第3話 初遭遇(人間)
川沿いにしばらく歩くと、車が通れそうなほどのなだらかな大きい道に出た。
舗装はされていないが、実際に車が通るのだろう、道に轍の痕跡が見える。
さて、どっちに行けばいいかな……
と思っていたら、道の向こうからガラガラと音を立てて馬車がやってきた。
「……え、馬車?」
馬車。まさかの馬車である。
馬車といっても荷車に御者台がついたような簡素な作りで屋根はなく、荷物には布をかぶせて固定してある。
御者台に座るのは中年の男性が一人。
恰幅が良くてやや太りぎみなのを誤魔化すように、ゆったりとした服を着ている。
なんだか中世ものの映画に出るような服で、現代っぽいシャツやズボンではない。
それは麻の服なんか着ている俺も一緒なのだが、どうやら独自のエコファッションというわけではなさそうだ。
「おーい、すみませーん!」
ともあれ、乗せてもらえれば楽になる。
大声をあげてぶんぶんと両手を振ると、御者台の男性はぎょっとした顔になって、その場で馬車を止めた。
何故かきょろきょろと周囲を見渡すが、俺は気にせず歩いて馬車に近付いていく。
「すみません、道に迷ってしまって。近くまで乗せてってもらえませんか?」
「あ、ああ…… それは、構いませんけども」
日本語の返事が返ってきたのにほっとした。
男性の妙に警戒した態度は気になるが、実際のところ俺に危害を加えるつもりはないので大丈夫だ。
警戒を解こうと精一杯の笑顔を見せる俺に対し、彼の視線は俺の腰に下げた剣に――
……あっ。
「……ち、ちがいますよ? これはその、えっと」
まずい、武器を携帯してヒッチハイクとか怪しいなんてレベルじゃない。俺なら迷わずアクセル全開で逃げる。
わざわざ馬車を止めてくれるなんてこの人いい人すぎる――わけじゃないか。
たぶん、他に武器を持った仲間が隠れていないか警戒したんだ。ここはどう言い訳するか……!
「もしかして……探索士ですか?」
「あ、はい、そうです」
タンサクシって何ですか……?
迷いなく嘘八百を即答した俺に、男性はあからさまにほっとした様子だ。
いやいやいや、こんな武器を持ってこんなところにいてもおかしくない探索士って一体何なの? そんなお仕事聞いたこと無いよ?
だが、ここで正直に「たんさくしってなんれすか!」ってアホみたいに聞いても、良くて逃げられる、悪ければ警察を呼ばれるのが見え見えである。
とりあえずその未知なる職業だということにして、俺は馬車に乗り込んだ。
男性の名前は、マルクさんと言った。
雑貨の行商をしているとかで、山向こうの農村に商いに行って街に帰る途中なのだという。
馬車の荷台に目を向けると、確かに覆いの布の下に鍋や食器、毛布などの雑貨類が見てとれた。
木箱に入ったじゃがいもや人参などの作物は、村の方で買い付けたものだろう。
「ところで、アルマさんはどうしてこんなところに? この辺りで迷宮が現れたという話は聞きませんでしたが」
阿妻優斗、と名乗ったのだが、阿妻という名前の響きに馴染みがないらしく、何度言ってもアルマと呼ぶので諦めた。
というか、名前と名字を間違って受け取っているようだ。日本式の名字が先に来る名前のせいだろう。
「まあ…… だからこそ、ですかね」
「ほほぉ…… なるほど、流石ですな」
適当にほのめかす俺の言葉に、何故かマルクさんは感心したように何度もうなずく。
というか、迷宮って何? それに迷宮が「現れる」ってどういうこと? 「見つかる」じゃないの?
