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「…………なにそれ?」
命中こそしなかったものの、巨大な炎球はその場にいる刺客全員を足止めして、恐怖心を植え付けた。
たった一体の天虚を除き、慌てて刺客たちが去って行く。
焦げた臭いと共に、地面は焼きただれ、視界を邪魔するように煙が立ち上った。
呆然と立ち尽くしていたユラが我に返ったのは、ハルアが大きな声を上げたからだった。
「あっ! ユラさん。私は無傷です。ラトナも軽傷ですから、心配しないでください!」
「あのねえ、ハルア。確かに軽傷かもしれないけど、本当に痛いんだよ。分かる?」
「………………二人とも」
彼らのいつものやりとりに、ユラは安堵の息を吐いたが……。
(それにしたって、ラトナ様のあの平然とした態度は?)
ラトナは、ハルアの今の力を知っていたらしい。
「ハルア様。貴方のその能力って、モーリスの?」
けれど、ハルアに向けた質問の答えは、背後からモーリスの口によって返ってきた。
「言ったでしょう? 盗まれたんです。元々、私のものですよ。あの力は」
「最悪な力ですよね!」
脱力したユラとは対照的に、一気に語勢を強めたのは、ハルアの方だった。
「私はてっきり赤髪の金色の瞳の魔物の力だと思っていたのに、もしかしたら使っていくうちに成長するんじゃないかって期待していたのに、こんな弱そうな魔物の力だなんて……」
「何だとっ! 」
彼らしからぬ大音声で、モーリスは一喝した。
「そもそも、エンラ様は雷撃だ。雷帝が雷撃じゃなくて、どうする!?」
「あっ、いや、あの魔物は雷も炎も使えるのかなって思っていたんですが……。貴方の力じゃねえ、直接会ってみて実感しました。…………しょぼい」
「……んだとうっ!? それはこっちの台詞だ。この、へらへら王子がっ!」
モーリスは肩を落としたハルアに向かって、忌々しげに拳を握りしめた。
「私が何年この日を待っていたと思う? エンラ様の不在を見計らってようやく取り返した「絆の証」。逃げる途中で落としてしまったそれを、私がどれだけ必死に探したことか。その力を目の当たりにして、益々怒りがこみあげてきた。まさか、拾い食いをしただけで、ここまで見事に体に溶け込んでしまうなんてな!」
「……はあ。なるほど。私が元々持っていた体質のせいで、力が溶け込みやすかったのかもしれませんね」
気がつくとユラの隣に立っていたハルアは、酷薄な笑みを薄らと浮かべていた。
「それにしたって、この力は月夜にしか使えない、つまらない力です。こんなんじゃ、胸を張ってユラさんに話すことなんて、出来やしないから……。ごめんなさい、ユラさん。私はずっと黙っていました。今夜、活躍したうえで、君をわっと驚かせて告白したかったんです」
「それって、要するに…………?」
格好つけたい。
ただそれだけの理由で、ハルアはこの力のことを、今までユラに黙っていたのだろうか?
(本当に、そんな理由で?)
「………………くっだらない! そんなこと、一言私に話してくれたら良かったじゃないですか?」
「いや、でもね。ユラさん、私は本当に恥ずかしかったんですよ。見たでしょう? あの炎だって、大道芸程度の貧相なものだから、たいした切り札にもならないし……。貴方と比べて私は弱いんです。でも、何も使えないと言っていた人間が、何かちょっとでも芸が出来るってわかった方が面白くないですか?」
「芸……だと?」
それは、完璧にモーリスに対する挑発ではないか。
だが、モーリスの方は怒りながらも、突然襲いかかる真似はしなかった。
感情を抑制した声で反駁する。
「ふんっ、力が貧相だから、嫌だと? 自分の幸運に感謝することだな。普通の人間だったら、あの実を食べた時点で、圧倒的な力の情報に潰されて、正気を保てずに死んでいるはずだ」
「……だから貴方は、私が死んでいないから、不審だったのでしょう? 何度もロカ君たちに『返せ』と言わせていましたが、私がその絆の証とやらを食べたのではなく、持っているだけではないかと、淡い期待でもしていたのですか? でもね。そちらの方がよほど、回りくどいですよ」
「私だってな、平和的な解決を求めていたんだ。仕方ないから、お前の寿命が尽きるまで待っても良いとさえ思っていた。でも、それを、この小娘が余計なことばかり……。探りは入れてくるわ、うるさいわ、気色悪いわ」
「気色悪いとは、何ですか!? だったら、モーリス、貴方もちゃんと私に話してくれれば良かったじゃないですか?」
彼らの主張は平行線だが、肝心なことを理解していない。
せめて、どちらかがもう少し素直だったら、いい格好をしようとしてなかったら、ここまで面倒なことになっていなかったのだ。
「はっ、何を……。簡単に言わないでください。……こんなこと。エンラ様の所から無断で持ち出して、人間に持ち去られて、尚且つ、食べられてしまったかもしれないなんて……。そんな屈辱的な話、つい昨日、雷帝に就いたばかりの小娘な貴方に話せるはずがないでしょうがっ!?」
…………そうなのか?
