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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第6章
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1

  集落を抜け出して、リエルがわざわざユラに報告に来たのは、早朝のことだった。


『あの方がさ、今夜王子を狙って欲しいって言ってきたんだよ!』


 モーリス本体が来たわけではなく、「水鏡」というものを通してモーリスの幻が口にしたらしい。

「水鏡」という単語を、ハルアは生まれて初めて耳にした。

 ユラ曰く、魔物は、水を通して会話をすることもあるのだそうだ。

 正直、大変興味深い。

 リエルの集落に行って、現物を目にしたいほどに、心惹かれる。

 だから、ハルアだって行けば良かったのだ。

 ユラと一緒に……。

 実際、ユラとロカは二人で、集落に向かった。

 今、そちらに行ったらモーリスに会えるのではないかと、期待したらしい。

 しかし、ハルアにとって、モーリスという魔物は、心底どうでもいい存在であった。

 ハルアにとって重要なのは、如何にして、あの鈍感娘ユラに自分の気持ちを伝えるかという……その一点のみだった。

 機会を逃したら、彼女は何事もなかったかのように、あちらの世界に帰ってしまいそうだ。


 ――だから、ロカの集落には同行しないことにしたのだ。


 とにかく、まず壁画を完成させてしまいたかった。

 その上で、ユラにちゃんとすべてを伝えたかった。


 多分、今の時点であるがままの真実とハルアの気持ちを説明しても、ユラは納得してくれないだろう。むしろ、先日のように幻滅されて二度と会わないと宣言されてしまう予感がする。


 …………彼女に嫌われたくない。


 嫌われずに、真実を告白する舞台装置をハルアは早急に作る必要があった。


 ――ユラは、ハルアの作品が好きだと言ってくれた。


 完成した壁画を目にしたら、多少、彼女の警戒心も和らぐかもしれない。


(……頑張って、完成させよう)


 こうなってくると、ハルア自身、謎の意地になっていた。

 かつての自分は「あの魔物」に会うことさえできれば、その「魔物」にどう思われても良いと思っていた。

 ただひたすらに会いたい……その一心だった。

 けれど、今はそれだけじゃない。

 それが何だか分かりたくないけれど、胸のあたりがざわざわとするのだ。

 …………どうしようもないくらいに。


「女の子なんですよね……。何かこう、やっぱり、女の子っていうか……ね」

「――あのさ。ハルア。君、相当危ないよ。いい加減、ちゃんと寝た方がいいと思うんだけどね?」

「ああ、とうとう声に出ていましたか……」


(末期かもしれない……な)


 ハルアは、筆を調色板に置いて、息を吸った。


 ――大神殿の「祈りの間」。


 現王朝の繁栄を祈る意味で建立される意味合いが強い今回の大神殿は、神殿という割に宗教色がきわめて薄く、歴代国王を称える作品を創作した方が建物との調和も取れそうだと、予てよりハルアは思っていた。

 今、ここには、ハルアとラトナしかいない。

 あとは危険を承知で来てくれた数人の絵描きたちだけだ。

 今夜、魔物の来襲があると聞いていたので、万が一を考えて、作業人数をごく少数に絞った。

 このまま、ユラとロカがモーリスに会えなかったら、今夜、ハルアはモーリスという魔物の囮役となるようだ。 


(魔物の囮役……ね) 


 ――稚拙だ。

 多分、他にも方法があるはずなのだ。

 仮にも三千年も生きていた魔物相手に、そんな正攻法な手があるのか……。

 裏をかかれるかもしれない。

 …………でも、彼女の考えがどんなに馬鹿げたものであっても、ハルアはそれに異を唱えることはしたくなかった。

 それに、長引けば長引くほど、壁画完成まで時間を稼ぎたいハルアにとっては有難いことなのだ。

 ユラに話した通り、モーリスはハルアを殺すつもりはない。

 最悪、ハルアだけでも対処できるだろう。


(私は、腹黒いな……)


 自覚はしている。

 彼女と対等でいたいがために、ユラに隠していることは、まだまだあるのだ。

 もし、その一つを使うことが出来たのなら、格好よく決めることもできるかもしれない。


 ――幸い、今夜は満月である。


「私は馬鹿ですね、ラトナ。きっと、何処かで壊れてしまったんでしょうね……」

「それ、今更だよね? あのさ、ハルアいつにも増して変だよ。眠れなくとも、少し休んだ方がいいんじゃないかな。作品にも支障がでるし。こっちも君の都合に合わせて、人出を揃えたり減らしたりするのって、大変なんだから」

「言葉を返すようですが、無理難題をふっかけてきたのは、そっちですよね。人手に関しては、お前がどうにかして下さい。ちなみに、私の頭は、もう駄目ですが、まだ体は持ちそうですから」

「…………ふん。いつも、無駄にへらへらしているくせに、そういうところは、やけに手厳しいんだから。夜だけ壁画を描きたいとか言ってたのだって、大方、あの子にあくせく頑張っている姿を見られるのが嫌だったんでしょう? 格好つけの変態男め。周囲にとっては、迷惑極まりない変態だよ」


 ラトナは大欠伸をして、涙目でハルアを睨んでくる。

 変態を二回も連呼されてしまった。


(……まあ、罪悪感の欠片くらいは、持っているんですけどね)


 ――夜に壁画制作をしたい。


 そんなハルアの我儘に付き合わされているラトナとしては、今宵の囮作戦も、傍迷惑な話だろう。

 おかげで、今日だけ昼間の壁画制作となってしまった。

 彼の苛立ちも、ハルアの心に伝わってきている。


(本当は、私一人がこもって、数十日で完成させることが出来れば良いんでしょうけど……)


