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「…………人間界は、終わってしもうた」
イラーナに降り立った瞬間、サクヤが繰り出してきた淡泊な総括に、ユラは心中でつっこみまくっていた。
(いやいや、まだ終わってないわよ。そもそも、このジイさん、どうして冷静なのよ?)
しかし、サクヤの口にしていることの一端は当たっている。
――何で、こんなことになってしまったのか……。
轟く雷鳴と、地鳴り。
イラーナ国内でも外れの旧神殿の跡地にも関わらず、どこからか誰かの怒号が聞こえてくる。
天候の崩れの少ない、イラーナでこだまする雷鳴が何を意味するのか……。
(どうしよう……)
トワは一日に一回しか雷撃を打つことが出来ないのだ。
それ以上、雷を操ったら、体がもたないことを本人も自覚していたし、エンラも止めていたはずだ。
(まさか、何度もやっていないわよね? 兄さん)
エンラの剣が覚醒したら、とんでもないことになると、サクヤが口にしていた。
――――――「絆の証」の笛は、近くで吹くと、エンラの剣を覚醒させる効力があるらしい。
近くにいないのなら、何の問題もない。
剣は覚醒なんてしない。
ただ、エンラが煩いと思うだけの道具なのだそうだ。
当時、荒れていたエンラが自分の意思で、勝手に剣を使わないように封印の意味を込めて作った道具らしいが、そんなことユラの知ったことではない。
(……こいつは何で、それを早く言ってくれなかったのよ!!)
こんなことなら、今日に限ってトワをハルアのもとに行かせやしなかった。
あの時、覚えた嫌な予感をそのままにしなければ良かった。
いくら後悔しても、意味なんてないのだけれど……。
「さあ、一刻も早く!! 地鳴りのしている所に、急いでください。ルーガっ!」
「……はっ?」
「あとのことは知りません。他の方々はご勝手に。帰るでも徒歩でついてくるでも好きにしてください」
「ちょっと、雷帝! 私の意思はどうなるのよ?」
「いいから、早くしろと言っているんですよ」
「…………まったく、手のかかる小娘よね」
捻くれた口を叩くわりに、逆らったら、自分の命が危ないと察したらしいルーガは、渋々ユラを横に抱えた。
細身だが、体力はあるらしい。
そして、意外におしゃべりな性格のようだった。
頼んでもいないのに、ぺらぺらと話し始める。
「私さあ、エンラ様が条約のために、渋々愛剣をまんま、人間に渡したんだって思っていたのよね。その剣が面倒で扱いづらくて、長老の笛で覚醒する代物だったなんて、さっき初めて知ったわ。長く生きてても知らないことってあるのねえ、新鮮な驚きだわ」
(ああ、もう……うるさいな)
「…………あの、ルーガ、もう少し速くできませんか?」
「うっさいわね。人間界なんて、どうなったって良いじゃないのよ!」
うるさいのは、お前の方だと突っ込みたいところをユラは何とか耐え忍んだ。
人間界はユラの故郷だ。イラーナはユラの出身地ではないが、それでも、小さい頃唯一知っていた国の名前であった。
(何とかして、兄さんとハルア様を見つけないと……)
しかし、空の上から見下ろしたイラーナは、ユラの想像をはるかに越えて迷走していた。
(……あれは何?)
