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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第1章
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4

 雷帝らいていの居城の裏手に、乱雑にそびえている一〇八基の朱塗りの鳥居は、人間界のあらゆる場所と繋がっている。

「門」と名付けたのはエンラだった。

 元々、三千年前人間との戦いのために、エンラ自らが造ったものらしいが、敗戦の際に交わした人間との「不可侵条約」により、ほとんど使用できない道具となってしまったそうだ。

 ユラと兄のトワは、エンラの血を継いでいるため通過可能だが、それ以外の天虚で通行可能なのは、当時戦いに参加していた生き残り……実質、八連衆くらいのものである。

 更に、通行するには天境王エンラの許可が必要で、無届けで門を潜った場合は、エンラが従えている門番たちが、息の根を止めるまで地の果てまで追いかけて来るらしい。

 確かに、今日も門の前には、全身黒ずくめで仮面まで被っている、見るからに不気味な門番がぽつんと立っていた。

 そういえば、エンラがいなくなった今、ユラに忠誠を誓ってくれているのは、彼らくらいだろうと、マサキが話してくれたことがあった。門番は余計な感情を持たないので、命令もしやすいそうだが……。


(……それも、どうなのかしらね?)


 フィンは、久々に人間界を訪れたらしい。長い尻尾を振って喜んでいた。


「空間移動をしたぜ。やっぱりいいな。人間界に攻め込むのはよ」

「攻め込む? 人聞きの悪い」


 聞こえないくらい小さな声で突っ込んでみたが、かえって虚しくなるだけだった。

 門は、イラーナ国郊外の旧神殿の裏手の祠と繋がっている。

 イラーナ国に行こうと決めたのは、他の国よりユラに土地勘があったためだ。

 ――ただ、それだけだった。


(……何やっているのかな。私?)


 つい先ほど、ここにいたはずなのに、再び戻って、巨大な猫と散歩している。

 ユラはふらふらしながら、フィンの後に続いた。

 月の綺麗な夜だった。

 丸い月の眩い光が、明るく夜道を照らしてくれている。


  (何処まで歩けば、この猫の気が晴れるんだろう?)


 問題は、そこだった。

 成人男性三人分くらいの巨大な猫が、言葉を話しながら歩いているのだ。かえって目立ってしまうだろう。

 幸い「門」のある場所はイラーナ国外れの旧王宮の跡地であり、人と遭遇する可能性は極めて低いが、それにしたって、いつまでも歩いていたら、人間に発見されてしまうのは必定だ。


「……しかしよ、イラーナ国に行こうだなんて、さすが雷帝だと思うんだよな」

「はっ?」


 突然、フィンから謎の賞賛をされたユラは、目を瞬かせた。


「…………どういう意味?」

「おや、しらばっくれているのか? 意外に謙虚なんだな」 


 本当に知らないのだから、仕方ない。

 けれども、この猫は親切なのかお節介なのか、ユラの答えを待たずに、ぺらぺらと喋りはじめた。


「三千年前、エンラ様が人間と終戦の条約を結んだのはこの国だ。イラーナの女王が人間界の代表で、神が仲介に立った。条約を守るという証にエンラ様は愛剣まで渡したんだぜ。俺はあの時、エンラ様の隣で唇を噛みしめて……。本当に悔しくてな」

「…………ふーん」


 ――つまり、三千年前、父の隣で大きな猫が唇を噛みしめていた……と。

 そんな愉快なことがあったなんて、逆にユラは興味深いのだが……。


「だから、この国に取り残された天虚は多いんだよ。さすが、雷帝の後継者だ。目の付け所がいい」

「それは、どうも」


(終戦の地……か)


 三千年前のことはともかく、ここ百年の間、イラーナ国は平和そのものだということを、ユラはよく知っていた。


(……確か、イラーナの現国王には二人の王子がいるんだっけ?) 


 散々、個人的理由で行き来していた国のことだ。

 ユラ自身、いろんな噂を耳にしていたつもりだった。


 ――第一王子の出来が悪くて王位が譲れないとか、表向き遊学中と発表されている弟王子が、実は深刻な病なのではないか……とか。


 しかし、天虚が絡んでいるような不思議な話は、一度も聞いたことがなかった。

 無駄骨だ。どうせ何ごとも起こりはしないだろう。


(もう、いい加減帰らないと……。人に見つかったら厄介だわ)


「フィン……。あの」


 おそるおそる猫に声をかける。


 ――しかし。


 …………刹那、心地よい風が暴風に変わった。

 月が曇り、草叢が揺れる音だけが轟々と響き渡る。


天虚てんきょ……だ」

「はっ?」


(なんですって?)


 フィンの呟きに、ユラは風で塞がれていた目蓋をぱっと開いた。


「天虚って?」

「分からねえのか?」


 分かるはずがない。

 ちょっとばかり、風が激しくなっただけではないのか?


(嘘……でしょう?)


