表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第6章
42/56

6

 火事は、最小限におさまった。

 幸運なことに、あの後、どしゃぶりの雨が降って、雑木林以外、延焼を免れたのだ。

 ラトナの肩の傷は、出血は少なかったものの、念のため医者に診せることとなり、信頼できる医者が街にいると聞いたユラは、すぐさまラトナを担いで、ハルアと共にその医者がいる診療所に向かったのだった。


 ――そして。

 ロカの実家に赴き、全員無事であることを確認してから、ユラは、ハルアの自宅に向かって歩いていた。

 せめて、エンラの剣が落ちていないかと探してみたものの、やはり見当たらなかった。


「ユラさん。そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。あの林には誰もいなかったんですから。それに、君もさっき歩いてきた時、現場を見たでしょう? いずれ再生しますって」

「…………すいません」


 ユラは平謝りしながら、緩々と首を振った。

 あれでも、手加減した方だと話したら、海のような許容を持っているハルアからも、幻滅されてしまうだろう。


「君のせいじゃないでしょう? 囮になると言い張ったのは私で、馬鹿な理由で、君にあの力のことを話さなかったのも私です。暗殺者のことも、心当たりがあるのに話していなかった。むしろ、すべて悪いのは「私」状態じゃないですか?」

「…………ハルア様を狙った人間側の刺客は、一体?」

「ああ、兄上です。よくあることなんです。父上が警戒しろと言っていましたから。たまたま、襲撃の日を知って、モーリスでしたっけ……が、合わせただけでしょう?」

「……実のお兄さんが、本気で?」

「王宮では、間々あることなんですよ。君が気にする必要のないことです」

「そんな……」

「……だからね、ラトナと私の傷も、君のせいではありません。むしろ、またモーリスが狙ってきたら怖いので、君に護って欲しいくらいなんです」

「ハルア様、昨夜の惨事を忘れたのですか? 正直、私にも分からない力なんですよ。近くにいるべきではないんです。モーリスのことなら、今度こそ私が近日中に解決します。……だから」


 ユラは、ハルアの自宅に着いたことを確認して、ぺこりと頭を下げた。


「私はここで失礼します」

「本気ですか。君は?」

「へっ?」


 ハルアは手の甲に負った傷を、ユラに見えるように高く掲げた。


「私は利き手を怪我してしまったので、自分で治療すら出来ません。当然、手当てくらいしていってくれますよね?」

「いや、あの、それは…………」


 芸術家のハルアにとんでもない怪我を負わせてしまったのは、ユラの同僚だ。

 謝罪だけして、何もしないのは確かに最低だ。

 理屈は通っているけれど……。


(いや、でもね。さっきラトナ様が医者にかかっていた時、ついでに、その傷も治療可能だったんじゃ……?)


「本気で、このまま私を見捨てるのですか。つい先日も貴方に見捨てられて、私はかなり心的外傷を負っているのですが?」

「大げさな表現ですね?」

「じゃあ、傷の手当て……してくれるんですよね?」


(そこまで、どうしてこの人は、手当てに固執しているんだろう?)


 先程の争いの時より、ハルアの迫力が増したような気がする。

 疲れているはずなのに、謎の勢いだった。


「…………分かりましたって。手当てくらいはしますから」


 硬い表情のまま、ぎこちなく頷く。

 実際、すでにハルアの邸宅に足を踏み入れてしまっているのだから、ここまで来て抵抗するのもおかしな話だろう。


「ああ良かった。断られたら、どう駆け引きしようかと、困っていたんです。じゃあ、とりあえず、私の部屋に来て下さい……。そこに包帯とアルコールがありますから……ね」


 怪しいくらい、一瞬にして明るい表情となったハルアは、ユラの気が変わらないうちにとばかりに、急ぎ足で室内に入っていった。


「部屋って?」


 ハルアの私室だろうか。

 私の部屋というのだから、まずそうだろう。


(……いいの? そう簡単に部外者を通して?) 


