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「お前のせいで、本当にまずい展開になってしまった」
――そろそろ陽が昇るだろう。
人間たちが目を覚ます時間だ。
どうしたって、目立つ外見のモーリスだ。
人気のない畦道を走って移動しているが、いずれ誰かに見られてしまう。早く、行かなければ……。
――といったところで、自分たちは何処に行けば良いのだろうか?
八連衆の秩序を乱したのだ。当然、罷免で死罪だ。
浅はかな作戦で、こちらを釣ろうとしていた雷帝の小娘を挑発したのは確かだが、ここまで大事にするつもりはなかった。
こちらの用さえ済めば、速やかに撤退するつもりでいたのだ。
だから、集落の連中に頭を下げてまで、留まってもらったのだ。
天境界でサクヤに仲介を頼めば、雷帝も表向き和解くらいするだろう。
「雷帝」という大きな名前を継いで、まだ日が浅い小娘など、身体能力はともかく、処世術でモーリスの敵ではないはずだった。
……それなのに。
この頭の悪い化け猫が勝手に暴走してしまったのだ。
挙句、人間に怪我をさせてしまった。
「何がまずい……だよ。楽しかったじゃねえか。久々の乱闘。喧嘩。俺は雷帝に手合せしてもらいたいねえ」
隣で走っている猫は実に楽しそうだ。さすが獣。理性が大いに欠落している。
「……お前は本能のまま、生きられて羨ましいかぎりだ。私はそうはいかない」
「はあっ? 何だと。むしろ、てめえがこそこそ動くから、面倒なことになっちまったんだろうが。後悔するくらいなら、最初から何もするなって言うんだ!」
――何てことだ。猫に、図星をさされてしまった。
「私だってな。昔……エンラ様の時代の頃に「絆の証」を取り返そうとしたこと自体は後悔していない。あの時、力を取り戻すことは私にとって必要なことだったのだ」
「……だったら、これでいいだろう? はい、おしまい」
「しかしな。その後が大失敗だった。やることやること裏目に出て……」
「蒸し返すな! 面倒くせえ、角親父が!」
「あの時、小娘が『絆の証』を返してきた時、今回のことを企んでることは予想していたんだ。今、動くのは得策ではないって分かっていたのに、長老が人間たちに便乗して、目的を達成させたらいいだなんて、唆してくるから……」
「何だよ、次はサクヤのせいかよ。まあ、誰のせいにしたところで、てめえの人生ほど、裏目に出る天虚はいねえだろうな。同情くらいはしてやるぜ」
「お前の方こそ、私以上のバカだと思うがな……?」
「俺は、バカじゃねえぞ!」
いや、あえて言うのなら、単純バカ。戦闘バカ。
色々と冠をつけてやりたいくらいだ。
モーリスは足を淀みなく動かしながら、虚ろな目で答えてやった。
「私の計画に勝手に乗っかってきた時から、どうも変だとは思っていたが、そのエンラ様の剣。取ってきたところで、お前に元の形に戻せるのか?」
「…………はっ? てめえ、何言ってるんだ?」
言いながら、フィンは立ち止まり、王子から奪ってきた十字型の首飾りを取り出した。
ここまて話してやってもまだ分からないらしい。合わせてやる必要はないが、モーリスも休憩を兼ねて、足を止める。
「これはエンラ様の剣だ。エンラ様に渡せば、ご自身で……」
「戻せない。これを覚醒させる鍵がない限り、剣は元には戻らない。知らないのか? これは、エンラ様でも扱いに困るもので、不要だから、小さく無害にして人間に渡したんだ」
「でも、これはエンラ様の契約の証で。だから、返してあげたいんだよ。そしたら、エンラ様の力だって元通りに…………」
「エンラ様とて、頼んでいないことを勝手にされても、迷惑だろうな。しかも、不可侵条約に抵触するような……人間に怪我させてまで……」
「あのな、お前だって人間を狙っていたじゃねえか!」
「あの王子はもはや私の半身だ。私が炎で攻撃したところで傷つきはしない。傷つけたいのなら、物理的攻撃でなければな。私はこの機会に、あの王子の力を確認してみたかっただけだ。そう言っていただろう。聞いてなかったのか?」
「…………くっだらねえ。とんだ茶番じゃねえかよ」
フィンは吐き捨てると、畦道から離れた馬車道に目を移した。
モーリスには、見えない何かがフィンには見えているのだろう。この猫の視力は、天虚の中でも抜群に良い。
「あの馬車。昨夜の現場にもいたな……」
「ほう……。派手な馬車か?」
「ぴかぴかしているぜ。日差しの下だと、よく目立つ。四頭馬車だな。庶民は乗れない奴だ」
「上層階級の人間だな。貴族か王族か……。大方、長老の言っていた協力者だろうな」
「…………決まりだ」
言うや否や、フィンは十字の首飾りを渾身の力で放り投げた。がしゃんという音だけは、モーリスにも微かに聞こえた。
「…………おい。お前、窓を割ったのか?」
「たいしたことじゃねえだろ? むしろ、丁重にエンラ様の愛剣を人間どもに返してやったんだ」
――それもそうだ。ガラス一枚くらい、たいしたことでもない。
「……で、どうするんだよ。これから」
「これからも、何も……」
それを考えると、気が重い。
――そして。
モーリスが途方に暮れるのを待ち構えていたかのように、朝日を影のように背負った門番が音もなく降臨したのだった。




