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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第7章
44/56

1

 ハルアの機嫌は、最悪だった。

 よもや、この段階で、こんな展開になるとは思ってもいなかったのだ。

 国だとか、世界だとか、魔物だとか、各々話を聞いている分には、大変なことだ。

 何だかよく分からないことで、魔物と実の兄に狙われるなんて不本意でもある。

 けれども、子供の頃から物騒な世界に慣れているハルアにとって、そんなことは些末なことでしかなかつた。


(一体、何のために、私は頑張っているのか……)


 包帯ぐるぐる巻きの、かえって動かし辛くなった手で、今日はロカにも休むように言い渡して、たった一人で懸命に壁画を描いているのは、ユラに会えるかもしれないと、一縷の望みに懸けたからだ。


 …………だけど。

 会えると思っていたのに。


「何で? 私は兄上と二人きりにならないといけないんでしょうか?」


 小声でひとりごちた。


 ――天罰だろう。

 いや、魔物だから、魔罰だろうか?

 きっと、ユラにあの毒にも薬にもならない能力を黙っていたせいだ。


 「炎を操る力」と「心を読む力」。


 その二つをハルアは持っている。


 「炎を操る力」はモーリスの力の種を食べてしまったせいだが、ハルアが最初にユラに告白した「心を読む力」自体は先天性のものだ。

 イラーナ国の王族には、稀にそのような力を持った子供が生まれる。

 イラーナ女王は魔女だったいう説があるが、彼女は魔道を駆使していたわけでもなく、魔物と縁があったわけでもない。

 彼女は特殊な体質を持っていたに過ぎない。

 

 …………人の心を読む能力。


 その力は、脈々と王族の血に受け継がれ、同等の能力を持った王子や王女は定期的に生まれる。

 その中でもハルアの読心能力は極めて高く、歴代でも一二を争うほど、感覚が鋭いのではないかと、父は言っていた。

 もっとも、そんなことは過去を知らないハルアにとってはどうだっていいことだった。

 ただ、イシャナにだけは黙っておくように、遠い昔に二人で取り決めておいたのは良かった。

 もしも、ハルアにそんな能力があると知ったら、イシャナもイシャナの母も受け止めきれないだろうと、いつか彼が分別のある大人になったら父が告白しようと、熟慮の末の判断だったのだが…………。

 もはや、この男には一生言わない方が良いだろう……と、ハルアは考えている。

 それは、疑うべくもなく、賢明な判断だろう。

 ………………でも。

 ユラに「炎を操る力」を黙っていたのは、馬鹿だった。


 …………ただ単純に、彼女の前では格好つけていたかったのだ。


 その件に関しては、ハルアも鈍器で自分を殴りたいくらい後悔している。

 もしも彼女にすべてを話していれば、少なくとも昨夜のような急展開を迎えずに済んだのかもしれないのだ。


(でもなあ、炎の能力は本当にしょぼいし、なぜか月のある夜しか使えないし。あんな凄まじい能力を持った彼女の前で、こんな力もあります……なんて、痛ましくて、話せないし)


 段々、自分が惨めに思えてきた。


( 一体、私は今まで何をやっていたんだろう?)

 

 このままでは、壁画が完成しても、ユラが見に来てくれないかもしれない。

 だったら、昨日の作業中に、強引な手を使っても見せておくべきだったのだ。


「…………って、お前は、聞いているのかっ!」


 無視し続けていたら、耳の側でイシャナに怒鳴られた。

 おかげで、頭がガンガンして、目が回る。

 大神殿には、古より魔除けの効能があると伝わる紫光石がふんだんに使われている。紫色に輝く綺麗な石なだが、どうも防音には向かないらしく、普通に話していても、声が反響してうるさいのだ。