分からない。
ただ彼の山のような自尊心の高さだけは、よく分かったような……気がする。
「あのー」
そこで突然、ハルアが片手を挙げた。
「愚痴の最中に、申し訳ないんですけど、私はこの能力とは、子供の頃からの付き合いなんで、返せと言われたところで、返しようがないですよ。寿命を待ってもらうしか?」
「どうせ、お前は死ぬまで返す気なんてないのだろう?」
「じゃあ、貴方は私をどうするつもりなのです?」
「こうなったら、いっそ、お前を殺して奪ってやろうか?」
「モーリス!」
すぐさま、ユラがハルアを押しやるようにして前に出ると、モーリスも身構えた。
「……モーリス、貴方にどういう理由があろうとも、人を傷つけることは許せません」
ユラは、羽扇を懐から取り出し、モーリスの顔面に向ける。
「待って、ユラさん!」
ハルアが叫んだ。
彼はユラの弱点を言いたいのだろう。
ユラは素早く攻撃に移すことが苦手だ。
力の加減ができない。
殺してしまうかもしれない。
けれど、今のユラが時間を稼ぐことなど、出来やしない。
せめて、威嚇程度はしなければ……。
(これ以上、嘗められるのは業務の支障になるわ)
意識を研ぎ澄まし、狙いを定める。
………………が、雷撃を落とそうとした瞬間、ハルアの背後にいたラトナ襲撃犯が行動を起こした。
「ご機嫌ナナメだな!? 雷帝!」
「はっ?」
「とりあえず、俺の方の目的は達成させてもらうぜ!」
「…………貴方は!?」
ユラはその存在に完全に出し抜かれていた。
魔物とはいえ、モーリスの部下で名前も知らない存在だと疑っていなかったのだ。
(でも、この声は……?)
ぼうっとしていたのは、一瞬だった。
その一瞬を突いて、電光石火、外套を脱ぎ捨てた魔物の少年は、ユラの頭上に飛び上がり、ラトナを狙ったのと同じ短剣で切りつけてきた。
とっさに羽扇で防いで短剣を薙ぎ払ったユラは、衝突の弾みでわずかに後方に滑ってしまう。
(もしかして……!?)
ユラは体勢を整え、雷撃の狙いを少年に定めた。漆黒の髪の少年は白シャツに黒ズボン姿の軽装だ。こんな少年、ユラは会ったことがないはずなのに……。
集中力が途切れる。
少年の介入でユラに隙が生まれていた。
その隙を、モーリスは逃しはしない。
彼の作りだした巨大な火炎がユラの方に向かっている。
「ユラさん!」
「……こないでっ!」
間一髪で跳躍し、避けたユラだったが、その時には既に少年はハルアの方へと走っていた。
「なんで!?」
狙いはユラではないのか?
咄嗟に反転して、ユラは少年を追いかけたものの、なぜか追いつけない。
(なにっ? 速すぎっ!?)
「ハルア様、逃げて!!」
涙目で叫んだ。
少年がハルアに迫る。
ラトナから距離を取ったハルアは、とっさに腰の短剣で少年の攻撃を弾いたが、少年の狙いはハルアの命ではなかったらしい。
邪魔されたくないとばかりに、ハルアの左手の甲に軽く切りつけた少年は、ハルアが怯んだ隙を見計らって、その胸元に光っていた首飾りを引きちぎったのだった。
「なっ!?」
意外な展開に、ハルアが瞠目した。
「…………エンラ様の剣、発見したぜ!」
『……………………はあっ?』
ハルアとユラ同時に声が漏れた。あれは、ただの十字の首飾りではなかったのか?
