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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第4章
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2

「あの……おっさん」


――いつものハルアの邸宅。

 茶の準備を終えて、仕事部屋に戻る途中、ユラは内心の悲鳴を声に出してしまった。

 そして、そういう時に限って、聞かれたくない人間が背後にいる。


「あれ? どうしたんですか、ユラさん?」

「ひいっ……! ロ、ロカ君!?」

「呻き声が聞こえたんで、心配になって来たんですけど。大丈夫ですか?」

「うん。体だけは健康だから。ちょっと、頭はやられちゃってるけどね」

「はははっ。やっぱり、ハルア様の言う通り、ユラさんって、とても変わってますよね」


 ――いやいや。変人の代表は、間違いなくハルアだろう。


 しかし、ロカはユラの反論を聞く前に、無邪気に笑いながら、仕事に戻って行く。

 ユラはロカに雷帝であることを告げていない。

 一時的な雑用係だと、ハルアがユラのことを紹介し、ロカはそれを信じきっていた。

 感情がすぐ顔に出る少年なのだとハルアが言っていた。

 彼がユラに対して、身構えていないということは、ハルアが頼んだ通り、ロカの身内も彼に接触をしていないということだ。

 本当に、真面目な少年なのだ。

 ユラが見ている限り、いつも忙しなく働いて、ハルアの仕事を助けている。

 とても、人を襲うような天虚とは思えなかった。


(何とかしなくちゃ……)


 この子のためにも、あの食えない二本角の天虚をどうにかしなきゃいけない。


(だから、このままじゃいけないって、思っているのに……)


 何でか、今日も、ユラの机には果物がたっぷり乗ったタルトが準備されていた。


(客人じゃあるまいし……。毎回、何でなの?)


 お茶のことは、理解できる。

 ハルアとロカの分を淹れて、尚且つ残ったものを、自分の分にしてもらっている。

 ――けれど、このタルトは何なのか?


(どうして、こんな大層なものが、いつも私ばかりに……)


 調理した甘い菓子は、天境界にはないのだ。

 精々、植物の蜜を集めてデザート代わりにする程度である。

 それがハルアの邸宅に出向く度に、ユラの分が出てくるのだ。

 ユラを餌付けすることに狙いがあるのか、それともただの善意なのか……。

 善意であるのなら、礼の一言でも口にしたかった。


(……でも、ハルア様がただの善意で、こんなことするはずないし?)


 後々、食べた分の金銭を要求されるのではないだろうか?

 いかにも、言いそうだ。満面の笑みで、利子もつけて請求されそうな予感がする。


「ロカ君。空の青の配合をお願いします」

「はいっ! ただいま」

「ロカ君。木炭を下さい」

「すぐにお持ちします」

「……ロカ君」

「何でしょう?」

「彼女が食べていないのですが?」

「えっ? あっ。すいません。ユラさんは、タルトがお嫌いでしたか?」

「違います。心の底から大好物です」


 ユラは、突然自分に振られた話題に、呆然としつつも、全力で首を振った。

 一体、ハルアは、この先、ロカのことをどうするつもりなのだろうか?

 日頃とまったく変わらない態度なのは、賞賛に値するほどの演技力だ。

 けれど、請け負った仕事の締切日に向けて、黙々と邁進している彼の姿を見ていると、もしかしたら、この一連の事件が解決しないことを願っているのではないかと、疑いたくなってしまう。


(まあ、そもそも、私に責任があるんだけど……)


 やはり、早々に天境界で八連衆を招集して、モーリスを糾弾するべきなのだ。

 それか、自分の力を見せつけ、モーリスに自白させるか……。

 自白剤を何処かで仕入れて、モーリスに盛るとか……。


(我ながら、卑劣すぎるわ……)


「ユラさん……?」

「あっ、とっても美味しいですから。ロカ君」


 微笑みながら、ユラは一口でタルトを頬張る。

 ……しかし。


「すっごいですね!」

「はっ?」


 今までユラの存在を忘れたかのように、真っ直ぐ画布を睨みつけていたハルアが、こんな時に限って、ユラを凝視していた。


「タルトを一口で綺麗に食べきった人を、私は初めて見ました」

「美味しかったので、つい」

「そうですか。それなら、買ってきた甲斐もありましたね。どうぞ、私の分も召し上がってください」

「い、いいですよ。こんな高級品。ハルア様が食べて下さい」


 そんな高価な代物を二つも頂けないと、遠慮したつもりだったのに、ハルアはきょとんと目を丸くしていた。


「私は、ただ君が一口でタルトを頬張る様をもう一度見てみたいのです」

「珍獣扱いということですね。有難うございます」


 だったら、欲望のままに二つ目をがぶりと食べてやろうか?

