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雷帝の後継者  作者: 森戸 玲有
第2章
10/56

3

 道に迷うと判断して、早めに天境界を出たのが裏目に出た。

 聞かなくても良いことまで耳にしてしまった。


 ――ハルアは王族だったらしい。


 しかも、遊学中と噂の第二王子のようだ。


(……どうりで)


 不遜というか、横柄というか……。

 丁寧な物言いの割に、有無をも言わさない強制力があるのは、命令することに慣れているせいだ。何気ない振る舞い一つに、品の良さを感じるのも、出自のせいだろう。

 所々、精緻な刺繍が施されている黒の外套や、首を覆うように拵えられた独特の長衣、胸元で光っている小ぶりの十字の首飾りも、さりげなさが一層、高貴に見える。


(知らなかったとはいえ、痛ましい偶然の連続だわ……) 


 もはや、何もかもが作為的なものに感じてしまう。

 念のため門番に、彼の護衛をお願いしていたが、それも失敗だった。

 彼らはほとんど言葉を話せないのだ。言葉がなくても、彼を護ることは出来るが、ユラにとって重要な情報は何一つ入って来ないのは、困りものだった。


「…………あのー。君は?」


 おもむろに声をかけられて、ユラはびくりと体を震わせた。


「ええっと。はい。私がおさげ頭の眼鏡です」


 自分でも意味が分からないことを口走って、小動物のように怯えた。

 この時点で引き返そうとする決断力すら、その時のユラは持ち合わせていなかったのだ。


「ああ、君は昨日のブタの……」

「そうきましたか……」


 やっぱり素顔は、腹の立つ青年ではないか。

 こうなったら、とっとと絵と署名を貰って、天境界に帰るまでだ。

 …………だが、やはりそう上手くは転がらなかった。

 一歩前に出た途端、昨夜の青年がハルアの真横に立ったのだ。


「可愛い子だね。宣言通りおさげ頭に眼鏡じゃないか? へえ。本当に来るなんてね……」


 糸のような目を光らせている灰色の髪の青年は、昨日の簡素な装いとは違い、仰々しい純白の外套を纏っていた。ハルアと違い、彼はユラの存在に不審を抱いているらしい。


「僕はラトナ。それで、そこに座ってらっしゃるのは、ハルアの兄上でイシャナ様。イシャナ様、彼女はハルアの知り合いだそうです」

「ふーん。珍しく焦っていた割には、痛ましい女の好みだな?」


 黒髪の男が、一瞬だけユラに鋭い目を向けたが、すぐにそっぽを向いて、再びカップを口に運んだ。


 ――さすがイラーナ国の第一王子だ。


 何も見なかったと言わんばかりの演技は、ある意味、王族らしい。

 もしも、ハルアがこうであったら、ユラだって相応の警戒心を抱くことも出来ただろうに……。


「それで、おさげの娘さん。君ハルアと初対面じゃないんだね? ブタって何のこと?」

「それは……その」

「いい加減にしてください。ラトナ、兄上と一緒に帰れって言っていたでしょうが?」


 ハルアは、乱暴にラトナを自分の後ろに追いやり、背後から冷たい視線を送っているイシャナを目で威嚇した。


「すいません。なぜか今日は観客が多くて。……まずは、昨夜の約束ですよね」

「……でも、話し合いの最中ですよね?」

「話し合いなんて、そんなもの……。とっくに、終わっていますから大丈夫です」


 ――大丈夫では、ないだろう。


  (何だか、そこの無愛想な王子の依頼を、ハルア様が断ったみたいだけど……?)


「…………本当に、いいのでしょうか?」

「ええ。私に出来ることなら、何なりと」


 まさに、その流れを期待していたわけだが、いきなり「署名も絵も欲しい」と口にしてしまっても、良いのだろうか。それに、彼の怖いくらいの友好的な態度は一体……?