甲冑を纏った大勢の兵士たちが馬にまたがり、弓や槍、剣を携えて一点を目指し、疾駆している。
いつも平和で穏やかなイラーナ国においては、違和感だらけの物々しい光景だった。
彼らが列を為して向かっている場所は、都の端。
風が強烈な渦を描きながら地上に根を張るように吹き荒れていた。
「あれは、きっと…………」
――新しい大神殿の庭だ。
ハルアから場所だけは聞いていたので、ユラも知っていた。
(やっぱり……)
広大な土地に造営したのが不幸中の幸いだったのか、兵士は竜巻を取り囲んでいるだけで、怪我人はいないようだ。
「ルーガ!」
「分かったわよ」
ユラの言わんとしたことに気づいたらしいルーガは、少し高度を下げてくれた。
…………そして。
「見つけた!!」
ようやく、トワの姿を……。
竜巻のはずれで、よく目立つ赤髪がうずくまっている姿に、ほっと安堵の息を吐く。
「兄さんっ!」
「あっ、ちょっと!」
人が落ちたら死ぬだろう。
そのくらいの高所ではあったが、ユラにためらいはなかった。
ルーガの手から離れたユラは、すとんと勢いよく地面に着地した。
「トワ兄さんっ!!」
全速力で駆けていく。
トワは何度も瞬きをして目を擦っていたが、ユラが駆けつけて体を起こすと、ようやく実感したのだろう。
泣きだしそうな震え声で詫びた。
「ユラ〜! ごめん。僕、笛を吹いたんだ。そしたら……」
「分かっています。首飾りが「剣」に変化してしまったのでしょう?」
「うん。ハルアのお兄さんがハルアを襲ったから、助けようと思ったんだ。笛を吹いみたらどうにかなるかもって。でも、何だか一段と大変なことになっちゃって……」
「……大丈夫です。兄さん、あとは私が何とかします。もし体力が残っているようだったら、帰って」
「いや、役立たずで申し訳ないけど、だからこそ、今回だけは、ちゃんと最後まで見届けていきたいんだ。お願いだよ。ユラ」
トワは顔面蒼白だったが、眼差しには力がこもっていた。
確かに、この荒んだ状況では安易に天境界に帰ることもできないはずだ。
……仕方ない。
「分かりました。でも、危険が迫ってきたら、なんと言われても、兄さんを逃がしますからね……」
「うん。いいよ、それで」
「……それで、兄さん?」
「ん?」
ユラは、周囲をきょろきょろ見渡した。
心配なのは、トワだけではないのだ。
……彼を捜していた。
「あの、兄さん、ハルア様は……? まさか、あの竜巻の中なんてことはありませんよね?」
「…………えっ、ああ、ハルアは」
「わあっ! ユラさんじゃないですか!?」
登場の機会を伺ってたとばかりに、頃合い良くハルアが弾けんばかりの笑顔で、こちらにやって来た。
「良かった。ユラさん、心配していたんですよ。先般の部下の方々とは、落とし前をつけられましたか?」
「ええっと……」
「もう会えないと思っていたんですよ。会えなかったら、この世界をどうしてくれようかと思っていたくらい、落ち込んでいたんです」
「はあ?」
(何千と思ったけど……、やっぱり変だわ。この人……)
ユラはぽかんと、口を開けたまま、ハルアを見上げた。
黒服が汚れ、艶やかな長髪は少々乱れていたが、見たところ、ハルアに外傷はないようだ。
「私は、兄さんとハルア様を心配して、ここに来たんですよ」
「あっ、それは心底嬉しいですね。そのお方には、お世話になりました。やはり、君のお兄様でしたか? 素敵なお兄様とお会いできて、私はとても光栄です」
「あっ! そういえば紹介が遅れていましたね。僕の名前はトワです。むしろ、僕のせいで、イラーナが大変なことになってしまって、すいません」
トワは変装用にかぶっていた長い赤髪のかつらを取って、深々と頭を下げた。
ハルアは大げさなくらい激しく頭を横に振る。
「いえいえ、とんでもない。トワ兄様、気にしないで下さいね。あれは、完全に私の兄の自滅ですから。むしろ、わざわざユラさんに変装までして来てくれたのに、こんなことになってしまって……」
「いやいやいや……すべて僕が」
トワと二人して、首を横に振り続けている。
(どさくさに紛れて、兄様……って?)
この雰囲気は何だか「せっかく、遊びに来てくれたのに、ちゃんとおもてなしが出来なくてごめんなさい」な感じだ。
――絶対に、それどころじゃないのに。
ユラは吹き荒ぶ風の中、意識が遠くなりそうなほど、我が道を行く二人を眺めていた。