 ――にも関わらず、イシャナの大音声である。


「今の声だけ大音量で聞こえましたけど、それ以外は、さっぱり聞いていませんでした」

「正直で結構なことだな。おい?」

「ええ。だから、二回も同じ話はしなくていいですよ。兄上は早々にお引き取り下さい」


 ――まったく、酷い話だ。


 この男の声も感情も全部が大きくて、ハルアだけが精神攻撃を受けている気分になる。

 精神で襲われるよりは、剣で狙われた方がまだマシだ。

 無論、ハルアは、昨晩の襲撃にイシャナが絡んでいることは、気づいている。

 昨夜、自分たちを攻撃してきたのは最初人間の方だった。

 大方、ハルアが夜に壁画を作成していることを耳にしたのだろう。壁画制作を頼んできたのも、最初からハルアの隙を狙っていたからかもしれない。

 でも、それを言うつもりはなかった。

 証拠はないし、よくあることだし、とにかく面倒だからだ。


「ほら、兄上。私は仕事がありますし、兄上も仕事でしょう。お戻りになった方がいいですって」

「仕事だと? お前、大掛かりな仕事の割に、今日は、誰もいないではないか?」

「私のことじゃなくて……ですね。でも、仕事のことなら、ご心配なさらずに。今日はラトナもロカもいないので、私一人でやっていますが、着色も佳境に入ってきていますし、式典までに、間に合わせることは可能かと思います」

「ああ。それは分かっている。お前がいない時に、作業の進展は確認しているから知っているからな」

「それはそれは…………」


 ――つまり、彼はハルアの不在時に盗み見をしているらしい。


 だったら、イラーナ女王の剣にこだわったのも納得だ。

 ハルアはこの壁画の女王に剣を持たせている。

 昨夜、フィンという名の化け物に盗られてしまい、行方不明になってしまった首飾りの装飾を元にして描いているのだ。


(まさか、本当に魔界の王の剣だったなんて、思いもしませんでしたが……)


 ハルアにとって、あの首飾りは盗まれて困るものではないが、結果として、ユラに迷惑がかかってしまったのなら、申し訳ないことであった。


「しかし、まさか、お前がイラーナの剣を持っていたとはな……?」

「……はっ?」

「まさかな。こんな小さなものが、イラーナの剣だったとは思いもしなかった」


 ――そして、イシャナは得意げになって、外套の下の白地のシャツの下から、ハルアが昨夜まで身に着けていた銀の首飾りを引っ張り出した。


「……ああ。現場を探してもなかったんですが。兄上が刺客に、盗って来させたのですね?」

「な、何だと。人聞きが悪い。何者かが私に返却したのだ。ふん、この剣の存在を隠していたくせに、よく言うな」

「でも、それ剣には見えませんよね? 首飾りにしか見えません。どうして、兄上はそれが女王の剣だって分かったのですか?」

「思って、何が悪い!」

「開き直りですか? なるほど、魔物にその剣が凄いって話を吹き込まれたのでしょうかね?」

「それは違うぞ。剣については神官が魔術かぶれのお前なら持っている可能性が高いと言っていたのだ。それで、その頃に小さな子供の格好した魔物が現れて「お前が魔道に堕ちている」と私に教えていったのだ。その剣も、魔道の道具で小さな首飾りになっていると言っていた。実際、お前は昨夜、魔術を使って、森林火災を発生させたではないか?」

「兄上、どうやら貴方は私に襲撃犯をぶつけただけで安心して、高見の見物しかしていなかったようですね。物事をちゃんと把握できていないようですが?」

「何だと!?」


 いつの間にか、昨夜の件は「魔道に堕ちた」ハルアがやったことになっているらしい。

 それなら、それで良いのだが……。


「分からないか? こうして人払いをし、二人で向き合ってやったのは、私の情けだぞ」

「意味が分かりませんね。いくら貴方が私に手を下しても、死なない魔物だということが昨夜ようやく分かってしまったから、対処法に困っているだけでしょう?」

「……ほう。とうとう魔物だと自白したな! お前を、これから大神官のもとに連れて行き、その体に憑りついた邪悪な魔物を追い出してやる!」

「…………正気なんですか。兄上?」


 ――これは。

 よくある権謀術数に、面白いほどに乗せられていると考えるべきなのか?


