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第18話 双頭蛇

 蛇には手足がないため、移動の際は左右にうねり這いずり、移動速度もそれほど速くはない生き物である。

 地球にいる一般的な蛇なら、人間が小走りになればもう追い付けない程度だ。

 速度で襲いかかるのではなく、足元の繁みや木の上に隠れ潜み、忍び寄って奇襲を仕掛けることに特化した生き物だと言える。


 しかし世の中には縮尺というものがあり、人間をも丸飲みできそうなほど巨大なアンフィスバエナはというと、


『ユート、左に避けろ!』

「うおおおっ!!」


 天龍の声と同時に、枝葉でひっかき傷ができるのも厭わずに左の繁みの中へ飛び込む。

 その直後、一直線に飛んできたアンフィスバエナが豪風を巻き上げながら通過した。

 あまりに強烈な勢いなので逆に距離が開いたが、俺は繁みを強引に突っ切ってひたすら前へと全力で進み続ける。


 巨体で移動のスケールが大きいから、こいつ早いんだよ!

 おそらく、平地なら全力疾走してなんとか引き離せるくらいのレベル。

 だが、実際平地だと、凄まじい瞬発力によって一気に飛びかかってくるため、多少速度が落ちようと、繁みに突っ込んで木を障害物にするしかない。


『少し右に方向修正しろ。出口の方向からズレているぞ』


 天龍の声に答える余裕もない。

 位置や方向を確認する暇もないため、ナビゲーターを天龍に任せて、俺はひたすら全速力で前に進むだけの生き物になっていた。


「シャアアアッ!」


 背後からは再び、アンフィスバエナの威嚇音と、巨体が繁みをかき分け邪魔な木をへし折る騒音が近づいてきている。

 既に10分以上は逃げ続けているのだが、奴は飽きもせず諦めもせず俺を追いかけ続けていた。

 超苦しいけど止まったら即座に死ぬので走り続けるしかない。


『どうやらかなり執念深いようだな。だが諦めるな、ユート!』


 天龍はいいなあ生身がないから走らずにすんで!


 ただ、ひとつだけ助かるのは、アンフィスバエナを恐れて魔物が寄ってこないことだ。

 ここでハミングバードとか出たら確実に死ねる。

 たまに鉢合わせた魔物も、俺には構わずアンフィスバエナから逃げ惑う。


『む、前方にキノコがいるようだ…… 急げ、ユート』


 天龍のナビゲートを聞いて、俺はキノコを避けるべくルートを変更……しない。真っ直ぐに走り続ける。

 ざっ、と音を立てて繁みを飛び出し、開けた場所に出る。


 そこにはキノコが二体いたが、すぐ後ろからアンフィスバエナが追いかけてきているのに気づいているのか、わたわたと方向転換して逃げようとしている。

 だが、哀しいかなキノコの足は非常に遅い。

 二体の合間をすり抜けて、俺は真っ直ぐ向かい側の繁みに飛び込んだ。


「キシャアアアアァァッ!!」


 ほとんど間を置かずに現れたアンフィスバエナの咆哮が響き渡る。

 前に立ちはだかる二体のキノコのうち一体に、アンフィスバエナの長い胴がぎゅるりと瞬時に一巻き、二巻きした。

 もう一体のキノコの笠と胴体にも、アンフィスバエナの左右の頭が食らいつく。


 ちらりと振り返るのと、二体のキノコが哀れにも真っ二つに引き裂かれるのは同時だった。


 怖えー! 超怖えぇー!!

 たぶんあれがキノコでなく俺の身体だったとしても、辿る運命は一緒だろう。締め潰されて引きちぎられるか、二つの頭に食い付かれて引き裂かれるか、どっちにしても真っ二つだ。


 キノコはお気に召さなかったのか、アンフィスバエナはぶんと頭を振って崩壊してゆく残骸を明後日の方向に放り投げる。

 だがキノコの尊い犠牲によって、ほんの僅かだが距離と時間が稼げた。

 奴は執念深いが、好戦的で頭も良くない。目の前にいる無関係な魔物にも攻撃せずにはいられないのだ。


『少し右に方向を修正しろ。アリの反応がある』


 まだ見えてないのに何でわかるのかと言うと、天龍が言うには魔力の流れを捉えて天龍眼の感知範囲を拡大しているらしい。

 よくわからんが、ともあれ離れた場所にいる魔物の存在もレーダーのようにわかるようだ。


 振り向かなくてもアンフィスバエナが飛びかかってくるのが寸前にわかるのも同じ理屈だそうで、全身のバネを使うと同時にジェット噴射のように盛大に魔力を噴出することであの凄まじい勢いを生み出している、とのことだ。

 名付けるなら『ジェット突進』といったところか。

 そういった乱暴で乱雑な魔力の使い方をするとなると、背中を向けていても魔力の乱れから予兆を判別できるらしい。

 俺には魔力とか見えないし感じ取れないのでさっばりだが。


『っ、いかんユート、伏せろっ!!』


 天龍が叫ぶのと同時に、俺はその場に伏せた。

 いや、嘘だ。足がもつれて地面の些細な凹凸に足を取られてこけた。


 と同時に、俺の背中を大質量の物体が通過し、大砲が直撃したような轟音をとどろかせた。


 そのまま倒れていたくなる誘惑をはね除けて起き上がると、目の前にあった樹が真っ二つに折れて倒れていた。

 そして、もうもうと立ち上る土煙の向こうに鎌首をもたげる鈍色の蛇。


「シュルルルルッ!!」


 こいつ、障害物があるのもおかまいなしで飛んできやがった!