 不安を抱きつつも、半ば強制的な流れに抗えないユラは、初めて彼の私室に足を踏み入れた。

 広い室内の調度品は白で統一されていて、中央に天蓋つきの寝台がある。

 唯一黒いのは、金の刺繍が美しい厚手の毛布一枚だった。

 乱雑な仕事部屋と違い、一切無駄なものがない。清潔感溢れる部屋であった。


「それではお願いします。ユラさん」


 ハルアは部屋の棚から、包帯とアルコールと布巾の入った木箱をユラに手渡した。

 傷は浅いが、手の甲全体に赤い線のように伸びている。

 真白い包帯をぐるぐる巻きながら、深く重たい溜息と一緒に、ユラは頭を下げた。


「すいません」

「また謝罪ですか?」

「ハルア様は、大仕事をしなければならないのに、手が、こんなふうになってしまって」


 心の底からの言葉だったのに、なぜかハルアは声を上げて笑った。


「私、何かおかしなことを、言いましたか?」

「包帯が大変なことになっていますよ。ユラさん」

「…………あっ」


 手の甲の厚みが二倍になるくらい、ぐるぐる巻きにしてしまった。

 ユラは慌てて包帯を巻き直した。

 それでも、やっぱりハルアのように、上手く巻くことが出来ない。 

 微妙にずれるし、きつすぎたり、緩すぎたりしてしまう。

 ハルアは、そのたび、肩を震わせて笑うので、それも妨害されているような気がして、嫌だった。


「君、本当に下手ですよね」

「ええ。それはもう、認めます。手当てを申し出た分際で、この体たらく……」

「私が巻いた包帯を、参考にしてくださいよ」

「参考にするのと、やるのとでは違うようでして……」

「面白い人ですよね」


 ――全然、面白くはないだろう。

 寝台に腰を下ろしているハルアの手に、体を屈めて必死に白い包帯を巻いていると、自分の不器用さに泣けてくる。

 そして、ユラは自分の手が震えていることに気がついた。


(……人は簡単に死んでしまうのよ) 


 昨夜は、様々な場面でひやりとした。その最たるものが自分の暴走だなんて、痛すぎる。


「ユラさん。まだ落ち込んでいるんですか。私だって悪かったと思っているんです。ラトナにも、ロカ君にも、みんなに私からも謝っておきますから……」

「……ええ、ごめんなさい」

「ほら、また。ロカ君みたいな現象になって……」

「そうですよね、それも、ごめんなさい、近くいたら、嫌でも私の暗い気持ちがハルア様に伝わってしまいますよね。手当ても終わりましたし、これで、帰りますから」


 ユラはゆっくり彼から離れた。

 一応の手当てを、終えたつもりでいた。

 けれど、ハルアは何も言わず、ユラが巻いて、こんもりと膨れ上がった左手を見つめている。


「ちょっと待って下さい。この包帯の巻き方は有り得ないですよね?」

「不満ですか?」

「いや、別にそういうわけではありませんけど……」


 答えに反して、引き攣った彼の表情は明らかに不服そうだ。だけど、何度、巻いてもきっと上手くいかないのだから、ここで妥協してもらうしかないではないか?


「私から言い出しておいて、本当に申し訳ありません。でも、ここが私の限界のようです。あとはロカ君にでも、巻き直してもらって下さい」

「…………それ、本当にそう思っています?」

「はっ?」

「本当に、そこが君の限界なんですか?」


 ――何だろう。その疑問形は? 


