行使する者であり、言葉通りに魔王と魂を共有する事となる、魔王の『片割れ』の事。
双子であった魔王を再誕させるために魔族が創り出した、命をかけた儀式の要。
「む、無理無理無理です、精霊王サマ! ってかわたしじゃダメですって!その、他にもっと――」
『ロベリア』
必死に言い募ろうといたロベリアを、きっぱりと遮った幼い声。
はっと息を呑んだ彼女を見上げる深緑の目は、恐ろしいほどに無感情で透明。
『これは精霊王たる私が命じる罰だ。君に拒否権はない』
ぐっと口をつぐみ、ロベリアは小さき”王”に跪いた。
「精霊王サマの仰せの通りに。・・・・・・・・・・・・頑張ります」
『うん。君の行く道に幸ありますように』
精霊王の祝福に、ロベリアは小さくため息をついた。
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