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突如として、場を沈黙に導いた人間ハルアは彼らが口を出す前に、矢のような速さで指示を出し始めた。
「サクヤ殿の話では、風がやんだら兄上が襲いかかってくるそうなので、それを足止めしないと、ユラさんの攻撃が命中しません。あの人を活かそうとするのなら、衝撃を加えて剣を手放させる必要がありますが、しかし、接近しすぎれば、ユラさんが狙いをつけるのが難しくなります。雷撃をまともにくらえば、普通、人は死にますからね」
「だ、だから何なのよ?」
「……そういうことで、貴方はその翼で空から風を起こして、あの人の気をひいて下さい」
「ちょっと!」
「……で、モーリスとフィンでしたっけ? 貴方たちはあの人に人間を襲わせないよう、間合いに注意しながら、気を引いて下さい」
「あのなあ、俺が全力出したら、すぐに剣くらい回収できるんだぜ」
「でも、貴方は楽しみたいと言っていたじゃないですか。三割方の力で良いんです。これ以上、周辺を壊されると、こちらの修繕費が嵩みますので……」
「……しかし、私は?」
「モーリス殿。いいですか? 責任を感じているのなら、労働で支払って下さいね。そしたら、こちらも不可侵条約違反でしたっけ? すべて水に流しますし、せめて、私の寿命までお互い良好の関係が築けます」
「……で、わしの役割はないのか?」
「ええ。貴方が出張ると、もっと大変なことになりそうなので、待機で良いと思います」
「…………面白い男じゃ。三千年ぶりに会った気がするのう」
「ちょっ、ちょっと、あんた。一方的に命令しないでよ! 人間のくせに何なのよっ!」
唖然としていたルーガが我に返って、激しく怒鳴るが、ハルアは平然としていた。
「それはこちらの台詞です。貴方たち、魔物のくせに何なんですか? 三千以上も生きているくせに、いちいち、小さいんですよ。そんなに、彼女に協力したくないのなら、その力を私に下さい。少なくとも、貴方たちより有効的に活用して、私が彼女を支えますから」
「………………っ」
誰も何も言い返すことが出来なかった。
意外に天虚は、口喧嘩が弱いのかもしれない。
そうして、言いたいことだけを言い尽くしたハルアは、背中をくるりと向けると、人間側の陣営に走って消えた。きっと、兵士たちに手出し無用の命令を出しに行ったのだろう。
「……ど、どうするのよ。フィン?」
「知らねえよ」
戸惑う彼らの気持ちなど、ユラには分からない。
……けれど、今しかないと思った。
――――ハルアのように、言いたいことを告白する機会。
それがユラにも必要だったのだ。
「聞いて下さい」
ユラは風の音に掻き消されない程度に、声を張り上げた。
「貴方たちには黙っていましたが、…………私は元人間なんです。危ないところを父様に助けてもらって、この力を得たんです。だから、父様が私を後継にと決めたのなら、恩返しのつもりでやっていこうって思いました。でも、だからといって、人間だった頃を忘れることはできません。綺麗事だと思いますけど、私の力が及ぶ限り犠牲者だけは、出したくないのです。絶対に。……だから、お願いです」
「……ユラっ!!」
その時、危機感溢れる叫声と共にトワに肩を叩れたユラは、すぐに背後を振り返った。
――風がやんだのだ。
地上を円形に掘り起こすかのような轟音は、静寂の中に消えてしまった。
(…………来る?)
「さて、来るぞい」
サクヤが初めて真面目な声で呟いた。
砂煙で見えなかった視界が急に開けて、太陽光が背景を明らかにしていった。
「イシャナ……王子?」
見るも無残な瓦礫の山と化している神殿内の庭園。
唯一、庭園の原型を留めている崩れた噴水の前に、イシャナの姿があった。
しかし、その姿は、今までの彼と怖いくらい大きくかけ離れていた。
今まで姿勢だけは良かった青年は、虚ろな目をして背中を丸めながら、大剣を引きずっている。
「あれが、父様の剣……」
イシャナが持つこともできないほど、首飾りから大きく形を変えた剣は、全部が銀色であった。
鍔がない剣は、柄の部分が剣に蔦が絡まったかのような独特の意匠となっていて、持ちにくそうだ。
(一発、雷撃で狙うのも難しそうな剣ね……)
ユラは大きく深呼吸すると、ゆっくりと一歩を踏み出した。
たとえ、誰も協力してくれなくても、他に方法がないのならやるしかない。
……………………しかし。
「分かったわよ!「絆の証」返してもらって、高く食べるようになったし、貸し返すわ!」
「えっ?」
一方的に言い放って、助走をつけて高く飛んだルーガは、先手必勝とばかりに、よろよろと動き出したイシャナに向かって、翼を使って風を起こした。
「これで、俺の不可侵条約違反は全部チャラだからな!」
「あの王子の言い分に従うのは癪だが、今回は仕方ない……」
言いながらフィンとモーリスも走り出し、イシャナの前を適度な間合いを持って取り囲む。
「………………みんな?」
どうして?
なぜ、急に全員やる気になったのだろう。
あの程度の演説で、心を打たれるような連中ではないはずなのに……。
(でも……)
「……嬉しい……な」
こういう状況で、仲間意識が芽生えるのかどうかは分からない。だけど、初めて一つの目標に向かって、立ち向かうことができた。
せっかく、協力してもらったのだ。
…………絶対に失敗をしたくない。
「ユラ、大丈夫かい?」
「ええ、これだけ、援護があるのなら……」
「僕は役立たずだけど、ずっとここで、見守っているから」
「心強いです。ありがとう、兄さん」
ユラは、トワの手を一回強く握ると、ルーガが起こす風に逆らうように、歩を進めた。
力の調整が苦手なユラにとって、もっとも調整力が試されるぶっつけ本番の山場。
(やってやろうじゃない)
イシャナから剣を引き離すくらいの攻撃で、尚且つ、集まりだしてしまった人間に怪我をさせない程度、手加減をする。
ユラは懐から羽扇を取り出した。
それを合図のようにして、呆けていただけのイシャナが、ぎらりと赤く変色した目を大きく見開いた。
一気に応戦に転じる。
ルーガが起こす風に怯みながらも、モーリス、フィンの攻撃に、剣を振り回しながら戦っている。
二体とも、ハルアの言いつけを守って、手加減をしているのかしもれない。
(私も、上手くやらないと)
「…………て?」
(あれっ……?)
羽扇を構えたユラだったが、前方のイシャナに集中する前に、まず、すぐ隣の気配に意識をかき乱されることとなった。
「私ですよ。ユラさん」
言わずとも分かっていた。
――ハルアだ。
彼はこの緊迫した状況下で、腹立たしいほど無遠慮にユラへと近づいてきたのだった。




