第25話 難しい魔法の覚え方
自然界の全ての現象は計算によって再現することができる。
天と地。炎と風。水と氷。そして雷。
我々の人体を含めたあらゆるものには秘められた公式が存在し、その秘められた公式を扱う学問を、数秘学と呼ぶ。
魔力とは、これら数秘学の公式の様々な値として代入することができる、いわば変数のようなものである。
魔力を操ることにより、本来ならありえない現象を起こすことができる。
何もないところに火を起こしたり、水を生み出したり。
これを、世の俗人は魔法と呼ぶ。
俗人から見れば、怪しげで不安定な精霊使いやお遊び同然で未発達な歌唄いも同じく魔法と呼ばれるものであるが、魔法とは文字通り「魔力による法則」であり、我らが数秘学こそが本当の意味での魔法と言えよう。
それ以外の魔法などとは全てまがいものであり、この書を読む諸君においてはこれら偽魔法などに惑わされぬよう――
「……何これ」
「何って、魔法の入門書……かな?
タイトルは『数秘学入門』」
初めて深森の迷宮に潜ってから、5日。
順調に資金を稼いだ俺たちは、今日は休みを取って、ドラゴンの大牙亭でお茶を飲みつつクロードの買ってきた本を読んでいたのだが、その内容が先程のものだ。
ぱらぱらとページをめくって流し読みしてから、ぱたんと閉じてクロードに返す。
……なんかやたらと脱線して魔法を使えない人や数秘学以外の魔法を見下したり罵倒したり、後半は妙な専門用語や難解な数式が処狭しと並べられている。
……入門……書……?
これが5000ダイムもして、俺も2500払った本か……
微妙に無駄遣い感が否めない。
「アヅマには難しかったかな? 数秘学は特に難解な魔法系統のひとつだからね」
「他にも魔法ってあるのか?」
「メジャーなところだと、数秘学の他には……
万物に宿る精霊を操る、精霊使い。
正しい言葉と音階で魔法を生み出す、詠唱術。
魔力を秘めた物の力を利用する、触媒法。
マイナーなところだと、自らを竜に近付ける、竜魔法。
精霊や幻獣を呼び出して使役する、召喚魔法。
死者を操る禁忌の術、魂魄魔法。
こんなところかな? あ、魂魄魔法は覚えるだけで犯罪になるからね?」
何か覚えやすそうな魔法がないかと思ったが、どうもどれも難しそうだ。召喚魔法にはちょっと興味があるけど……
……ん、あれ?
「神官の使う回復魔法は?」
「あれは神に祈って起こす奇跡だよ。
魔法と呼ばれはするけど、本来は魔法とは違うものさ」
「んん……?」
おかしいな、天龍はあれも魔法だと言っていたのだが……
『言っただろう、人間が全てを正しく語り継いでいるわけではないと。
まあ、結果として行使される魔法という現象に違いはない。下手な先入観を持たず、自分の感覚で選べ。一番納得できるアプローチを使えばいい』
いつもなら「魔法とは……」と世界の秘密を語りだしそうな天龍だが、今回に限っては妙に淡白に突き放してくる。
あるいは、どの魔法を選ぶか、ということに興味はないのかもしれない。どの魔法を使っても、ファイアボールはファイアボールだしな。
「クロードは、なんで数秘学にしたんだ?」
「そうだね、納得できるから、というのが一番の理由かな」
「納得?」
「ああ。数秘学では、全てのものに公式が宿る、と説いている。
物が上から下へ落ちるのも、月と太陽が西へ落ちまた東から昇るのも、水が凍って氷になるのも、全ては自然に宿る公式に従ったものだ、という」
うん。それは俺も理解できる。
要は物理学だ。現代物理学は世界の……宇宙の法則すら計算する。
たとえばスペースシャトルが宇宙へ飛び立てるのも、複雑な計算のおかげであり、世界がその計算の通りに動いている証拠でもある。
しかし逆に、物理で考えればこそ、物理を覆してどんな現象でも起こせる数秘学に納得できない。
物理学を肯定しつつ物理学を否定しているような、妙な引っ掛かりを覚えてしまうのだ。
いや、魔法だからって言えばそれまでなんだけどさ……
『ブツリブツリとブツブツ言う奴だな。
お前の世界の魔法か? その固定観念を取り払わないと、この世界で伝えられているような魔法を使えそうにないな』
「……ううん。俺に魔法は無理かなあ……」
「そうだねぇ…… 僕にも、これはちょっと辛いかな」
ふぅ、と溜め息をついて、クロードは本を閉じた。
目を閉じて、眉間の辺りを揉んでいる。
字が大きいわけではないし、びっしり書いてたもんなあ…… 脱線が多かったけど。
「選んだ本が外れだったかな」
「これ、数秘学のベストセラーだよ?」
マジか。あれがか。
「内容は難しいけど、無駄な部分を取り除いていけば理解はできる」
「ええぇ……?」
「ははは、君が納得できなくても2500ダイムは返せないからね?
