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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
終章
53/56

2

「ああ、酷いっ! あの一件から腰が痛くて仕方ないのに、労いの品、一つないわけ?」

「けっ。大体、鳥女は、体が重くなりすぎて、飛んでると体に負担がかかるんだろう?」

「何よ! 人型になるのが数時間やっとの猫に、私の体重のことを言われたくないわ!」

「お前たちは、気楽だな。私はエンラ様に、昔の悪行を知られていたということを知ってしまった恐怖で、夜も眠れないのに!」

「てめえはなあ、三千年以上生きているくせに、いつまでも、うじうじ気持ち悪いんだよ!」

「………………ほほほほうっ。今日も、元気じゃのう?」 

「……はははっ。はいはい、そうですね」


 大変賑やかな議場で、素晴らしいことだ。

 暗い照明の下で、大猫と羽を生やした娘と、角の生えた男が立ちあがって、いがみあっている光景なんて、期待したって鉢合わせすることがないだろう。 


(そうなのよね……)


 これが本来の彼らなのだ。

 ユラが意を決して行った「元人間宣言」も、ラトナとハルアを傷つけた償いも、すべて過去の物は、忘却し、毎日喧嘩を繰り返すだけの関係……。

 最近、ようやくユラにも分かった。

 真面目な顔をして、円卓を囲んでいたのは、本当の彼らではない。

 ユラと同じく彼らも猫を被っていたのだ。


(猫が、猫被りねえ……)


 三白眼で彼らの喜劇のような喧嘩を見守っていたユラは、隣のサクヤが自分を凝視していることに、遅まきながら気が付いた。


「何ですか?」

「お前さん、エンラからわしのことは聞いたのかね?」

「ああ、聞いちゃいませんけど、どうせ、貴方と父様が結託した部分もあるのでしょう?」


 サクヤがいちいち、ユラに助言を与えたのは、エンラと打ち合わせしていた部分もあるだろう。ユラの気持ちを逆手にとって、あえてモーリスを扇動したのも、サクヤが裏で動いたせいだった。


 ――自分以外の八連衆は、エンラを尊崇していた。


 あの言葉は、今にして思えば、彼なりの最大限の助言だった。


 ――エンラのもとにいた八連衆は、絶対にエンラを裏切らない。


 その後継者のユラも本当に、エンラの血を継いでいると確信が持てたのなら、裏切るはずがない……のだ。


「雨降って地固まるじゃ。お前さんは若いからの。譲れないものが沢山あるんじゃろうが、肩の力は抜いて、適当にの。力ばかり大きな赤子が道を踏み外すと、大変なことになる」

「……意味がさっぱり分かりません。年を取ると言葉も不自由になるのでしょうか?」

「ほほっ。言葉の裏は読めんようじゃが、だいぶ、素が出るようになったの。それで良い」


(素? これが?)  


 これでも、ユラは結構、我慢している。

 こんな不毛な定例会を聞いているのは、時間の無駄ではないか……。


(早めに切り上げよう……)


 何とかお茶一杯を飲みきるまで耐えて、ユラは強制的に定例会を終了に持っていくと、議場を後にした。

 最近のユラは、目が回るほど忙しいのだ。

 エンラから引き継いだ領地を巡回することはさることながら、田畑を耕している天虚に協力してみたり、対立する領民の各々の主張を聞いて、折り合いをつけてみたり……。

 今まで、エンラ直属の家臣がこなしていた仕事も、目を通したりしている。

 寝る間も惜しんで仕事をするというのは、こういうことなのかと、いつも締切りに追われていたハルアと、話したい気持ちにも駆られていた。


(……いや、それは、いけないことだから)


 彼のことを思いださないように、ユラは、わざと予定を詰め込んでいるのだ。それでは意味がないだろう。


「ユラ様……」

「ああ、マサキ。これを口に入れたら、巡回に出ますから、着物はこのままで良いですよ」


 自室に戻ってすぐ、人間界の林檎のように真っ赤な果物を齧りながら、近隣の田畑の取れ高に関する資料を読み込んでいると、マサキが、すっとその資料を持って懐に隠した。


「あのー……。マサキ、私、それ、見ていたんですけど?」

「……ユラ様! 私の目をちゃんと見て言って下さい。最近、ちゃんと寝ていますか?」

「ええ。もちろん、寝ていますよ。私は雷帝ですからね。少し寝れば、足りてしまうみたいなんです」

「馬鹿な。そんなことあるはずないじゃないですか。以前は、一日寝ててもまだ足りないってぼやいていたでしょうに? 目の下の隈が決定的ですよ」

「そんなことありません。目の下に隈なんてありませんし、私は健康そのものですから!」


 かっとなって言い返したら、マサキがあからさまに唇を尖らせていた。


「絶対、無理をしています」


 断言されてしまった。

 さて、どうしよう。

 休めと言われても、ユラには何もすることがないのだ。

 昔は美術鑑賞をするのが趣味だった。 


 ……でも、今はは芸術品を見たところで、胸が痛くなるだけだ。


 眠ることすら、怖くなってしまったのだから、どうして良いのか分からない。


(ひとまず、マサキを説得しないと……)