 しかし、目を凝らしてみれば、遥か前方。

 暗がりの中で、角灯を持っている人間の姿があった。

 背が高い二人。体格からして男だろう。彼らを囲むように、獣耳の男たちが剣を構えていた。

 ちゃんと視認できない存在もあったが、一体ではない。……二体、三体……。


「全部で五体も……?」


 叫び出したくなった。

 小さいのも大きいのもいるが、五体いるのは確かなのだ。


「獣耳をつけた人間なんじゃ……?」

「天虚だろ、俺には臭いで分かる」

「……それは」


 さすが猫だ。嗅覚には自信があるらしい。


(こんなに離れているのに天虚の臭いが分かるのね……って)


 しかし、感心している場合でもない。

 ユラの混乱は、頂点に達しようとしていた。


「何で、天虚がこんなところにいる……?」

「何言ってるんだ。俺たちは天虚を探しに来たんだろうが?」

「いや、でも人を襲っているなんて!?」

「あんた、モーリスの話をちゃんと聞いていたのか?」


 いやいや、今まで何度もイラーナに来ていて、こんな場面に遭遇したことは一度たりともなかったのだ。


(こんな痛ましい偶然……)


 偶然にしたって、散々ではないか?



「……おい、どうするんだよ雷帝。いきなり当たったぜ。ある意味、あんた持ってるな?」

「いや、あの…………」


 ………………そんな嫌がらせのような運なんて持ちたくない。


 面倒事には積極的に関わりたくないし、力も極力使いたくない。

 それがユラの考え方だ。

 出来ることなら、穏便な解決方法を模索したいところだが、けれどもフィンが大きな琥珀色の瞳を輝かせて、ユラの出方を待っている。こちらの混乱をよそに、けしかけてくるのだ。


「早く決めたらどうだ? 目の前で、天虚の手によって人間が死ぬかもしれないぜ。俺は人間が死ぬことは構わないけどな、雷帝の立場的にどうなんだ?」

「それは……」

「ほら? 死んでもいいのかよ?」


 どうやら、この機会とはがりに、ユラは試されているようだ。八連衆の前で、ユラが力を行使したのは、エンラ同席のもとで一度しかない。


(私は、この猫にはめられているのかしら……?)


 段々、そんな気がしてきたが、しかし、フィンも驚いていたので、彼の仕込みではないだろう。

 長いひげが緊張によって、ぴんと伸びている。


(嫌だな……。力なんて使いたくないのに)


 力を誇示しろと、事あるごとにマサキに説教されているが、ユラはそれが嫌いだった。

 それでも、今は一刻を争う緊急事態だ。

 平和的な解決方法が瞬時に思い浮かばないのなら、力の行使を躊躇うわけにはいかない。

 …………仕方ないのだ。


「………………分かった。…………行く」


 ユラは短く告げるや否や、電光石火、フィンに見せつけるよう、泥の撥ねる田舎道を全力疾走した。 走るのは嫌いではない。だが、下駄が脱げそうで怖かった。


(何で、着物なのかな……?)


 どうせ、エンラの趣味には違いないのだが、いちいち動きづらくて苛々する。

 ユラにとっては、到着が遅れた感があったが、しかし、彼らの押し問答は往来のど真ん中で、延々と続いていたようだ。


『……返せ。返さなければ、お前たちを殺すぞ!』

「だから、ちゃんと言葉を話して下さいよ」

『返せ!!』

「埒があかないですよ。ラトナ」

「僕に言われてもねえ……」


 角灯を地面に落としてしまったらしく、視界は真っ暗だ。

 その中で、まるで、花畑の中にいるかのような暢気な会話に、ユラはくらっとした。


(……この人たち、本当に人間よね?)


 天虚は五体いる。

 一方、人間はたったの二名だ。

 この絶対的に不利な状況で、男たちは平然としているのである。 

 酔っ払いでなかったら、彼らは、何なのか?


(でも、この声……。何処かで聞いたことがあるんだけど?)


 ―――きっと、気のせいだろう。

 イラーナ人に知り合いはいないのだから……。


(とにかく、この天虚を止めないと……)


 ユラは勇気を振り絞って、男たちと天虚の間に割って入った。


「……おい、人間! 下がっていろ。あとは、私がやるから」

「…………はっ?」


 威厳のある低い声を絞り出してみたのに、男は素っ頓狂な声を上げただけだった。

 三者とも身じろぎ一つしない微妙な沈黙を招く羽目になり、ユラの居心地の悪さは増すばかりだった。


(何、このは……?)


 暗がりの中だ。

 姿と一緒に声も聞こえなかったのかもしれない。


(もう一回、がんばってみよう)


 ユラは気を取り直して、強めの口調で繰り返した。


「いいから、あんた達は、とっとと逃げろと言っているんだ!」

「私たちに引き下がれと……?」


 一応、声は届いたようだったが、かえってユラの乱入が人間の男たちを慌てさせてしまったようだった。


「君、不思議なほど自信満々のようですが、今の状況は、本当に危険ですよ。命懸けになるかもしれません」


 前に一歩出ていた長髪の男が呆れ口調で言うと、その後ろで剣を抜いていた男も同調した。


「そうだよ。こんな夜更けに、女の子が一人で。お嬢さん何処から来たの? お家の人は?」


 何やら説教されてしまった。

 これでは、まるでユラの方が悪いみたいではないか。


(……いや、悪いのか?)