……ただ、問題はもっと根本的でね」
「根本的?」
「うん。この本には、魔力を感じ取りそれを操る方法が書いてない。
あくまで数秘学の入門書であって、魔力の使い方がわからない人間が魔法を学ぶための入門書ではない、ということだよ」
「やっぱり選んだ本が外れなんじゃないか」
どうやら、魔法を覚えるのはまだまだ先の話になりそうだ。
お金はまだあるし、深森の迷宮の実入りが結構いいから、新しい魔法書を買うのも問題はないけど……
魔法の種類も色々あるし、どの魔法を覚えるかも含め、よく考えてみよう。
とりあえず魔法の勉強はしておきたいとのことで、クロードは再び魔法書を開いて読み始めたが、俺は完全にお茶を飲んでくつろぎモードに入る。
お茶請けは果物を砂糖漬けにしたものだ。ドライフルーツみたいで美味しい。
昼下がりの大牙亭は客も少なくて静かだ。
この店の主な客層は探索士なので、みんな迷宮に出掛けているこのくらいの時間は暇なのである。
部屋の掃除や洗濯なども、この間にやってしまうんだとか。
お茶を飲み終わったら服でも買いに行こうかな、と考えつつのんびりしていると、からんからん、とドアベルが鳴った。
「アヅマっちにクロっち、ちゅーっす」
軽い挨拶と共に、俺とクロードの席に待ち合わせでもしていたかのような気安さで座ったのは、くすんだ金髪の青年、レジーだ。
ルティアのパーティはいつも一緒にいるようなイメージがあるが、今日は彼一人だった。
席につくとすぐに、大きく手を上げてミーシャにアイスティーを注文する。
「おや、レジー。珍しいね、ルティアとは一緒じゃないのかい?」
「ルティアちゃんは、ガイウスやゴルドのおっさんとお買い物。
本当は今日はお茶会なんだけど、大樹の立ち入り禁止がまだ続いててさー、ご機嫌斜めで困るっつーか。
ま、どっちにしても探索はお休みで、みんな自由行動な感じ?」
本から目を上げるクロードと、軽く笑いながら話すレジー。
「二人とも、知り合いなのか?」
「あれ、アヅマっち知らなかった系? クロっちは2年くらい前は俺らのパーティにいたんだよ」
「正確には、一年半前までの半年くらいかな」
なんと。クロードはルティアの仲間だったのか。
それにしては、ルティアとすごく仲が悪いみたいだが……
「レジーとゴルドさんは当時の仲間だよ。他の三人は、僕が抜けた後に入ったみたいだから、知らない顔だけどね」
「ルティアちゃんとは…… 実は、何があったのかわかんない系?
ルティアちゃんは、その話するだけで癇癪起こしちゃうし」
「……他人に言うような話じゃないさ」
「クロっちはこんな感じー」
眉をひそめて再び本を開くクロードに、レジーも肩をすくめて苦笑い。
「まーねー、クロっちは元々、ルティアちゃんにも剣や魔法を覚えるよう言ったりしてたから、そのへんで何かあったんだと思うけどさー。
……っと、今日はその話じゃなくてさ、アヅマっちに話があったんだ」
「ん、俺に?」
「そ、そ。ほら、先週さー、アヅマっちがルティアちゃんのお誘いを断った時にさ、ルティアちゃんが『んもうアヅマさんのばかばか!』なんつってさ」
下手な物真似で可愛らしく『ばかばか!』って言っても、レジーがやると全然可愛くないな!
そもそも、そんな言い方ではなかった気がするが、レジーの場合、気を使って茶化してるのか素でやってるのかわからない。
「ま、怒ったルティアちゃんもちょー可愛いんだけどさ!
でも、そのまんま怒ってダッシュしちゃったじゃん? そんで、それっきりだったからさ、謝っときたくて。ごめんなー、アヅマっち」
「……そういうのは、本人が言うべきなんじゃないのかい?
君は相変わらず過保護だな」
「女の子は素直になれない時があんの! ってか、ルティアちゃんの頭に血が昇ったのは大体クロっちのせいじゃね?」
「いや、まあ、俺は気にしてないから大丈夫だよ」
「そう? あんがとなー、アヅマっちやーさしーい!」
からからと笑いながら、レジーはばんばんと俺の背中を叩いた。
一見して軽くてチャラいレジーだが、意外に苦労性な性格をしているのではないだろうか。
「ルティアちゃんにも、うまーく言っとくからさ。また今度セッティングしとくから、自然な感じで『ごめんねー』『いやいやー』って感じでお願いしたいんだけど」
「……今度か」
ふむ。
魔法書を読むクロードをちらりと見るが、クロードは本に集中していてこちらの方を見なかった。
魔法は俺もクロードも使いたいが、魔力って結局なんだ、どうやって操るんだ、ということがわからない。本を見てばかりでは修得は難しいだろう。
『……何か思い付いたようだな、ユート』
うむ。まあ、うまくいけば魔法を覚えられるかもしれない話だ。
「なあ、レジー。それならひとつお願いしたいことがあるんだけど」
「ん? どしたのアヅマっち」
「はーい、アイスティーお待たせ!」
「あ、ミーシャもちょっと、頼みたいことが」
「あら? ……なぁに?」
「クロードも、本から顔をあげてくれ」
「……うん?」
レジーがきょとんとした顔で俺を見る。
アイスティーを持ってきたミーシャも空いた椅子に腰掛け、クロードも本を閉じて顔をあげた。
「あのさ――」




