5
今日は、竪琴の音色だった。
トワの創りだす美しい音に、ユラは目を閉じ聞き入っていた。
――別名、現実逃避とも言う。
体調が良い時、トワはユラの気持ちに合わせた楽器を選んで演奏してくれる。
トワは、小さい頃からどんな楽器も一流に扱うことができる天才だった。
どうして、その才能の一片でもユラは継がなかったのだろう。
自分が継いだのは、エンラの力技ばかりだった。
暴力なんて大嫌いだ。雷撃を放てたところで、何かの役にも立たない。
だから、演奏が終わると同時に、ユラは暗い現実に打ちひしがれてしまう。
「……益々、変なことになっちゃいました。兄さん」
ユラは力なく、鏡台に突っ伏した。
仰々しい着物姿の自分が目の前の鏡に映しだされている。それも、嫌気の原因である。
――ハルアのところに、たまに通う。
それを申し出たこと自体は、後悔していない。
雷帝の仕事と両立することも、頑張ればできるはずだ。
だが、それを受け入れたことを、どうマサキに伝えれば良いのか……。
あんなに、これが最後と釘をさされていたのに、それを守らなかったことが問題だった。
「うーん、まあ、まずマサキなら、父様が絡んでいても知らぬふりを通せと言うだろうね」
トワが優しく告げる残酷な未来が、ユラの心に染み入った。
そうだろう。きっと、まずそこの辺りから、言い訳が必要なのだ。
「……ですよね」
「でも、ちゃんと署名もくれたし、ずっと通っていたら、絵ももらえるかもしれないよね」
「そんなこと、とても言い出せませんよ。署名をもらうのだってこんなに手間取ったのに……」
ハルアは不気味だ。
こちらのことに、やけに物知り顔で、どこまでが本音なのか分からない。
老獪なのか、本当にただの変態なのか、ユラの経験上、まったく分からない人だった。
「まあまあ、落ち込んでも仕方ないよ。こっちは正体もバレてて、父様のこともバレテて、打つ手が何もなかったんだ。天虚も絡んでいるみたいだし、ハルアが何を知っているのか、懐に入ってみるしかないじゃないか?」
ぽろろんと、トワが竪琴を鳴らす。ユラは立ち上がり、トワの隣に座った。
ユラがぶらぶらと手に持っていた眼鏡を、トワがひょいと取り上げる。
「あの人は子供の頃、こちらで木の実を摘んで食べただけだって、言っていましたが?」
「本当にそれだけなのかな? でも、どちらにしても生身の人間が天虚に張りあうのは難しいよね。三千年前の人間の中には、魔法とか使って張り合った人もいたみたいだけど。…………て、これ」
トワ自身、ユラの眼鏡を掛けてみて、驚いたのだろう。
すぐ外して、空かすようにして、分厚いレンズを見た。
「凄いね。ほとんど前が見えないよ」
「そうなんです。ずれた隙間から、見ないと何も見えません。だから、これを掛けたまま、絵を描くと鳥もブタになってしまうという、恐ろしい……」
「それは、ちょっと痛い言い訳……かな?」
「……ただ、言ってみたかっただけですよ」
ユラは膨れっ面を作ったものの、すぐに自分でもおかしくなって、吹きだした。
トワは、いまだに眼鏡のレンズの分厚さをはかっている。
「もう少し改良できないのかなあ。これ」
「金色の瞳を隠すための、特注品ですからね」
「そっか。…………隠すための……ね」
――と、そこまで言ってから、トワは天井を仰ぎ、呟いた。
「ハルアの弟子のロカ君だっけ? 三千年前人間界に置き去りにされた天虚の末裔なんだってね」
「そうみたいですね。彼自身には、特別な力は何もなさそうですが……?」
「ユラのことだ。弟子の身元は、門番の方々に探ってもらっているのでしょう?」
「帰ってきてすぐに、門番の方に指示は出しました。ハルア様に訊くより早いような気がしたので。私事で動いてもらって、申し訳ないのですが」
「あのさ、ユラ。僕たちには、味方が少ないんだ。確かに、お前の言う通り、マサキは最初怒ると思うけど、でも説得できない相手じゃない。僕も手伝うから、ちゃんとマサキと話をして、仲良くやろうよ。……ね?」
「ええ、兄さん。そうしたいです。そうしたい……のは、山々なんですけど。マサキは忙しいの一点張りで……。私を着付けたら、ふらってどこかに行ってしまったんです。これから、臨時定例会ですし、その後でまた捜すしかなさそうです」
「臨時定例会ね……。昨夜のことが、大事になっちゃったのかな?」
トワが顎を擦りながら、言った。
「……そうだ。ユラ。マサキの説得のことで、僕なりに思いついたことがあるんだけど、話してみても良いかな?」
「もちろんですよ! 兄さん、是非お願いします!!」
ユラは不必要なほど、何度も首を縦に振った。