 しかし、その言葉を口にする前に、あっさりロカがお代わりのタルトを持ってきたので、ユラはそれこそ恥ずかしくなった。


(何なのよ。まったく?)


 不自然だ。絶対におかしい。

 ユラ不在時は、門番に頼んで、ハルアを見張ってもらっているものの、彼があの日以来狙われた形跡は一回もなかった。


(何だったのかしらね。一体……)


 ハルアは今まで何度も狙われていると言っていたけれど、あれは、すべて嘘だったのか?


(時間を作って、私がここに来る理由って……)


 それでも、やっぱり足繁くハルアの邸宅を訪れてしまうのだ。

 ユラ自身、彼の作品を見たいのかもしれない。


「…………綺麗ですね」


 ユラの位置から、ハルアの描いている絵を垣間見ることが出来る。


 ――青空と緑の草原。


 年代物の調度品が並んでいる室内とはまるで違う、広大無辺な世界が広がっていた。


「そうでしょうか?」


 ハルアは、眉間に幾つも皺を寄せて小さな画布の中を覗きこんでいた。

 彼は人に対しても、時折、皮肉を吐くが、自作に関しては、辛辣の度が過ぎていた。


「いっそ、捨てたいくらい、私は気に入らないのですが?」

「何を言っているんですか……。絶対、駄目ですからね」

「どうして?」


 ユラは説得力を発揮するために、立ち上がってアルの後ろで絵の前に立った。

 まじまじと、目にすれば、思ったとおり、両手を広げたくらいの大きさに、懐かしさを覚える優しい空気が溢れている。


「これ、すごく良い絵ですから……」

「……つまらない。ありきたりな絵です」

「それがいいんです。これがハルア様の世界なんですって」

「これに比べたら、君の描くブタの方が良いと思うんですけど?」

「いつまで、それを引っ張るんですか?」


(第一、あれはブタじゃないし……) 


 嫌がらせにしたって、ひどい。

 ……なのに、いつだって、ユラの機嫌が悪くなるのと反比例して、ハルアの表情は和らぐのだ。


(……何なの?)


 ユラを怒らせて、楽しむ趣味でもあるのだろうか?

 ハルアのことだ。そんな変態的な嗜好があってもおかしくはない。


「まあ、そうですね。もう少し色を重ねれば、商品にならないこともないかもしれませんね。やっぱり、君は、こういうのが好きなんですね?」

「ええ。大好きなんです。だから、頑張って描いて下さいね。応援していますから」

「頑張って……ですか。君が大好きだと言うのなら、仕方ないですね」


 ハルアは淡々としている。

 ユラは不安になって、小声で言葉を重ねた。


「ちなみに、私が本音で言っていることは、伝わっていますよね?」 

「ええ。それは、ちゃんと分かっていますけど……」

「もしかして、私に応援されるのは、迷惑だとでも言いたいんですか?」

「それは違います。どちらかといえば、それくらいしか、私には描く理由がないのです」


 平常通りの変態的な言動に安心してしまうユラもどうかしているが、彼の冷めた表情が気がかりだった。

 温かで優しい作品を造るのに、彼はどこか他人事のように自分を見ているような節がある。


「あっ、ところで、ハルア様、壁画の仕事はどうなっているんですか? やっぱり大作ともなると、足場とかも組んでいるんですよね? 下描きは、誰かに頼んでいるとか?」


 ようやく、ユラの淹れた茶に口をつけたロカが気安く訊ねた。


(そうだったわ……)


 そもそも、その壁画制作の期間だけユラは頻繁にここに来ることを許されているのだった。いろんなことがあって、忘れかけてしまっていたが……。

 ハルアは再び画布を睨みながら、数瞬の沈黙の後、ぽつりと呟いた。


「そういえば、そういう仕事もありましたね……」


 広い仕事部屋が瞬く間に、凍り付いた。

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