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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第5章
35/56

7

 イラーナでモーリスに撒かれてしまったと、門番から報告を受けたユラは、ハルアの邸宅に急いで駆け付けた。

 人間界の時刻は、鳥居の先の明るさで判断するのだが、今日はまだ暗い。

 自然豊かな邸宅の庭の森も、まだ暗がりの面積が多かった。

 ハルアの警護をしていたもう一体の門番が同化した闇から、ユラの訪れを察知して姿を露わにした。

 目深にかぶったフードは、頭の天辺から、爪先まで黒一色で覆い隠してしまい、表情も白い仮面でうかがい知ることは出来なかった。


「……異……常は、ありませんでしたか?」


 息を切らしながら、ユラは黒い影に問いかけた。


「………………」


 無言だが、門番はうなずいてくれたので、安心した。


 ――モーリスは、まだハルアの所に来ていない。


 ほっとしたものの、まだ油断できない。

 ユラは、それ以上門番とやりとりすることはなく、ハルアの屋敷内を走った。

 庭に面している仕事部屋へと一直線に向かう。

 正面から入ると、ハルアの仕事部屋にたどり着くのに、時間を要してしまうためだった。

 昔の国王の別荘だったという建物は、古びた感が瀟洒に見えるよう、さりげなく修復をされていた。おそらく、ハルア自身がやっているのだろう。芸術家らしい丁寧な仕事をしているようだ。


「ハル……ア様?」


 人の気配を感じて、叫ぼうとしたら、しかし、男の声がしたので足を止めた。

 こんな時間から、誰かが来ているらしい。 


「本当に持っていないというのか?」

「ええ。だから、何度も、言っているじゃないですか?」


 ハルアの苦りきった声が耳に届いたことで、ユラはようやく足を止めた。

 イシャナが来ているらしい。

 甲高い声の特徴で、すぐに分かったが、部屋の前に立ってみたら、窓越しに、やっぱり……というほど、露骨に王子様然の煌びやかな格好をした姿で直立しているのが見えて、苦笑してしまった。


「そんなもの、私は持っていません。この屋敷の中を隅々探して頂いても結構ですが?」

「嘘つけ。お前が魔術に傾倒していることは、分かっているんだぞ」

「……それは、兄上の方じゃありませんでしたっけ?」

「私を愚弄するのか?」

「その言い方は、魔術を愚弄しているようですね。一応、魔術も立派な学問なんですが?」


(あれ? 壁画の締切りはまだ先よね……。馬車は、なかったような気がしたけれど……?)


 しかし、そんなふうに、物思いにふけっていたら……。


「うおおっと! 何だ。魔女だ。魔女が窓の外にいるぞ!」


 派手に発見されてしまったらしい。驚きもするだろう。

 朝っぱらから、白装束の女が幽霊のように髪を振り乱して立っているのだ。


(急いでいて、変装してくるのも忘れちゃったわ……)


 今回こそ、本気で逃げようかと迷っていると、ハルアがユラの前に出て庇ってくれた。


「魔女じゃありませんよ。兄上も一回会ったでしょうが?」

「何だと? 今日はいつにも増して怪しい格好をしているじゃないか!?」

「私の趣味に合わせてもらっているのです」

「趣味って……?」


 朝一番に何を口走っているのだろう。

 この人は…………。


「ふん、お前のとんでもない趣味にとやかく言うつもりはないが、あれだけ私が父上に進言したのに、まだこんな怪しい女と別れていなかったなんてな……」

「……えっ? 別れるも何も」


 ユラが素直に訂正しようとしたところで、ハルアが大げさな素振りで、肩を落として見せた。


「……ええ。別れるも何も、私の一方的な片思いでしてね。ずっとフラれ続けているのです」

「ちょっと……ハルア様?」


 また、変なことを迫真の演技で言い出した。

 いよいよ黙っていられなくなったユラを制して、ハルアは窓を開け、壊れ物でも扱うかのように、ユラを部屋の中に招き入れた。


「今日もお会いできて、うれしいです。おはようございます。ユラさん」

「おはよう……ございます。ハルア様」

「ふん。毎回、立ち聞きばかりしている変な格好した野蛮な魔女め。まったく! こんな女に懸想するとは、お前も落ちたもんだ」

「いや、魔女というか……ですね」


(魔物そのものだったりするんだけど……)


 しかし、さすがに、これは黙っておいた方が良いだろう。ハルアも目でそう言っている。

 申し訳なさそうな笑いを浮かべるしかないユラに、苛立ちがを抑えきれないのか、乱暴に床を蹴りあげたイシャナは、ユラの入って来た窓から足早に出て行った。


「不愉快だ。……帰る! ちゃんと、今日も作業に来るのだぞ! 絶対だからな!」

「はい。それは、もちろん」


 長ったらしい外套を引きずりながら去って行く大柄の男の姿が遠くなっていくと、ハルアはどんよりとした溜息を落とした。 


「すいません。あんな兄で……」 

「いや、別に。私も困った身内ならいますから……て?」


(やだっ! それどころじゃないんだった……)