どう見たって、剣には見えない。唐突な展開にまったくついていけないのに……。
けれど、次の一言ほどユラを絶望させたものはなかった。
「フィン! 勝手な行動は控えろと!?」
モーリスが怒声を轟かせた。
「………………フィン……って?」
ユラは腰を抜かしそうになった。
「猫じゃないじゃない?」
「へへっ」
フィンは、いたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべていた。
まあ、表情として猫のようにも見えなくはない。尻尾も耳もないけれど……。
「悪いな、人間。今のは不可抗力な……。傷つけるつもりはなかったんだ。俺はただエンラ様の剣を返してもらいたかっただけ。だって、俺たちばかり返してもらって、エンラ様、可哀想じゃん。前にお前に会った時、これかなあ……て思ってたんだけど、やっぱり、正解だったな。見つかって安心したよ。ありがとう!」
何が『ありがとう』……だ?
しかし、この暢気な口調はフィンだ。
間違いない。
「……貴方、人型のフィンってこと?」
「ああ、雷帝。やっぱり知らなかったんだな。そうそう。あの「絆の証」の「またたび」は特殊な効能があるんだよ。人に変化することが出来るんだ。……ほら、凄いだろ?」
フィンは胸を張って、戦利品の銀の首飾りを見せびらかしている。
あの「絆の証」にそんな意味があったとは……。
日中、フィンは門番から人間界に行ったとは聞いていたが、いつもの北方の国だったはずだ。
(まあ、頑張れば、イラーナまで来れないことはない……けど)
獣の足だ。
今は少年の姿になっているが、四足だったら、簡単なことだろう。
(……そうね。私が愚かだったのよ。フィンなんかをまともに信用して……。最初から、モーリスなんて力技で、ねじ伏せたば良かったのよ。……フィンも、ルーガも、サクヤも、皆して、私を無視して、勝手気ままに、掻き乱して……)
出来たら、彼らと仲良くやりたいと思っていた。
ユラが小心者だったということもあるけれど、叶うことなら穏便に済ませたかった。
だけど、彼らの方が仲良くどころか、闘争本能丸出しの天虚であることをユラは失念していたのだ。
――結果、ユラの読みの浅さが原因で、ラトナとハルアを傷つけてしまった。
「私はなんて……」
愚かなのだろう。
(……その程度のことを、分からないなんて)
何が雷帝?
天境王の後継者?
「ふっざけるなっ!!」
…………責任を取れ!
ユラはかっと目を見開き、赤髪を逆立て、羽扇を掲げた。
普段調整に時間のかかる雷は、ユラの感情の揺れに沿うように、瞬く間に落ちた。
わずかに、口元が緩んでしまうのは、きっとこれが本来の雷帝の血が好むことだからだろう。
フィンとモーリスの立ち位置のすぐ隣。
広大な雑木林に、稲光と同時に目が眩むほどの光の塊が降ってくる。
ユラの黄金色の瞳が闇の中、狂気じみて光り輝いた。
「ヤべえ。雷帝がキレた。モーリス、逃げろっ!!」
標的にされたフィンが慌てて、逃走した。
モーリスも顔面蒼白になって、一目散に駆けだして行く。
イラーナ国全体を真昼のよう状態に導いた巨大な白光は、しかし、次の瞬間には、眼前の雑木林を爆音と同時に、灼熱の炎に染め上げていった。
「逃がすかっ!」
ユラは激情のまま、裾を割って後を追おうとした。
…………が、その前方にひらりと黒い影がユラの前に舞いおりた。
今更、現れた門番だった。
「えっ?」
相変わらず白い仮面で顔の見えない門番は、ユラの肩をぽんと叩くと、地面を滑るように彼らの後に続いた。
「…………な、何なのっ?」
(ここは、任せろってこと?)
――まるで、落ち着けと言わんばかりの優しさだった。
(だったら、もっと早く来て欲しかった……)
初めて意思表示した門番に、感情を白紙に戻されてしまったユラは、その場にぽつんと置き去りにされてしまった。
「…………えっと、ユラさん。一応、一難は去りましたね。おかげさまで助かりました」
「あっ」
「……いやあ、凄かったね。ユラちゃん、本当、君、強いなあ……」
二人はひきつった笑みを浮かべながら、ユラの隣にやって来る。
――しまった。
後悔しても、今更だった。
ユラはその場に膝をつき、地面に頭を擦り付けた。
「申し訳ありません! ハルア様、ラトナ様。私はお二人に怪我をさせてしまっただけではなく…………」
皓々と燃える炎。
俄かに周囲が慌ただしくなったのは、誰かが火事の存在に気づいたからだろうか……。
ユラは地面と向かい合いながら、声を震わせるしかなかった。
「………全部、燃やしてしまいました!」