「……再挑戦が必要だということですか?」

「いいえ。今回はこれでいいです。でも、次回があってもいいと思ったのです」


 ハルアは簡潔に答えると、澄み切った空色の瞳でユラを見上げた。


「こんなのは、慣れですよ。しょっちゅう、やっていれば慣れることです。お茶の淹れ方だって、慣れです。向き不向きはありますが、それでも、各々のやり方でやっていくうちに、気が付けば何とか形になっているものだと、私は思います」

「…………身の引き締まる、お言葉です」

「私は、不慣れながらも、君を口説こうとしているのですが?」

「ハルア様の冗談は、私にはよく分からないのです」


 再び妙な沈黙が通り過ぎた。

 温かな日差しが窓から差し込み、白い部屋を更に明るく染め上げていく。


「多分、今の君に何を言っても伝わらないと思いますが、でも、あのモーリスという魔物は本気で私を狙っていたわけではありませんよ。私は最初からそう言っていたはずです」

「……それは本当なのですか?」

「ええ。再三言っているとおり分かってしまうのですよ。特に、モーリスの半身は私の中にいるようなものですから、鮮明に伝わってきます。だからね、ユラさん悪いのは私ですって」


 今までと打って変わって、神妙な面持ちで、ハルアが立ち上がり、ユラに迫った。


「私はユラさんと対等になりたいと思っているんです。だから、君に全部を話してしまいたくなかった」

「それが分かりません。私は、ハルア様から嫌がらせされているように感じます」

「…………言葉にするのが難しいのですが……」


 むしろ、こちらが申し訳なくなるような威圧感で、ハルアはまっすぐユラを見つめていた。


「私だって、以前はただ君のことを見守っているだけで幸せだったんです。……でも、今は感情の出処が明らかに違うんです。頼って欲しいとか、甘えて欲しいとか、そんな気持ちが強いんです。だから、弱い自分を出したくなくて……。あわよくば、何も話さないで、君の前で格好つけられたらいいな……と。それで、炎の能力を君に話そうとしなかったんです」

「頼る? 甘える? 私がハルア様に……ですか?」


 やっぱり、彼の言葉は理解不能だ。

 ユラがべったり頼ってきたら、どうするのか……。

 嬉しいはずがない。

 そんなことをされたら、困ってしまうのは彼ではないのか?

 

「うーん、どう伝えたらいいのか。つまり、最近の私には君が普通の女の子にしか見えないのです」

「辺り一面を、焼け野原にする普通の女の子なんて、この世に存在しませんよ」


 ユラが怪訝な顔をするのと、ハルアがさらに一歩こちらに近づいたのは、同時だった。


「……でも、君はそれを悔やんでいるじゃないですか。悩んだり、後悔したり、謝ったりして、まるで人間の女の子のようです。それこそが君の魅力なのだと私は思うようになったんです」

「私の魅力……ですか?」

「ええ。だから、モーリスの件を君自らの手で解決することは良いと思います。……ですが、決して、力に訴えないで下さい。もし力ずくで事を運べば、君はおかしくなってしまうでしょうから……」

「でも、ハルア様。私にはこの力以外も……」


 何もない……のだ。

 更に、今回は頭も弱いことが証明されてしまった。

 よりにもよって、猫よりも……である。


(これを自分の魅力だからって、割り切れるはずがない……というか)


 しかし、せっかくハルアが励ましてくれているのに、愚痴ばかり零して困らせたいわけではなかった。

 彼と見つめ合って、何とか笑顔を作ってみせる。

 ……と、何を思ったか、ハルアはユラの手にそっと自分の手を重ねてきた。


「ハルアさま?」

「こんなに小さな手なのに……」

「はっ?」

「温かくて、柔らかくて……。君は生きているんですね」

「まあ、一応、生きてます……ね」

「幻ではなく…………」


 呟きながら、ユラの手を自分の口元に持っていく……。

 そして…………。


「…………っ」


 ハルアは恭しくユラの手の甲に口付けた……らしい。

 あまりにも自然な動作だったので、ユラは首をかしげる程度しか反応ができなかった。

 分かっている。

 人間界では手の甲に口づけするなんて、挨拶程度のことだ。


(ハルア様も、きっと色々あって疲れているんだわ……)


「ハルア様……大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないんです」


 困った。

 傷自体は浅いのだが、疲労が勝ってしまったのか……。


「ユラさん、びっくりしましたか?」

「そりゃあ」

「どきどき……は?」

「それは、動悸のことですか?」


 ハルアは、一体何を言いたいのか?