 何しろ大神殿の壁画だ。作品の規模がとてつもなく大きい。

 壁画は、ただ絵を描けば良いというわけではなく、独特のやり方と、速さが必要となってくる体力勝負の仕事だ。ラトナには、大勢の人間を動かす上で、いてもらわなければならない役目がある。

 だが、未成年のロカを無謀な夜通し作業につきあわせるのは酷な話だ。

 ロカを呼ぶのは完成間近で良い。

 ……そう思っていたから、壁画の制作をしていないなんて、嘘を吐いた。

 でも、それも酷い話だろう。


(それも、分かってはいるんだけどな……)


 ――主題は、ユラが口にした通り「暁の女王イラーナ」。


 薄暗い夜の世界を蹴散らす強さを描きたかった。

 無論、モデルはユラで……だ。


「お前から、これを預かっていたのは幸いでした。おかげで、良い作品が創れそうです」


 ハルアは、壁画の上部まで設けられている木組みの足場から足早に降りて、胸元の十字の首飾りを掲げて見せた。

 ラトナは眠そうな目を擦りつつ、口元を僅かに緩める。


「なら、良かった。君が三千年前の魔術系の装飾品が良いって言うから、神殿で探すのに苦労したけど。でも作品を見る限り、役に立ったみたいだし、僕も頑張った甲斐があった」

「ええ。子供の頃から憧れの人ですからね。私も、妥協ができないんですよ」


 そう言って、ハルアはもう一度、制作中の壁画を仰ぐ。

 壁画そのものというよりユラが喜んでくれた笑顔を想像して、口元に笑みが上った。


「憧れの人……ね? 人って形容している時点で、間違っているような気がするけど。君、ユラちゃんに耳やら尻尾やら牙が生えてきたら、どうするの? 有り得ることだよね」

「別に、どうもしませんけど?」


 あっさり返すと、今度こそ、ラトナは絶句した。


「は、初恋って怖いんだね。こじらせると、そこら辺の小石も、愛しくなっちゃうのかな」

「お前のたとえが酷いのと……、初恋って何のことでしょうか?」

「いや、だって、初恋……なんだよね?」


 何を言っているのだろう。この男は……。

 ハルアは、ラトナの俗っぽい表現を嘲笑った。


「まさか。そんな薄っぺらいものじゃありませんよ。子供の頃に見たあの人は、本当に神々しくて、そのような崇高な存在に、邪な感情など抱いて良いはずないじゃありませんか?」

「いや、だって、あれ? 僕は陛下から、ハルアに春が来たって聞いていたんだけどな?」


 なぜかラトナは、一人で混乱している。


「じゃあ、君にとって、あの子は? 信仰の対象みたいなもんってこと? どう見たって違うよね? いじり倒しているじゃない?」

「私はいじってなどいません。彼女といると緊張して、上手い言葉が出ないだけですよ。失敬な男ですね」


 どうして、ラトナの言葉は、低俗なのだろう。

 出来れば、この件に関してはハルアの胸の内にひっそりと秘めておきたい。

 けれども、他に相談相手もいないハルアは、ぽつりと本音を漏らしてしまうのだ。


「……ですが、確かに、彼女が普通の女の子にしか見えなくて、困っているんですよね。どうしてなのか? すぐに変わる表情とか、柔らかい手の感触とか、肌の温もりとか、何か、こう……どきっとしてしまって。胸がざわついて。触りたい衝動にかられてしまって、私は一体、どうてしまったのでしょうね?」

「あの、……だからさ、そうなんだよね? 君さ、かえって生々しい表現で、過激な変態っぽくなっているから、気をつけた方がいいよ」

「やっぱり、私には、お前の言っていることが下劣にしか聞こえないのですが?」

「いやいや。君は一度、自分の言動をちゃんと振り返ってみた方がいいよ。絶対」


 ――とそこまで、捲し立ててから、ラトナは目頭に手を置いて、盛大な溜息を吐いた。


「本当にね、子供の時、僕が君から目を離さなければ……」


 ――始まりは、旧王宮の跡地だった。


 ラトナの母が古代史好きで、そういった旧史跡に足を運ぶことがたまにあったのだ。

 当時、先天性のおかしな能力のため、絶望感に苛まれ、壊れてしまうそうだったハルアを慮った父が、気分転換に行っても良いという許可を出してくれた。

 唯一、開放的になることのできる素晴らしい遊び場で、ハルアは、ラトナとかくれんぼをして遊んでいたのだった。


 ――その時のことだ。


 ハルアが赤髪の男と出会い、常闇の異世界に迷い込んだのは……。


「私は感謝しているのですよ。ラトナ。それがきっかけで、私は生きているんですから」

「いや、明らかに、方向性が斜め上に行った生き方になっちゃったけどね。おかげで僕も命懸けになっちゃったっていうか……」

「大丈夫ですよ。死なない程度に、私も頑張りますから。実際、多少は力もあるのです」

「君は本当に…………馬鹿だと思う」


 おそらく万感の思いを詰め込んで、ラトナは呟いたのだろう。ハルアも笑うしかない。


「どうもありがとう。私は、格好つけの変態男なので、強みであっても、同時に弱みになることは、麗しの君に公言したくないのです」

「直した方がいいと思うけどね。その性格。絶対、友達なくすし、女の子も逃げるし」


 何か、まだぶつぶつ言っているが、もう放っておこう。


 ――――そろそろ、時間だ。

 彼女が待っている。


 作業をやめ、後片づけを素早く済ませたハルアは、今宵の舞台に足早に向かうことにした。

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