 今、こけてなかったら確実に直撃してたぞ!?


 流石に樹に直撃したのは痛かったのか、なんだか怒ったように興奮して威嚇しているが……いや、それ自爆だからね?

 などという正論も奴には通じない。

 痛い! むかつく! 目の前のやつ殺す! くらいの単純な思考しかないだろう。


『こやつめ、焦れてきて自爆もおかまいなしになったか!

 派手な魔力の使い方ゆえに、そう乱発は出来ぬ筈だが……!』


 こりゃやばい。繁みに飛び込んで木々を障害物にすることでジェット突進を封じてきたが、これからはそれも通じないってことか。

 あんなもん、そう何度もかわしていられないぞ。

 せめて残りMPとか、大雑把にでもわかれば希望も持てるのだが。


『ええい、これでいいか!』


 と、アンフィスバエナの頭上にぱっと赤と青のバーが出てきた。

 赤が体力、青が魔力だろうか。何これ超わかりやすぅい!

 頭は二つでもバーはひとつ。やはりあれで一体の魔物だということだ。


 ちなみに、青のバーは半分近く減っていたが、赤のバーは1ドットくらいしか減ってなかった。よく見たら減ってるかもね、くらい。

 うむ、やはり自爆を誘って倒すのは無理っぽい。


『いいから立て、そして走れ! 逃げろ、ユート!!』


 一度倒れ込んで足が止まってしまうと、笑えるくらい力が入らなかった。

 呼吸がぜーぜー言って止まらない。呼吸のしすぎで喉が痛い、血の味がする。

 もう無理だ。動けない――


 ……なんて言ってギリギリで助けが来るような場所でもなければ、俺もラノベの主人公とは違うのだ。

 疲れたなんて言ってられるうちはまだ平気だ、身体がちょっと怠けたがってるだけだ、諦めて死ぬくらいなら血を吐いて死ぬまで足掻け、声をあげろ!


「シャララ――」

「――ぉぉぉおおおおおーッ!!!!」


 人間の身体にはリミッターがかかっている。

 全力を出すと自分自身の肉体が壊れてしまうからだが、このリミッターが外れた時は、火事場のバカ力と呼ばれるような凄まじい力を発揮する。

 理論上、100%の力を発揮すれば、鍛えていない普通の成人男性でも500kgを超えるグランドピアノを持ち上げるくらいのことはできるらしい。


 そのリミッターを意図的に外す方法も存在する。

 大声をあげること、だ。

 声を上げることで瞬間的にリミッターが外れ、普段よりも大きな力が出せるように、人間の身体は出来ている。

 ましてや今は(まご)う事なき絶体絶命。120%の力を出すべき時!


 幸いにも、威嚇の声をあげようとした瞬間に俺が突然叫んだため、アンフィスバエナは一瞬虚を突かれたような状態になっている。

 背筋にしゃんと芯を入れ直し、その隙をほんの一瞬の隙間でも無駄にしないよう、くるりと転身して走り出す!


「……シュルルルル!」


 すぐに、その後ろをアンフィスバエナが追ってきた。

 俺は体力の限界の奥底まで絞り出すようにして、全力で走り続けるだけだ。

 足が痛い。身体が痛い。肺が痛い。明日は絶対筋肉痛だ。

 だが、脳内麻薬がどっと出たのか、不思議と苦しさはなくなっていた。


『これは…… 行けるか? とにかく走れ、ユート!』


 言われるまでもない。

 前に、前に、時に左に、そして右に。

 天龍のナビゲートに従って、ひたすら走る。


『左に跳べっ、ユート!』

「うおりゃあぁ!!」


 全力で跳んだ俺の背後で、ジェット突進の凄まじい風圧。

 俺は地面に転がって勢いを殺しつつ、そのままの勢いで立ち上がり、さらに駆け出した。


 異常に身体が軽い。目の前が光に包まれたかのように見えなくなっていくが、走るべきルートだけははっきりと見える。

 これがランナーズハイってやつだろうか?

 何かに背中を押されるように前へ前へと足を出す。


 光の先に誰かの姿が見える。

 あれは……誰だろう。一人じゃない。二人、三人……五、六人はいる。

 まるで光の向こうから誘うように手を振って――


「シャアアアアッ!?」


 ゴウッ、と視界が一瞬炎の色に赤く染まる。

 すぐ背後、息がかかるような位置からアンフィスバエナの声が聞こえた。

 俺を巻き込むような炎の魔法だが、熱いな、と思っただけで何も感じなかった。


「アルマさんっ、こっちですわ! 早く!!」

「これでもくらえっス!」


 ――あれ。ルティア達だ……!