 ただ仕事をしたいと言っているだけなのに、つくづく面倒臭い。

 どうやって言い繕うべきか頭を悩ませていると……。


「ユラっー!!」


 二人の間の微妙な沈黙を吹き飛ばすかのように、部屋いっぱいに陽気な声がこだました。


「兄さんっ!?」

「そうだよ! ユラ!!」


 跳ねるように部屋に乱入してきたトワは、ユラとマサキに漂っていた緊張感を見事に破壊して、満面の笑みと共に、ユラの真ん前に立った。


「おはようございます。兄さん。調子はどうですか?」

「あのさ、寝ぼけないでね。ユラ。今、夕方だからね。調子が良いからこそ、僕はお前に頼まれた通り、今まで人間界に行っていたんじゃないか?」

「ああ、そうでした……ね」


 ユラは当分イラーナに行く気はない。

 だから、元気になったトワに、ロカの家庭のことを頼んだのだ。人間界でこのまま生活を送るか、天境界に来て一から出直すか……。

 ハルアにばれないよう、ロカの実家に行くようお願いしていたのだが……。


「ロカ君とリエル君、それに、獣耳の皆さんの様子は、どうでした?」

「皆、元気だったよ。モーリスから謝罪の連絡が来たって。ユラのことも心配していたし」

「基本的に良い天虚ばかりでしたからね。あの集落は。それで、ロカ君の決断は?」

「彼は人間界に残るってさ、このままハルアの弟子でいて、いつか芸術家になりたいんだって」

「それは、素晴らしいですね。きっとあの方も喜ぶと思います」

「そうだね。それで、ロカ君の遠縁の何人かは、天境界に行きたいっていう話だから、色々と力になろうって、話をつけてきたんだけど……」

「もちろん、力になりましょう。早速、誰か手配します。今日は、本当にお疲れ様でした。兄さん」

「いや、礼はいいから。僕も、ロカ君やリエル君と沢山話すことが出来て楽しかったんだ」

「兄さんが楽しかったのなら、私も嬉しいです」 


 虚ろな気持ちで呟きながら、果物を食べ終えたユラはマサキの隙をついて、資料をもぎとった。


「あっ、ちょっとユラ様!」

「……と、そういうことで、私。行ってきますから」

「待ってよ、ユラっ!」

「兄さん…………」


 予想通りと言わんばかりに、トワがユラの着物の袖を掴んできた。

 やっぱり、着物は駄目だ。

 がっしりと握られてしまっているので、逃げようがない。

 マサキには、もっと動きやすくてつかまりにくい、他の正装を考えてもらいたかった。


「何ですか? 兄さん。陽が落ちる前に行きたいんですが?」

「ユラ。明日、イラーナで新しい大神殿が開放されるらしいよ。一般国民に無料開放だなんて、なかなか太っ腹なことをするよね。さすがだよね?」

「えっ。……そうですね。イラーナは、平和でさすがな国だと思って……います」


 気持ちを押し殺して頷けば、自分でもびっくりするくらい、小声になってしまった。


「それでね。僕、ロカ君に招待されたんだよ」

「すごい。良かったですね」

「うん。是非、行こうと思うんだけど。ほら、人だらけだし、僕は病弱だし、神殿で倒れたら、厄介でしょう。誰か付き添って欲しいんだけど……な?」

「じゃあ、マサキに……」

「ユラっ!」

「ユラ様っ!」


 二人同時に、怒鳴られてしまった。


「でも、私、明日も仕事があるので、行けません」

「以前のユラだったら、上手く調整をつけていたじゃないか?」

「そうですよ。何を自棄になっているんですか?」

「自棄になんて……」

「……どうして、ハルアを避けるの? ユラ」


 トワの黄金色の双眸が真っ直ぐユラに向けられていた。


「神殿の壁画。「ハルア」の一世一代の大作だよ。行ったところで、ハルアに会うとも限らないんだし、せめて完成品、見てあげたって良いじゃない?」

「いつか、見に行きますから……」

「……嘘をつかないで」


 そう結論づけると、トワはユラの手を取った。

 かつて、ハルアが巻いてくれた包帯があった手だ。

 あの白い包帯は、鏡台の引き出しの奥に仕舞ってしまった。


「神殿でハルアに画材の入った鞄返したでしょ。僕、その時、見ちゃったんだ。ハルアの持っていた画帳の中身…………。全部、ユラだったよ。あの人、ユラをずっと描いていたんだ。もちろん、壁画のモデルだからって言うのもあるだろうけど。……でも、あの絵のすべて、とてもユラが綺麗に描かれていたから……」

「そんなことを言われても……」


 今更だ。

 もう、ユラは二度とイラーナには行かないと心に決めていたのに……。

 どうして、心を揺さぶることを言うのだろう。


(知っていたから……)


 ハルアがユラの一挙手一投足を常に気にかけていたことは…………。

 タルトを一口で食べるところが見たいなんて、変態だと思っていたけれど、彼の眼差しはいつもひたむきで、情熱的だった。

 きっと、ハルアはその瞬間瞬間を惜しみながら、大切に絵の中に落としこんでいたのだ。


「ずっと見ていたいって言われたことはあります。壁画を描くためだったのでしょうけど」

「違うよ、ユラ! どうでもいい存在をずっと見ていたいなんて絶対に思わないから」

「……いやいや、どういう存在であっても、ずっと見られていたら気持ち悪いですよね?」


 さらっと冷たく突き放したマサキだったが、揺れているユラの心の動きを察したのだろう。わざとらしい咳払いをした。


「でも、あんなに私が怒っても、貴方は人間界に行き続けたんですから。それをこんな形で絶ってしまうのは、どうかと思います」

「でも、あんまり深入りするのは……」

「いいから、ユラたんは、一度行ってきなさい!」


 突然、背後の窓からエンラが飛び込んできて、ユラは目を回した。


「一体、何なんですか。父様?」

「このままだと、私が雷帝在位中に遊んでいるだけの王だったって、悪名が残ってしまうでしょうが。仕事の手を抜くんだ。ユラたん!」


 …………ああ、そうだった。


(忘れていたわ……)


 エンラとは、そういう王だったのだ。

 この男がいるからこそ、あの八連衆がいるのだった。


 ――結局、その一言が決め手となった。


 ユラがイラーナに行かない理由は、根こそぎ奪われてしまったのだ。

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