 天虚と人間が知り合いだったら、無駄足も良いところだ。

 だけど、フィンという目撃者がいる手前、今更後にも退けない。


「そんなものは、どうだっていいんだ!」


 開き直って、怒鳴ってみた。……けど。


「……いやあ、めちゃくちゃ気になりますけどね?」

「家出かなあ。何か様子が変だし」


 何だろう。二人の男は緊張感なく、ぺらぺらとよく喋る。


(もう放っておこう)


 面倒になったユラは彼らを放置して、エンラから継いだ白い羽扇を懐から取り出した。


「お前たち、天虚だろう?」


 聞き返せば、沈黙が返ってきた。肯定のようだ。


「ならば、一つ訊ねたい」


 ユラは、精一杯虚勢を張りながら、一歩前に出た。


「なぜ、人を襲っている? 不可侵の約定を破るつもりか? 理由があるのなら、早々に」

『お前の知ったことではないっ!』


 ――駄目だった。


(一応、譲歩はしたよね。私?)


 男たちは煩いし、交渉は決裂。更に最悪なのは、入らぬ火の粉を浴びていることだった。


  (……それにしても)


 人間界の天虚は、やはり、人間に近いのだろうか?

 彼らの得物が全員短剣という時点で、ユラとの勝負はついている。

 五体それぞれを見渡し、数人フードを目深にかぶり、顔の見えない天虚にも、白っぽい獣の耳があることを確認しながら、ユラは羽扇を前に振った。やると決めたからには、集中力が必要だ。


 ――ぞわり。

 体中を熱い血が駆けめぐる。


 父、エンラから継いだ好戦的な感情が体の底から溢れだし、ユラを誘惑した。


(手加減しないと……)


 そうしないと、エンラから継いだユラの力は、この土地のすべてを破壊しつくしてしまうだろう。

 すべてを灰燼に帰してからでは取り返しがつかない。力の調整には、意識を研ぎ澄ます必要があった。


(よしっ……!)


 ようやく、腹を括ったユラは、裂帛の声を上げた。


「いけっー!」


 途端、真紅の髪がユラの呼びかけに応えるように逆立った。

 分厚い雲は必要なかった。

 ユラが操る稲妻は、どんな所にだって、ユラの気持ち一つで自由に落ちる。

 空気を切り裂くように、天上から雷鳴が轟く。

 暗い夜空を、まばゆい閃光がじぐざぐに駆け巡った。

 天虚の真ん前の土を、五条の光がそれぞれ鋭くえぐり、もくもくと、黒い煙を上げる。ユラの髪がようやく重力に従い、元に戻ったとき…………。


『…………雷帝!?』

『嘘だろ?』


 天虚の驚愕する声がこだました。どうやら、彼らはエンラが引退したことは知っているが、ユラが後継に就いたことは知らなかったようだ。


「……今回は、加減したつもりだが、次は本気を出す。どうする?」

『ひぃぃぃっ!』


 途端、五体の天虚は悲鳴をあげながら、山の方へと逃げ出げて行ってしまった。


「あっ、待っ……!」

「おーいっ! 雷帝!!」


 追いかけようとしたユラの隣を、風を切るようにして、フィンが通過していく。


「ここは俺に任せろ! 奴ら、絶対捕まえてやる!」 

「はあっ?」


 口を挟む隙も与えずに、黒猫の後ろ姿が闇に溶けていった。


「……何なのよ。一体?」


(まあ、いいけどさ……)


 獣系の天虚のようだったし、同類同士、フィンに預けた方が良いかもしれない。

 ともかく、疲れた。

 極度の緊張感に、凝り固まった肩を叩きつつ、後ろを向く。――と、二人の男がその場で静かに固まっていた。先ほどから動いた形跡がまったくない。


「……あんたたち。逃げなかったのか?」


 ユラは声を落として問いかけた。

 何となく、そんな予感もしないでもなかったが、ともかく面倒だ。


(いっそ、フィンを置いて、私一人で帰ろうか?)


 真剣にユラは悩んでいた。

 ……と、その時、男の一人がおもむろに、地面に落ちたままになっていた角灯を拾い上げた。

 仄かな明かりが、辺りの風景を浮かび上がらせ、ユラはとっさに片目をつむってしまった。


「……あ」


 光に慣れた頃、 ゆるゆると視線を横に向けたユラは思わず声を上げていた。

 彼らがユラを怖いほど凝視していることに気づいたからだ。

 結果的に、ユラも男たちの顔をまじまじと見る羽目になったのだが。

 ……しかし。


「うそ……」


 すぐに後悔した。

 ………………見なければ、良かったのだ。

 角灯が照らし出したその顔は、まさしく、今日会ったばかりの、忘れたくても忘れられない。


 ―――――まさかのハルアだったのだ。

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