 ユラは、ハルアの全身をくまなく目で探った。見たところ、着衣に乱れはなさそうだが。


「何でしょう?」

「ハルア様は、どこも怪我はしていませんよね?」

「怪我と言うのなら、たった今、精神的な苦痛を被ってはいましたけど?」


 ――つまり、無傷ということだ。 


「ああっ。良かった。門番は撒かれるし、小さいジイさんには脅されるし……。心配になっちゃいましたよ」

「小さいジイさん?」

「あっ、いえ」


 またしても、口を滑らせてしまった。


「すいません」


 それ以上、何も言えなくなってしまったユラに、ハルアは澄んだ笑みを向ける。


「大丈夫ですって。言いたくないことは言わなくても。感情で伝わるものは伝わるし。それに、私はねそっちの世界に行きたいわけではないんですよ」

「では、貴方は、一体何がしたいんですか?」

「だから、散々言っているでしょう。……ただ、会いたいだけだって」

「例の、赤髪の金色の目をした魔物にですか?」

「ええ。それ以外、私の生きている意味なんてありませんから……」


 とうとう、魔物が彼の生きる意味にまでなってしまった。


(父様。どうして、こんな面倒臭い人、そそのかしちゃったのよ……?)


「それにしても、君がこんな時間から来てくれるなんて。嬉しい偶然で、助かりましたよ。聞いていましたか? 兄上は、私のところにイラーナ女王の剣を探しに来たそうですよ」

「剣って、あの……?」

「ええ。正確には、イラーナ女王に魔界の王が託した剣という奴ですけどね。丁度、君と話をしていた後だったので、正直、驚きました」

「その剣を一振りしたら、数百人が犠牲になるという、あの剣ですか?」

「まさか。本当に、そんな妖剣があったら、とっくに世界は崩壊していますよねえ?」

「信憑性のある話ですから、剣があるにはあるのでしょうが、そんな効果があるかどうかは、私にも分かりません」

「もしかしたら、未発掘の古墳の中にでも、眠っているのかしれませんね」

「どうして、イシャナ王子は、剣なんて探していたんでしょうか?」

「少なくとも、社会貢献のためではないでしょうね。あの人のことです。文献をあさっていたら、たまたま発見してしまっただけでしょう。今日は特に殺気が強くて、疲れました」


 そう言ってハルアは欠伸を押し殺した。ハルアの仕事部屋は、朝日に包まれている。

 眩い部屋の中で、なぜか物寂しく感じたのは、ここにハルアしかいないからだろう。


「……今日は、ロカ君いないんですね?」

「ああ、まだ朝も早いですからね。ロカ君もラトナも寝かせたままです。特にロカ君はあの日以来、謝罪人形のようになってしまってね寝かしつけるのに苦労しました」

「えーっと」


 責任の一旦は、ユラにもあるのだが……。


(……それにしたって?)


 この国の第一王子の来訪だ。普通は、従者が最初に応対するものなのではないのか?


(本当に、何でも自分でやる王子様よね?)


 見た目は王子だが、中身は庶民より機動的のようだった。

 今も、きびきびと、イシャナに出した茶を片している。


「では、私もこれで一旦失礼します」

「どうして?」


 途端に充血した目で、睨まれたので、ユラはごくりと息を呑んだ。

 まるで、ユラがいけないことをしているかのような雰囲気だ。


「どうやら、モーリスが動いたみたいなんです。ロカ君の実家が心配なので、ちょっと私、見て来ようと思って……。ちゃんと、ハルア様のところには二体、護衛を置いておくので、異変を察知したら、片方が私に連絡を寄越すように……」

「ちょっと待って下さい。 ……君」


ハルアは、おもいっきり眉根を寄せてユラを睨んだ。


「な、何ですか? 私、何か悪いことでもしましたか?」

「血……、出ているじゃないですか?」

「あっ、えっ、これ……ですか?」


 ユラが負った手の甲の傷のことを指摘していしたらしい。

 とっくに出血は止まったと思っていたのだが……。

 まだ血が乾いていなかったようだ。


「……その傷、どうしたんですか?」

「えっ、ああ、ちょっと自分の剣で、すぱって切っちゃったんですよ。でも、大したことありませんから。お見苦しいものを、お見せしてしまって、すいません」


 血の色が赤いのは、有難いことだ。緑だったり、青だったりしたら、さすがのハルアも逃げ出してしまったかもしれない。


「すいません……じゃなくて……ね?」

「ああ、もしかして、血が苦手でした? ちゃんと、洗い流してきますから」

「いいから、君。ちょっと、そこに座っていて下さい」

「いや、ですが……」

「モーリスは、ロカ君たちには手を出しません。悪い魔物ではなさそうですからね」


 ハルアの口ぶりは確信めいていた。

 しかし、いくら、感情が伝わる……とはいっても。


「ハルア様、貴方は狙われたんですよ? 自覚あります?」

「あれは、脅されただけですよ。別に殺されそうになった訳ではありません。人間よりマシじゃないですか」

「じゃあ、貴方はどうして?」


 ――だったら、ユラに警護を頼む必要もないではないか。

 しかし、そんなユラの気持ちだって分かっているくせに、返事を寄越さず、こんな時だけ王子様の命令口調になるのだ。


「短時間で済みますから。そこにいるのですよ。いいですね?」


 反論は許さないとばかりに、ユラを椅子の前まで誘導すると、ハルアは珍しく足早になって、仕事部屋から出て行ってしまった。


「…………何……なの。一体?」


 ユラは仕方なく、ずるずると、いつもの自分専用椅子に腰掛けたのだった。

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