(……まあ、いいか)


 ハルアは、逆毛を立てている動物をあやすように、にこにこしながら、円卓の前で、ユラを待ち続けている。腹を決めたユラは、肩掛けの鞄の中から白紙の束を取り出した。


「では、お言葉に甘えさせてもらうことにします。ハルア様」

「紙……ですか?」

「あっ、はい。実は……」


 まずは白紙に署名を貰ってから、絵を頂戴する交渉に入ろうと思っていたのだ。

 ユラは潜んでいた大木の陰から、覚悟を決めてハルアのもとに歩く。――が。


「殿下っ!! お代わりをお持ちして……! 」


 ぱたぱたと丸いトレイに陶器のカップを一客乗せ、駆けて来る少年を目にしたユラは硬直した。


(あの子は……。美術館でハルアと一緒にいた?)


 亜麻色の前髪だけを残し、体とは不釣り合いなほど、大きな白いターバンを巻いている。

 昨日会った時は、顔もよく見ていなかったが……。

 眼鏡を少しずらして、見遣れば、当然ユラを回避するだろうと予測していたのに、少年は勢いそのままに前進してきた。


(……何で?) 


 余裕で避けることは可能だが、それをしたら、まずい気がする。


(……それに、この子?)


 一つの憶測がユラの脳裏に浮かんだ。

 どうしようか。

 ――……悩んだ末。


「うわっ!」


 わざとらしい悲鳴を発したユラは、正面から少年にぶつかったのだった。


「なかなか気合いの入った雄叫びでわざとらしく倒れましたね。びっくりしましたよ。君、大丈夫ですか?」

「あっ、はい。だいじょうぶです」 


 仰向けに転がっていたユラは、ハルアが差し出して来た手の端を控えめに掴んだ。

 起き上がって、ずれた眼鏡をかけ直してみる。


(これで良かったのよね?)


 普通の女の子を装うのなら、無駄に身体能力を披露したら怪しまれてしまう。

 ――だが、その判断が一番間違っていたらしい。


「殿下っーーー!!」


 悲壮感一杯に、少年が絶叫した。


「あああああっ!」


 周辺地域に迷惑がかかりそうな悲鳴をあげて、イシャナが立ち上がった。

 びしょ濡れになった金刺繍入りの派手なズボンから、仄かに湯気が上がっている。


「申し訳ございません! 俺は何たることをしてしまったんだー! もう死ぬしかっ!」

「いちいち、うるさい人たちですね? こんなことで、死なせはしませんよ」


 ハルアが少年の頭を軽く叩き、唖然としているユラに暢気な視線を向けた。


「ああ、ちなみに、彼はロカといって、一応、私の弟子見習いなのですけどね……」


 にっこり笑って、紹介している場合ではないだろう。


「ハ、ハルア様、それは後で良いですから……」

「俺はどうしたらいいんだあぁぁぁっ!」


 ロカがイシャナの前で、右往左往している。


「ともかく、下穿きを脱いでください。殿下!」

「痴れ者が! 高貴な私が皆の前で、肌を晒せるわけなかろう! まず拭く物だろうが!」

「たっ、ただいま!」


 ロカは間を置かず、持ってきた上質の布巾をイシャナに手渡した。


「おいっ! ルフィア。どうしてくれるんだ! 足に火傷を負ってしまったではないか!」


(……嘘だ)


 とても彼が火傷しているふうには見えなかった。

 大体、茶の温度が低いことなんて、誰でも分かるのだ。もしも、本当に火傷していたら、この程度では済まない。


 ――でも、この男はこの国の第一王子。

 つまり、偉い人なのだ。


「も、申し訳ありません! 俺、もっと冷やす物を見つけてきます! 少々お待ちを!」


 それこそ、転げるような勢いで、ロカが走り出した。


「あーあー、殿下が大変なことになってしまったようだけど? どうしようね? ハルア」


 取ってつけたような神妙な面持ちで、ラトナがハルアを見上げていた。


「まったく……。ついてないな」


 何を考えているのだろう。ハルアは、そう呟いた後、むっつりと黙り込んだ。


「ハルア……様。あの……」


 ――これこそが、嵌められているのだ。

 そんなこと、ハルアとて分かっているだろうに、彼は次の瞬間、にやりと笑って不敵に言い放ったのだった。


「分かりましたって。ものすごく嫌ですけど。――兄上、大神殿の壁画。私が引き受けますよ」

「おおっ。本当か!? ルフィア! それは、お前の本気で本当の言葉なんだな?」

「ええ。二言はありません。突貫費用として追加料金はちゃんと取りますけどね。ですから、彼女もロカ君も無罪に。今回のことは、水に流して下さいませんでしょうか。兄上」

「……う、うむ。それなら流してやっても良い」


 何だか、とてつもないことを言い出した。


(……大神殿の壁画って?)


