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陽が完全に落ちた後、ユラはハルアと二度目に出会った田舎道の雑木林にいた。
モーリスは、ここでロカ達と待ち合わせをしたとリエルから聞いたからだった。
残念ながら、ロカの実家でモーリスと鉢合わることは出来なかったが、モーリス自身がそう宣言したのだ。
たとえ、ロカ達がここに現れなかったとしても、今夜、彼はハルアと接触するだろうことは状況的に見て間違いなかった。
ハルアは、仕事帰りにこの道を通る手筈となっている。
彼はようやく「壁画」の仕事を始めたらしく、昼間は大神殿で作業を行っているのだと
観念したように告白した。
今朝去り際に、いずれユラにも、必ず見せてくれると、約束してくれたのだ。
(確かに、ハルア様との別れが見えてしまうのは、ちょっと悲しい気もするけれど)
ハルアが巻いてくれた真っ白い包帯を眺めて、ユラは目を細めた。
「でも、目的を暴かなくちゃいけないから……」
そうしなければ、ハルアは狙われ続けるし、ロカも肩身の狭い思いをする。
サクヤが何をしたのか分からないが、今日モーリスに動きがあったことは、喜ぶべきことなのだ。
これで、事の真相を知ることが出来るのだから……。
(この場でちゃんとした対処ができたら、少しくらい父様も誉めてくれるかな?)
ユラは月を見上げながら、エンラの大きな存在を思い浮かべて、時間を潰していた。
どんなに力を持っていたとしても、しんと静まり返った闇の中で、独りぼっちでいるのは、寂しくて不安だ。
ユラは、生まれてから十数年しか生きていない。
桁違いに生きてきた魔物相手に、毅然と立ち向かうことができるのか、自分でも未知数で怖かった。
第一、自分にあと少しだけ勇気と賢さがあれば、こんなに周囲を巻き込むことなく、モーリスから、直接目的を聞きだすことも出来たはずだ。
きっと、エンラが雷帝だったのなら、速やかに解決していたことなのだろう。
こんな事件自体、起きていなかったかもしれない。
「私のせい……か」
ユラがエンラの力を奪ってしまった。
――だから。
「私はちゃんと、雷帝をやらなくちゃ……」
「…………そう、余裕ですね。雷帝。独り言ですか?」
「…………………………なっ?」
さすがに、そう何度も背中を取られることはなかった。
ユラは、その存在が喋り出す一瞬前に、居場所を把握していた。
だから、驚いたのは、彼の気配が読めなかったことではなかった。
――普通に、彼がユラの背後にいることに、恐怖したのだ。
「モーリス…………? 貴方、どうして?」
こめかみから二本の角を生やした優男は、ユラの前に立っていた。
ユラは、何度も瞬きをした。
まだハルアとラトナはこの道を来ていない。
モーリスが用のある人物はハルアで、ユラはモーリスがハルアに接触したの瞬間をとらえるつもりでいた……はずだった。
――つまり?
「貴方が私を嵌めようとしていたのは、分かっていました。それならばと、逆手に取らせてもらいました。私にロカの家族以外に協力者がいないとでも、思っていたのですか?」
「…………そん……な」
「小娘の浅はかな頭で、一体何をしたかったのですか? 貴方は甘すぎる。私がもし、ロカの一族を皆殺しにするつもりだったら、どうするつもりだったのですか? 追い詰められた私が何をするのか見当もつかなかった……と?」
「それは、貴方が何も言わないから……」
ユラもむきになって言い返したものの、突然、夜の静寂をぶち壊す集団の声が上がったことで、完全に気勢がそがれてしまった。
「ルフィア王子。覚悟っ!!」
「なっ!?」
右方向からやってくるハルアとラトナの二人に、今まさに黒ずくめの十数人の集団が襲いかかろうとしている。
(どうして……?)