そんな疑問は勿論マルクさんに聞くことはできない。
「実は、先程まで貴方が探索士ではなく、山賊か何かではないかと疑っておりました。
この道は通るものも少なく、今までそういうものが出たこともなかったのですが……
いやはや、申し訳ありません」
「ははは、お、お気になさらず」
山賊て。むしろ山賊とかいるのか。
まあ俺は山賊でも海賊でもないが、探索士でもないのは間違ってないので、笑って誤魔化すしかできなかった。
『……よし、聞こえるか、アルマ』
「お前もアルマって言うのかよ……」
不意に聞こえてきた天龍の声にげんなりとつぶやくと、マルクさんは不思議そうに小首をかしげていた。
どうやら天龍の声は俺にしか聞こえていないらしい。
『音ではなく、魂の繋がりを介した声だからな。お前も、口に出さずとも意識すれば私にはわかるぞ』
テレパシーみたいなものか。独り言を口に出さずに頭の中でつぶやく感じで……こうかな?
『うむ、飲み込みは悪くない。
それよりも、ようやく天龍眼の調整が完了した。左目を開けていいぞ』
言われて、おそるおそる閉じていた左目を開いてみると……
おお、流れ込む情報がかなり押さえられている。
そこらの草木や空の雲からは何の情報もポップアップしないし、マルクさんも「マルク・シーレンス」という名前と、種族年齢性別(人間38才男性)、それと「Lv7」と「無属性」と「クラス:商人Lv14」とだけ表示されて……
……ちょっと待ってちょっと待って、天龍さん。レベルと属性とクラスってなんですのん……?
『ほう、クラスのレベルが本人のレベルを上回っているのか。
高レベルというわけではないが、その男は商人としてなかなかのようだな』
当たり前のように評する天龍だが、そのレベルっていうのがなんなのかよくわからない。まるでゲームの話のようだ。
というか、俺が見ているのと同じものを天龍も見ているらしい。
これも天龍眼で魂とやらが繋がっているせいか。
『だが、その年まで商人一筋でその程度のレベルということは、良くも悪くも凡人だな。
見てみるがいい、能力限界も大したことはない』
だが、見えているものは俺とは少し違うようだ。
能力限界ってなんのことやら、と思いつつマルクさんを見詰めていると、新たなステータスが表示されてきた。
体力、筋力、敏捷、知性などの数値がずらりと並び……例えば体力には「9/38」と書いてある。
右側の数値はまちまちだが、左側の数値は概ね8~12程度に並んでいた。
知性だけは14/52で若干高い。
これは……左側が現在値、右側が能力限界値、ということだろうか。
マルクさんが限界まで己を鍛え上げれば、体力38や知性52に達するということだろう。
まあ、その数値が高いのか低いのかは俺にはさっぱりわからないのだが。
まるでゲームのステータスそのままだ。
「……? どうしました、私の顔に何かついておりますか?」
「あ、いえ、何でもないです」
慌てて誤魔化す俺に、マルクさんは不思議そうに小首をかしげていた。
目をそらして前を向くと、馬の背中が見え……あ、違う、馬じゃなくてラバだった。馬とどう違うのか知らないけど。
マルクさんとラバの違いは、名前とクラスが表示されていないくらいだ。ちなみに7才の女性、無属性でレベルは5らしい。
だからレベルってなんだよ。
『表示される内容や数字は、一定の法則と基準によって整理してある。
慣れれば、自分で変更することもできるようになるだろう。
先程のお前は、法則も基準もなく際限なしに見ていたから、脳が限界を越えたのだ。あのままだと脳が焼き切れて死んでいたぞ』
生き返って早々に死の危険だったらしい。
というか天龍眼がやばすぎた。簡単に扱えるような代物じゃないことを身をもって体験してしまったようだ。
『……それはそうと、ラバの背中ばかりでなくもう少し景色も見ろ。
久し振りの現世だというのに、そんなもの見詰めてもつまらん』
つまらん、と言う割には天龍の声はなんだか嬉しそうだ。
なるほど、天龍にとっては何百年だか何千年だかぶりの景色ということか。俺を生き返らせた理由に、外の景色を見たいと言うのもあったのかもしれない。あそこ文字どおり何もなかったからなあ。
リクエスト通りに馬車の速度にあわせて流れていく風景に視線をやりながら、俺はマルクさんと当たり障りのない雑談を楽しんだ。
なお、天龍のことについてもそれとなく聞いてはみたのだが、残念ながら心当たりはないようだった。