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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
終章
54/56

3

「やっぱり、すごいですね。兄さん」

「そうだね。完成作品を見ることが出来て、本当に良かったよ」


 数時間待ちで、人に押されて、流されて、やっとたどり着いた大神殿の「祈りの間」。

 ハルアの傑作「暁の女王イラーナ」は、やはり涙腺を刺激されるほどに、壮大で綺麗だった。

 ユラとトワ同様、絵を見上げ、ほうっと嘆息を漏らす鑑賞者が後を絶たなかった。


(それにしても、凄い人。心配しなくとも、人嫌いのハルア様は、ここにはいないでしょうし……)


 絵画を見るために、入場規制が敷かれているほどだ。

 ユラとトワもとてもではないが、長居できない。

 一定時間を越えた途端、係員の指示で壁画からどんどん遠ざけられていってしまった。


「大盛況だねえ……」

「さすが芸術家「ハルア」様ですね」


 きっと、これからも彼の名声は上がり続けるだろう。

 もう既に高名にはなっているが、これから先、歴史に残る芸術家になるに違いない。

 いつか……。


(何十年、何百年したら、こっそり一人で見に来よう……)


 その頃には、大神殿ももう少し見やすくなっていることだろう。

 感傷に浸ることくらいは出来るはずだ。

 ………………と。


「きゃああああ!」


 けたたましい叫声にユラは、とっさに耳を押さえた。

 何ごとかと思って、体に力を入れたら、なんてことはなかった。

 命の危険があっての叫びではなかったらしい。


「今、ルフィア王子が到着されたんですって!」

「すごーい!? 何処にいるの?」


 どうやら、ユラが初めてハルアと出会った日と同じ、ハルア目当てにやって来た女性の悲鳴のようだった。



「そうよね……」


 いくら人嫌いとはいえ、国を挙げた式典に王子が来ない訳にもいかない。


(もしかしたら、ハルア様に頼まれて、ラトナ様が来ているのかもしれないわね……)


 人々が大波のごとく、壁画の前から大移動していく。

 当然、ユラはその流れを避けるように歩いていたのだが…………。

 …………しかし、ユラは何かひっかかるものを感じていた。


「あれ、ルフィア王子……って?」


 ハルアは自らがルフィア王子であることを知らせていないはずだ。

 芸術家のハルアならともかく、偽物のルフィア王子を用意することなど出来るのだろうか? 


「あら、貴方知らないの?」


 隣にいた若い女性が興奮気味に話してくれた。


「芸術家ハルアは、第二王子のルフィア様だったのよー! 最近、第一王子が倒れられたでしょう。それで、第一王子の公務兼任の発表の席で公表されたの!」

「…………そう……なんだ」


(ハルア様、とうとう……)


 王子であることを、国民に公表したのだ。


 あの乱闘の際、イシャナは派手に立ち回った割には無傷だったはずだが、しかし、心の傷か、それとも、王の意思が働いてるのか、表舞台から姿を消しているらしい。

 退いたイシャナの代わりに、ハルアが王子として、動くことになった。

 それが事実であれば…………。

 ユラの心臓がとくんと跳ねた。



(どうしよう? やっぱり、本物が来ているってこと?)


「…………おっとと」


 動揺の余り立ち位置を間違えてしまったユラは、大量の人に廊下の方まで押しやられてしまった。

 これでは、完全に迷子だ。

 トワは何処にいるのか?


「……ルフィア王子よ!」

「凄い! 素敵だわー!」



 とうとう、大衆が密集して身動きの取れない場所に、ユラははまりこんでしまった。


(勘弁してよ…………)


 ユラは眼鏡をずらしながら、前の人の横から顔を出して周囲の様子を窺った。

 廊下の先には、広大な中庭があった。

 騒ぎの場所はここであるらしい。

 大神殿完成の祝いの宴が、そこで催されているようだった。

 王族と高貴な神官たちが広大な中庭で、酒を酌み交わしている姿が視界に入る。

 ユラが一度だけ会ったことのあるイラーナ国王も臨席していた。

 国民はそれを遠巻きに眺めながら、歓声を上げたり、激しく手を振っていたりした。

 平和なイラーナでなければ出来ない式典のやり方だ。

 無論、国民は立ち入ることが出来ないよう、兵士が厳重に取り囲んでいるが……。


「…………あっ」


 しかし、ユラは見てしまった。

 警備兵の肩越しに、小さく見えたハルアの姿を……。

 最初、美術館で会った時、ラトナを囮に使ってまで、人を避けていた彼は、今、漆黒の礼服に身を包み、典雅な笑みを湛え、堂々と場の中心でグラスを傾けている。

 いつも緩く結んだままの髪は、今日はしっかりと束ねられていた。

 気品に満ちた堂々たる完璧な王子様だ。

 やはり、彼には華やかな世界が似合っているようだ。


(これで良かったんだ……)