 父は、警戒しろと言っていた。

 芸術家ハルアがルフィア王子だったと知れたら、国民の人気は、一気にハルアに向かう可能性が高い。そうすれば、第一王子とはいえ、イシャナとしての立場がないのだろう。

 過去、何度もハルアはイシャナの手の者に何度も狙われた経験がある。

 王宮で毒を盛られたことも、数えきれないほどにあった。

 気持ちが読めるハルアにとって、そういった攻撃は、頬を撫でるそよ風程度のものだったが……。


(……なるほど)


 合点がいった。

 昨夜のモーリスとの連帯攻撃はイシャナにとっては、前振りだったのだ。

 本命は、魔物に魅入られてしまった危険な王子を、神殿に幽閉するという作戦だったらしい。今まで、殺そうとしてもハルアは死ななかった。

 ならば、隠してしまえと……そういうことのようだ。

 あれだけ、強行に大神殿の壁画をハルアに描かせようとしたのは、陥れるネタを見つけるためで、剣にこだわっていたのも、最終的に魔物と絡ませるための証拠固めだったのか……。


 ――イラーナ女王の魔道の剣。


 噂好きの貴族社会で、広まりやすいネタに違いない。

 そこまで、この兄の真意をよまなかったのは、ハルアの失策だ。

 殺気が強すぎて、内心まで探ってみようとは思えなかった。

 それに、この男が一人で手の込んだ作戦を実行できるはずがないと侮っていたのだ。


「……分かりました。兄上。貴方の気が済むよう、好きなようにして下さい。ですが、この壁画だけは仕上げます。それまでは、私の邪魔はしないで下さい」


 元々、ハルアは王位になど興味ないのだ。

 噂は大歓迎だ。魔道好きの怪しい王子の方が芸術家としては、需要もあるのではないか? 

 ――しかし。


「馬鹿者!」


 せっかく、こちらが譲歩しているのに、イシャナは怒声を張り上げるのだ。


「それこそが魔に魅入られた者の言動だと分からぬのか? お前は、あの赤髪の女に邪悪な道に引きずりこまれてしまったのだ。そして、森林を焼き、ラトナに怪我を負わせた!」

「うーん。あの人が私を引きずり込んでくれるのなら、むしろ、大歓迎なんですけど……」


 ユラと共にある方が遥かにハルアは嬉しいのだが、真面目な彼女はそれを嫌がるだろう。


「とうとう、感覚までおかしくなってしまったのか?」

「いまどき、魔術が邪悪とか、真面目に話している兄上よりは、マシだと思いますが、それに心配しているフリですか。それは貴方の本音ではないでしょう?」

「うるさい! お前のそういうところが小賢しくて腹立たしいのだ。ともかく……だ! この大神殿は、私の命令で魔除けの紫光石をふんだんに使用したのだ。お前の怪しげな魔術も通用しないぞ。おとなしく、魔物祓いを受けるんだ!」

「だから、それは後にして欲しいとお話しているのです」

「後にしたら、私がお前の炎に、殺されるだろうが!!」 


 ――と、喚きながら、イシャナが剣を抜いた。

 それはどうやら本音のようだ。

 やられる前にやってしまえという発想自体は、分からないでもない。

 けれども、丸腰のハルアに向かって、酷い仕打ちではないか……。


「――兄上……。あのー」


 諦めと呆れが入り混じった声で呼びかけた。


(いい加減疲れたし、一度捕まってみようか?)