 いつの間にか、ルティア達が100mくらい先にいる。

 さっきの炎はアルバートの魔法か。ディッツがショートボウを構えて、背後のアンフィスバエナに向かって矢を放つ。

 俺に当たらないようにするためか弓なりの軌道だが、その分、数を放って牽制してくれている。


 いつの間にか、先に帰ったルティアたちに追い付いていたらしい。

 ゴルドたちが、早く早くと手を振って誘導してくれている。

 アルバートやディッツの牽制のおかげか、背後のアンフィスバエナの気配が少しずつ離れていく。


「大いなる大地の神よ、その奇跡を示したまえ……!」


 地面に両手をついたガイウスが呪文を唱えると、ぐらりと地面が揺れた。

 背後で地面が唐突に陥没し、アンフィスバエナが地割れに飲み込まれる。

 それほど大きな地割れではないが……足留めという意味なら効果は絶大だ。これなら……!


『いかん、ユート……来るぞ!』


 はっ、と振り返ると、地割れから這い出てきたアンフィスバエナが全身をぎゅっと縮めて、ジェット突進の構えを見せていた。

 この位置だと、ルティア達が巻き込まれるか……!?


「避けろぉっ!!」


 ルティア達に向かって叫びながら、地面に飛び込むようにして伏せる。

 その直後、伏せた背中にドンっという衝撃波を感じさせる勢いで、アンフィスバエナの巨体が砲弾のようにかっ飛んでいった。


「きゃああっ!」

「ルティアっ!!」

「うわわわっス!」


 距離が離れていたからだろうか、ルティアたちもなんとか無事にかわせたようだ。

 顔をあげると、遥か前方に飛んでいったアンフィスバエナが、勢い余って地面に転がり二度三度と回転しながら着地していた。


 かわせたのはいいが、くそ、進行方向を塞がれた。

 迷宮の出口はあっちなのに…… しかも、ルティア達まで巻き込んでしまっている。

 彼らの力を借りても、アンフィスバエナを倒せるかどうかは怪しい。

 ともかく、立ち上がって逃げる、しか……


「ぜえ、ぜえ…… う、あ……」


 あれ。やばいぞ、これ。

 身体が動かない。今度こそ本当に限界の限界だ。

 心臓が破裂しそうなほどせわしなく脈打ち、喉が痛んで呼吸するだけでも苦しいのに、身体が酸素を求めていて呼吸を押さえられない。

 生まれたての小鹿もかくやという勢いで手足は震え、目の前がぐるぐると回って、起き上がることもままならない。

 くそ、立ち上がって、逃げないと……


『大丈夫だ。よくやったな、ユート』


 落ち着いた天龍の声が脳裏に響く。


『あそこはもう、迷宮の外だ』


「キシャアアアアァァッ――!!」

「シュウウウゥゥゥウッ――!!」


 アンフィスバエナの二つの頭が、凄まじい絶叫をあげてのたうち回る。

 叩き付けられた尻尾で地面が抉れ、バキバキと音を立てて巻き込まれた木々がへし折られていく。


「あ……あの魔物は、一体何ですの……!?」

「くっ、断末魔でさえ我が左腕に宿りし精霊を騒がせるか……!」

「こっわ、何あれ超こっえぇ……!」


 ルティアたちも、見たこともない強力な魔物に、戦慄しながら固唾を飲んでいた。


 アンフィスバエナの身体が崩壊する。魔力に解けて消えていく。


 魔物が迷宮の中にしかいない理由が、これだ。

 死ねば魔力に還ってしまう不安定な存在である魔物が存在できるのは、魔力が満たされた迷宮の中だけなのだ。

 迷宮の外に出てしまうと、魔物は自らの存在を維持できなくなって崩壊する。


 勿論、普通は魔物が自分から迷宮の外に出ることなどない。

 今回は、ジェット突進の勢いが凄まじすぎたためのことだ。


 俺は起き上がることもままならず、倒れ伏したまま顔だけをあげて、アンフィスバエナの崩壊を見届けた。

 体力と魔力を示す赤と青のバー自体が、みるみるうちに短くなって尽きていく。

 そしてついに、その巨体は崩れ落ち…… 破壊の爪痕だけを残して消えた。


「…………っ、はああぁっ……」


 生き……残った。

 今回は、もうマジで死んだかと思った……

 いや、天龍のナビゲートがなければ何回死んでいたかわからない。特に、ジェット突進を警告してくれるのがなければ今頃八つ裂きになっていただろう。


 残された全力で仰向けに寝転がり、身体を休ませる。

 もう、マジで身体に力が入らない。今ならキノコでも草でも俺を殺すのは容易いぞ。


「おいっ、大丈夫かっ! しっかりせぇ、アルマ!」

「ガイウス、回復魔法をかけるっスよ!」

「…………!」


 ゴルドやディッツの声が遠い。

 ガイウスの声がもう聞こえない……あ、いや彼は元々無口だった。


「アルマさん、アルマさんっ! しっかりなさって!」


 ルティアが握ってくれる手の感触に、くすぐったいような心地よさを感じながら、俺は目の前が真っ暗になり、抗えない暗い淵へと落ちていくかのように……気を失った。

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