 改めて、手の届かない存在だと吹っ切ることができた。

 彼はイラーナ国の第二王子。ユラが小さい頃、夢に見た平和な国の王子様だ。

 ……夢は、夢だからいいのだ。

 もし、人間としてユラが生きていたら、それこそ、ハルアと出会うことはなかったはずだ。


(きっとハルア様に出会えただけでも、私にとって奇跡だったのね…………)


 ユラは口元に笑みを乗せて、自分を追ってきたトワを明るくうながした。


「さっ、帰りましょうか。兄さん。私、とても満足しましたから」

「ユラ……」


 トワは何か言いたそうに、しばらくユラと見つめ合っていたが、少ししてから、大きくうなずいた。


「分かったよ。ここは混んでるし、早く帰ろう。さっきここの近道を聞いたんだ。僕についてきて」

「はい、兄さん」


 ユラはトワの手を強く握った。

 顔が熱くなった。

 何だか、そわそわして落ち着かない。

 ここには、ハルアがいる。

 もしかしたら、人ごみの中でも、見つけられてしまうかもしれない。


(……そんなはずあるわけないのに、それを気にしてしまう自分がイヤだわ)


「ユラ、はぐれないようにね。ちゃんと案内してあげるから」

「お願いします。一刻も早く帰りたいんです」

「分かった。お前の期待に添えるよう、頑張るよ」

「ごめんなさい。兄さん」


 神殿の構造をユラは知らないから、トワしか頼れる人がいない。

 早く、ここから逃げ出したかった。


(早く早く……)


 心臓がどきどきして、気持ち悪い。

 一体、自分は何を望んでいるのか。

 会いたくないと思いながら、何を期待しているのか…………。


「…………子供の時以来ですよね。こんなふうに兄さんと歩くのは」


 ユラはおかしな自分を振り払うべく、平生を装ってトワに声を掛けた。

 そんなユラの心情を知ってか知らずか、トワがくすりと笑う。


「そうだよね。昔、砂漠を越えようとした時以来じゃないかな?」

「あのときは、本当に死ぬかと思いました」

「お互いにね。最後に空を飛ぶ青い鳥を見たいって、ユラが言ったんだよね。覚えてる?」

「……ええ、とってもよく、覚えています」


 ――幸運を運ぶ青い鳥。


 一度も本物を見ることはないだろうから、絵の中に探していた。

 ハルアの絵に出てくる鳥が理想だった。

 あの鳥を忘れたくなくて、絵に描いたら、ハルアにブタと言われてしまったのだが……。


 ――ひどい話だ。

 だけど、今は、良い思い出になったような気がする。


「あと少しだよ。ユラ」

「お任せします」


 トワと並んで暗がりの廊下を歩く。

 色々と心配をかけた分、トワには孝行したい。


(ここを出たら、兄さんの行きたい所に寄ってから、帰ろうかしら?)


 ようやく、そんなことを考える余裕が生まれてきた。 

 ずいぶん中庭から遠ざかったような気がする。

 通行人がまばらになって、歩きやすいことにユラも気が付いていた。

 それから、しばらく歩いていると、ついに誰も人がいなくなっていた。


「すごい。兄さん、この神殿にこんな近道があったんですね?」


 関係者の通行路なのか?

 入場する時も使えたら良かったが、多分、作品を見るためには列に並ぶ必要があったのだろう。


「あっ、そうだ。兄さん、ここを出たら何か……て? ………………あれ?」


 ――トワがいない。 


「兄さん? ……何処ですか?」


 今の今まで、手を繋いでいたはずなのに……。

 正面の道は行き止まりのようなので、右手に続く道しか順路がない。


「……あのー、トワ兄さん。何処にいるんですか?」


 近くにはいるはずだ。

 ゆっくりと足を踏み出して行けば、そこは通路ではなく、大きな部屋だった。

 部屋の中央に、画架に立てかけたままの絵が一枚だけ陣取っている。

 廊下より明るいのは、四方が青に着色されたガラス窓に囲まれているせいだろう。


「…………あっ」


 部屋の中央まで足を踏み入れて、ようやくユラはトワに仕組まれていたことを悟った。

 絵に描かれているのは、赤髪のおさげ頭の少女の後ろ姿。


(…………私?)