刺客は人間のようだった。
ロカたち一族ではない。
大剣を闇の中に閃かせ、殺気をみなぎらせて、ハルアとラトナに斬りかかろうとしている。
「ハルア様っ、ラトナ様!!」
ユラは怒声を上げ、懐から羽扇を取り出した。雷撃で止めるしかない。
そうでなければ、あんなに大勢の人間を相手に、ハルアとラトナが無事で済むはずがない。
――しかし。
「人間同士の諍いに、雷撃を使う……と? 命中して死んだら、不可侵条約違反ですね?」
「違うわ! そんなつもり……!」
「……刺客たちとて、人間ですよ?」
(…………あっ)
ユラの手は一瞬、止まった。
もしも、この時、絶対に刺客に怪我をさせないという自信があったのなら、ユラは雷撃を放つことも出来たはずだ。
だが、ユラの自信のなさが決断を鈍らせた。
その隙をつくように、モーリスは淡々と話し始める。
「ご安心を。同胞を手にかけるような下卑た真似を私はいたしません。ロカとその仲間たちは無事です。元々、王子を殺すよう指示を出したのは、貴方をあの集落に足止めしたいと思ったからです。私にも私の事情がありますからね……」
「モーリス……」
きつく睨みつけたものの、今はそれどころではない。
(ハルア様と、ラトナ様を助けないと……)
雷撃を使わずとも、助けることは出来るはずだ。
その力をユラは持っている。
幸い、ハルアもラトナも腕が立ち、圧倒的多数の刺客に囲まれても、持ちこたえている。
「ハルア様、ラトナ様、今、助けます!」
ユラの叫びに、ラトナが息を切らしながら応じた。
「あのさ……? ただの囮役から、本格的に狙われてるってことは、ユラちゃん……。これって、僕たちまずいことになっているってことなの!?」
「ラトナ、問わずとも分かるでしょう? これは人間です」
ハルアがどういう訳かこの状況で笑っている。
本当に変態だった。
「ああ、こんなことなら、もう少し運動しておくんでした。最近、仕事ばかりで鈍っているから」
しかし、自虐的な言葉を発しながらも、ハルアの剣筋は鋭く鮮やかだ。
凄いと認めざるを得ないほどに、二人の動きは速い。
でも、どんなにここで踏み留まったところで、相手の数は圧倒的なのだ。
(二人とも強いけど、……疲れてしまったら、そこで殺される)
急がなければ……。
ユラは下駄を脱いで全力で駆けた。
――だが、モーリスの方が引き下がってくれない。
「ひどいですね。貴方の相手は私でしょう?」
余裕たっぷりの台詞と共に、彼の手のひらから炎が飛んでくる。
「貴方、炎使い!?」
「そんなことも知らなかったんですか?」
ユラは、高く跳躍して、ふわりとかわした。
「どうして、こんなこと……!?」
「…………確認をしたいと思っただけです。貴方と彼の力を。そうしたら、丁度、王子の命を狙っている人間がいたので、一枚噛ませてもらいました」
「ハルア様を狙っている人間…………?」
しかし、そこで話し込んでいたのがいけなった。
「…………つぅっ!」
唸り声をあげて、ラトナが地面に膝をついたのが視界の隅に入った。
「ラトナ様!」
「ラトナっ!?」
ハルアが珍しく声を荒げた。
ラトナの指の先から滴り落ちる鮮血が地面に黒い染みを作っているのが、ユラの位置からでも確認できた。
「なんてことを……」
怪我をさせてしまった。
(私のせいで……)
…………絶対に護ると誓ったのに。
ユラは、怒りに体を震わせた。
(こうなったら、人間であろうと容赦しないわ。不可侵条約など知ったことかってことよ)
元々、ユラが撒いた種ではないか。
それをモーリスに上手く利用されてしまった。
「モーリス、そこをどけ」
「どきません」
「どけと言っているんだ!!」
…………しかし。
ユラがモーリスの手を逃れて、攻撃体勢に入る前に、ハルアがラトナを庇いながら、前に出ていた。
「どうやら、刺客の中に人でない魔物が混じっているみたいですね。貴方、一体、誰なんです? …………もしかして、私は貴方に会って…………?」
「ハルア様っ!?」
転瞬、体格的には、ロカと同じくらいの小柄な何かが刺客の中から、わっと飛び出し、ハルア目がけて突進して来たのだ。
「くっ!」
「ハルア様!?」
ハルアは刺客の剣を薙ぎ払って勢い、後ろに大きく退いた。
夜風にうっすら土煙が見える。
(…………あれが、ラトナを斬りつけた犯人?)
確かに、人ではない。
速さが尋常ではない。
そして、ハルアが体勢を崩したことを見定めたかのように、再びハルアに向かって走り出していった。
「させるかっ!!」
ユラは声を枯らして、飛んだ。
モーリスが追いかけてくるが、知ったことではない。
その時、ハルアは剣すら構えていなかった。
片手に剣をぶらりと下げたまま、間合いに誘いこむように、目を閉じている。
(まさか、ハルア様は死ぬ気なのでは……?)
そんな恐怖が全身に走り、二人の間合いに入ったユラが振り上げた手は震え、目標が定められなくなってしまった。
その隙を、モーリスは逃さなかった。
「モーリス!?」
彼は、ユラの腕を掴み、雷撃を封じてしまったのだった。
「放せ、モーリス!」
「何を小娘のように息巻いているのです。雷帝。……ここは大人しく見ていてください」
「ふざけるなっ!!」
最低だ。
こんななぶり殺しに等しい、悲惨な光景を見ろと言うのか……。
(だったら、私がこいつを殺して……)
しかし、ユラが本気でモーリスに殺意を抱いた瞬間、突如、闇の中に、紅蓮の火柱が上がった。
「…………えっ?」
その瞬間、何が起こったのか、ユラにはさっぱり理解できなかった。
「何?」
「あれこそが、盗まれてしまった私の力ですよ」
「はっ?」
それは以前ハルアが言っていた……。
「人の心を読む力」ではなかったのか?
「それって……?」
(…………要するに?)
ハルアがユラに本当のことを伝えていなかったということだ。
「…………嘘でしょう!?」
「ご存知なかったのですか……」
知っていたら、もう少しまともな対応ができただろう。
…………そうして。
ハルアは唖然としているユラの目の前で、真紅の炎の塊を手中に作りだすと、自分に向かってくる魔物に向かい、余裕の体で球体を的にぶつけるように放ったのだった。