「お待ちください。ハルア様。 壁画って、どういうことなんですか?」

「あれ? 君、そこまでは聞いていなかったんですか?」


 まるで、盗み聞きされたことを楽しんでいるような、溌剌とした口調でハルアは答えた。


「実は私、兄上から大神殿の壁画の依頼を受けていたんですよ。今、大神殿がぼろぼろで、丁度、父の在位三十年を記念して立て替えていましてね。九十日で作成しろだなんて、無茶を言うから、断ろうとは思っていたのですが……」

「…………無茶……なんですよね?」

「ええ。そうです。無謀以外の何物でもないですよ。他の作り手は知りませんけど、私は準備に時間をかけるんです。何を描くか決めてもいないのに、いつ出来るなんて言えません。だから、こういう仕事のやり方は好きじゃないんです。正直、式典までに間に合わせることが出来るかどうか、分からないですね」

「それ絶対、私のせいじゃないですか!」

「いや、君のせいじゃありませんよ。君がここに来なかったとしても、彼らは私にこの仕事を押し付けるつもりだったでしょう。私に拒否権はなかったのです」

「そうなんですか」

「でも、責任は感じておいて下さい。私のためにも」

「………………はあ?」


(何だろう。この人、本当に意味が分からない)


 芸術家だからなのか、王子だからなのか、それともユラの感覚が変なのか……。


「それにしても、本当に邪魔ばかり入りますね。君は、私の署名が欲しいのでしょう?」


 ハルアは、そそくさと地面に散らばってしまった紙を拾い、ユラに手渡した。


「……そうですけど、どうして、分かったんですか?」

「白紙を持って、私のところに走って来ましたから……。君は昨日美術館でもそうでした。正直、署名の何が良いのか、私にはさっぱり分からないのですが、昨日の彼女が望むのなら、署名でもどんなことでもいたしましょう」


 ――だったら、一言多いのではないだろうか?


「…………なるほど。君、遠くからだと気配は読みにくいけど、近くに寄ると、感情はだだ漏れな人なんですね? 面白いです」

「はっ?」


 ……何が?

 しかし、問いかけようとしたユラの袖を、ハルアは笑いながら強引に引っ張った。

 イシャナとラトナの目から逃れるように、屋敷の方にユラを連れて行く。

 

「あの、本当に何なんですか? 一体?」

「署名をするのに、手元に筆記具がないのですよ」

「だったら、私……」

「いえ、私の筆記具で署名させて下さい。私は屋敷に一度戻りたいのです」


 謎のこだわりを発揮したハルアは、そのまま突き進み、庭に面している大きなガラス窓のある部屋の前で、やっと立ち止まった。そして、くるりとユラに向き直り、顔を寄せる。


「――実はですね。兄上とロカ君と、ラトナには内緒で、君に聞きたいことがあったので、あの場を離れたかったのですよ」

「何でしょうか?」

「ここだけの話」


 ハルアが声を落としたことに、ユラは息をのむ。


(正体がバレた? いや、バレてもおかしくはないけど。でも、面倒には違いないのよ……)


 しかし、その瞬間を身構えていたユラに対して、飛んできた質問はとんでもなかった。


「……昨日、君の描いた絵は、一体何だったのでしょうか?」

「………………はっ?」

「いや、気になって仕方なかったんです。君の絵。ああいうの見たことがなかったので」

「…………速やかに忘れて下さい」

「仕方ないですね。でも、私、気になると、徹底的に知りたくなる性分なんです」

「厄介な性分ですね」 

「だから、当然、昨夜の女性のことも気になっています」 


 びくりと反応したユラに対し、ハルアは今度こそ、きっぱりと言い放った。


「――――昨夜の女の人は、君でしょう」

「あっ……」


 ユラは肩すかしを食らわされた直後に、頭突きされたような気分になった。

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