 でも、ユラだけを視界に留めるハルアの熱視線にユラはぞくりとした。

 冴え冴えと光る瞳は、ユラのことを獲物のように見ているような気がしたのだった。


 すべて、のまれてしまうような……。


(怖い……)


 口付けされた手が今更燃えるように熱くなってきた。

 その熱は体全体に広がっていき、ユラは耳まで真っ赤になってしまった。


(挨拶……よね? 人間の信愛の証だって……?)


 それにしては、感触が生々しい。

 ユラ自身、自分の気持ちが分からなくなってしまった。


(この気持ちは、一体?)


 ハルアはユラの手を掴んだまま、片方の手で頰に触れる。


「な、何なんですか?」

「手ごたえを探っているんです」

「はっ?」


 もうどうしたらよいのか、分からず、硬直しているユラの前に、刹那、黒い影が出現した。


「……門番?」


 それは、見慣れた黒い影…………門番だった。

 一体、何処に遣わしていたものだろうか? 

 それぞれの門番の見分けがつかないので、どの件をユラに報告するつもりなのか、見当もつかない。


「……ユラさん、この黒い魔物は、一体どういうつもりなのでしょうか? 私たちの仲を邪魔する気満々って感じがするのですが?」


 普段無駄に笑っていてるくせに、今のハルアは不可解なくらい真顔で怒り声である。

 きっと、黒ずくめの門番が怪しいせいだろう。

 

「ああ、これは大丈夫ですよ、ハルア様。私の唯一の味方の門番さんですから」

「…………ああ、そうでしたか。これが昨夜のあれ? ……………………ああ、なるほど」


 ハルアは訝しげに、門番を見つめながら、一人で勝手に納得している。

 言葉を話さない門番はその視線を無視して、ユラに向かって真っ黒な外套の中からぬっと出した手で、古神殿の方向を静かに指差した。


 ――天境界に帰れ……。


 そういう合図のようだ。

 それが指し示す意味とは?


「…………まさか、モーリスとフィンが天境界に逃げたということですか?」


 ユラの問いかけに、門番は何度も首を縦に振った。


「嘘でしょ?」


(…………あの二体が天境界に戻った? 昨日彼らを追った門番が「八連衆」二体を相手して、捕獲できるはずないじゃない?)


 ユラは納得ができなかったが、門番の仕事はいつだって間違いがなかった。

 ハルアもハルアで「その可能性はあるかもしれないな……」と呟いている。


「分かりました。…………今すぐ帰ります」


 ユラの回答に門番は安心したのか、芝居がかった大仰な動きで頭を下げた。


「それと、門番、貴方にはハルア様を頼みますね。よろしくお願いします」

「………………」


 いつものように門番は無言であったが、今度も深く首肯したので、了解したということだろう。

 ユラは慌ただしく、出口に向かって歩き出した。


「そういうことなので、ハルア様、私、一度、帰りますね」

「あっ、ちょっと待ってください。ユラさん!」

「はっ?」


 余りに激しい剣幕で呼ばれたため、ユラは渋々振り返った。


「…………私は、利き手を怪我しているんです」

「………………えっと」


 彼と会うのはこれが最後かもしれないと覚悟をしていたのに、ハルアはユラの決意を容易く叩き割ることに必死のようだった。


「このままでは、式典までに壁画が間に合いそうもありません」

「それは……その」

「今日の昼、明日だけでも、構いません。手伝いに、新しい神殿に来て下さい」

「無理ですよ。そんな……」 


 だが、ハルアは、強い口調で念押すのだった。


「―――絶対ですからね」


 絶対に無理だ。

 約束なんて出来るはずがない。


 それでもどうしてか、強引なハルアをユラは嫌いにはなれないのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=52129637&si
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