 少女は、空を仰いでいた。

 そこには幸運の象徴、青い鳥が一羽、優雅に飛んでいる。


 ――青空と鳥。


 彼女の立っている緑の大地と空の対比が美しく、壮大なのに、温かみのある絵だった。こんな絵を描くことの出来る人は、たった一人しかいない。

 ふわっと差し込んできた淡い影に、人の気配を察して振り返った。

 そこには、よく見知った灰色の髪の青年がいた。


「その絵、ユラちゃんにって……。ハルアから」

「ラトナ様っ!!」


 おどけたその声がひどく懐かしい。

 イシャナと会った時と同じ、仰々しい正装をきっちりと着込んだラトナは、にっこり笑うと、軽く手を振ってくれた。


「酷いな。僕の見舞いにも来ないで、帰っちゃうなんて。せめて一言、あっても良いよね」


 出来れば会いたくなかった……なんて言えない。

 ユラは慌てて笑顔を作った。


「その節はすいません。傷は治りましたか? フィンにも、謝罪するよう言ってはあるのですが……?」

「あははっ。傷はもう平気だよ。気にしないで。それに、フィンってさ、本来は猫なんでしょ? 猫の姿で謝罪されても可笑しいからね」


 よほど、猫の謝罪が面白かったのだろう。

 ラトナは、目尻に涙を浮かべて大笑している。

 その笑声に、導かれるように、獣耳の少年がぱたぱたと走ってきた。


「ああっ! ユラさんっ!」

「ロカ君!?」


 相変わらず、頭に白いターバンを巻いていたが、今日はよそ行き用なのか、中心に深緑色の宝石が輝いていた。

 貴族然とした装いは、別れた頃より彼の雰囲気を凛々しく見せている。


「しばらく見ないうちに、大人っぽくなりましたね?」

「そんなことありませんよ。俺なんか、まだまだ子供で。ラトナ様から、ユラさんがもうここに来ないって聞いた時は、どうして自分には何もできなかったんだろうって、悔しくなりましたから」

「……ごめんなさい。色々と黙っていて」

「特使として集落に来てくれたトワさんからも、モーリス様からも、ユラさんのこと、色々と聞いていますが、でもやっぱり、俺、直にお話ししたいです。あちらの世界のこと色々と知りたいし、ユラさんに、お茶の淹れ方も教えてあげたいって思っていたから……」

「…………ロカ君」


 ラトナが激しく咳払いをすると、ロカは思い出したかのように懐に手を入れた。


「あっ、そうでした。ハルア様から預かっていたんです。これを、ユラさんにって」


 ロカが取り出したのは、卵型の木箱だった。

 透かし彫りのいかにも手の込んだ箱を、つい勢いで受け取ってしまったユラは、餌付けされているような、複雑な心境で箱を開いた。


(一体、何なのよ……)


 複雑な気持ちで開けた箱の中には、新品の眼鏡が入っていた。


「これは……もしかしなくても、ハルア様が?」

「はい。さすがに、レンズまでは作れなかったそうですが、フレームの加工はハルア様がされたそうですよ。瞳の色って隠すの大変そうですものね。ハルア様も苦心されたそうです。俺も耳隠すのに、ターバンが蒸れるから、ハルア様、作ってくれないかな……?」


 ぺらぺらと日常会話に突入していくロカを前に、ユラは困り果てていた。


(何でまた? あの人は……一体、どういうつもりなのよ?)


 ハルアが何を考えているのか分からない。

 品物は素晴らしい。

 軽い割に、装飾にこだわった格好いい眼鏡だ。

 レンズは薄く、掛けてみると視界も綺麗に見えるのに、外側からは内側の色が分からないように工夫が施されている。

 一体、どうやって作ったのか……。


(いやいや……)


 興味を持ってどうするのだろう。

 そもそも、こんな大層な代物まで貰ってしまったら、ユラは困ってしまうのだ。

 本人は中庭で宴会中のようだし、何とかうまくこの場から去ってしまいたい。

 トワはどこに行ったのか?


(だって、私…………)


「………………もう人間界に来ることなんて、ほとんどないのに……こんな」


 苛立ちを込めて、ぽつりと呟いた。

 それは返事を待たない、独り言だったはずだ。


 …………けれど。



「そんなこと、言わないで下さい」


 ぴしゃりと、その人は返してきた。

 唐突に部屋の前から飛んできた声に、ユラは跳ねあがって、数歩後退する。


「どうして?」


 懐かしいのか、怖いのか……。

 愛おしいのか、逃げたいのか……。


「ハルア様…………」


 ユラの心をか乱す犯人が、悠然とユラの背後に立っていた。

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