 ハルアには現在ユラがつけてくれている「門番」という魔物がいるはずだ。

 姿は見えないが、どこかでひっそりとハルアを見守っているはずなのだ。

 おそらく、ハルアの体に物理的な危険が迫らない限り、護ってくれないだろうが、その逆、物理的な危険さえ発生すれば「門番」はユラが命じたままに、どんな攻撃からも身を挺してハルアを護ってくれるだろう。


(捕まった方が楽そうだな…………)


 本気でそんなことを考えていたものの、しかし、直後にハルアは、何としても捕まらない道を模索する羽目となった。

 赤髪の少女が入口の前で、イシャナを睨んでいたのだ。


「なっ?」


 まず最初に、イシャナが反応を返した。


「…………ユ……ラさん?」


ハルアも茫然とする。

嬉しい……。けれど、随分間の悪い登場の仕方だ。


「ふん、立ち聞きが得意な魔物か! 性懲りもなくまた来たな。……外の衛兵は一体何を……?」


 しかし、イシャナがすべてを言い切らないうちに、少女は腕を高く掲げて、一気に振り下ろした。光の刃がイシャナの足元の紫光石の床を打ち砕く。


 ―――雷撃だ。


(…………これは、ちゃんと制御できている?)


「何っ!」


 腰を抜かしそうになっているイシャナを横目に、少女はハルアの前に走って来た。


「ハルア様、ですよね? 外は兵士で一杯ですよ! 早く逃げましょう」

「兵士……ですか?」


 イシャナも徹底していることだ。自分の軍を連れて来るなんて……。

 ――それにしても。


「………………君?」


 さすがに、ハルアも気がついた。


 ――――――――この子は、ユラではない。


 まず声が違う。

 この子の声は低い。女装はしていて、似合ってはいるが喉仏がある。

 男だろう。

 見た目、ユラに恐ろしく似ているが、目の下に小さいが黒子がある。ユラにはそんなものはなかったはずだ。

 つまり、よく似た別人。

 心の声も彼女のものとは違う。彼女より前向きだが、少し弱い波動であった。


(まずいな……)


 ユラだったら、安心できてしまう場面だが、この子がたとえ魔物であっても、彼女ほどの力がないのなら、かえって危険かもしれない。

 騒ぎを聞きつけたイシャナの護衛たちが続々と、ハルアと少女の前に殺到する。


(この子は、私に門番がついていることも知らなかったのか……) 


 ユラから話を聞いていなかったのだろうか……。

 それとも、何らかの事情で、門番はすでにハルアのもとを去ってしまっているのか?

 …………だとしたら、本格的に危険だ。

 さすがに床を雷撃で破壊してしまったので、兄の言いがかりだと弁解するのも難しい。

 

(ここは、ひとまず降参か……)


 降参が無難だと、ハルアは溜息のあとで両手を挙げた。 


「分かりました。兄上。一緒に魔物祓いでも幽閉でも付き合いますから、この子を」

「分かればいいのだ。…………しかし、こいつも魔物の一種だからな。お前と一緒に」

「いい加減にして下さい、兄上。この子は、私とはまったく関係ない人ですよ」


 今、会ったばかりの人を巻き込まないでもらいたかった。

 護衛たちが固唾を飲んで見守る中、ハルアは、両手を挙げ、ゆっくりイシャナのもとに近づいて行く。

 その背後で、ユラの別人の彼が息を呑むのが伝わってきた。


「大丈夫ですよ」


 安心させようと声だけ掛けてみたものの、しかし、イシャナに捕まるあと一歩の時点で、背後にぞわりと怖気を覚えた。


「えっ?」


 嫌な予感に、ハルアは慌てて後ろを振り返る。

 彼は、おもむろに貫頭衣の下から、動物の牙のような奇抜な物体を引っ張り出した。

 そして、首にぶら下げていたらしい角笛に、ためらいもなく唇を押し当てる。


 ―――――きぃぃぃん。


 耳を劈く高音と共に、イシャナがぶら下げていた十字の首飾りが青白く発光した。


(…………これって、もしや?)


 ハルアは、この事態がかえって良くない方向に進んだことを直感したのだった。

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