第17話 大樹が抱くモノ
『……楽しそうに談笑していたな、ユート』
一人になると、少し拗ねたような声で天龍が声をかけてくる。
「ああ、実際話してみると悪いやつらじゃなかったよ」
『ほう。悪いやつらではないと。私の声を無視するくらい悪くなかったか』
「いや、それは…… お前の声は俺にしか聞こえてないんだし、口と頭の中で別々に会話できるほど器用じゃないしな」
実は、ルティア達との会話中、天龍がちょこちょこと口を挟んできていたんだが……
相手にできないので放っておいたら何だか拗ねられた。
実のところ、天龍は意外におしゃべりだ。
好奇心も旺盛だし、特筆するようなものでもない日常の会話は頻繁に行っている。
なんせ、四六時中一緒にいるようなものだからな。
『ふん…… まあいい、あの娘に夢中になって目的を忘れるようなことがなければな』
「大丈夫だって。そう拗ねるなよ」
『拗ねてない。……やきもちでもないぞ!』
そもそもやきもちを焼かれるほど好感度があるのかも不明だ。
天龍が女の子かどうかもわからないしな…… 本人も忘れてしまったらしいし、もしかするとそもそも性別が存在しないという可能性もある。
さておき、ここから森の入り口まで戻りつつ狩りをする……前に、少し散歩しようと思う。
そもそも、ルティア達と遭遇したのが想定外だったのである。
元々、この大樹の根本をぐるっと一回りしてみようと思っていたのだ。
果たしてこの樹は一周するのにどれくらいかかるのか、試してみようと思う。
大樹の根本には魔物が出ないというのが本当なのは確認できたし、とんでもなく巨大といっても直径が1km以上もあるわけではない……と思う。
仮に1kmあっても、一周は3.14km、一時間かからずに戻ってこられる筈だ。
『別に一周したところで何かがあるとは思えぬがな』
「軽い腹ごなしみたいなもんだ。雑談でもしながら歩こう」
『む、雑談しろと言われて雑談するのも話題に迷うが……』
ふぅむ、と考え込んだ天龍の答えを待ちながら、俺は歩きだす。
もとの世界では登山部だった俺だ、大樹の横に回り込むと結構草木が生い茂ってはいるものの、起伏もないなだらかな道のりはそれほど苦でもない。
それよりもこの大樹が興味深い。
迷宮の中に生えている樹だから考えても仕方ないかもしれないが、これは一体なんの樹なのだろう。地球にある植物ではないだろうけど。
あまりに大きすぎるせいか、天龍眼にも「木」としか表示されない。
『いや、それは迷宮の中の存在だからだ。
ここは渦巻く魔力によって作られた仮初めの異世界。それは育つことも枯れることも実をつけることもない、ただの「木」なのだ』
「……よくわからん。名前が無い木、ということか?」
『むしろ、「木」という概念そのものなのだ』
……やっぱり、よくわからん。
『迷宮によっては、何らかの変化を起こしたり実や花をつける木もありうるが、ともあれこの大樹に関しては、迷宮を形作る背景のうちのひとつ、とでも考えておけ』
「背景ねぇ…… いかにも特別っぽいのにな」
と、上を見上げる。
青空には鳥の魔物……ハミングバードらしき黒い影がいくつか舞っているが、大樹に近付こうとしたものが一定距離まで近づいたところで慌てたように旋回して向きを変えていた。
これも、そういう設定、というだけのことだろうか。
ゲームでセーブポイントが設置されているみたいなもの。
『ふむ…… それについては私にもわからぬ。
誰かが意図的にそう作りでもしない限り、ボスもおらぬに魔物の近付かぬ場所などあるとは思えんのだが……』
「え、待って、ボスとかいるの? ってか、迷宮って作れるの?」
『魔力の吹き溜まりに生まれた迷宮の中で、さらに魔力の凝縮された場所には、ボスと呼ばれる特別に強力な魔物が生まれることがある。
そういった場所には、ボスを恐れて魔物が近付かぬこともあるな』
「大樹の迷宮にも、ボスがいるってことか?」
『いや、ボスは必ずしもいるわけではない。
それに、この迷宮にボスがいるなら、あの女教師が今まで黙っている筈もなかろう』
それもそうだ。シャリア先生の名前を出されたら納得せざるを得ない。
でも、それなら何故この大樹には魔物が近付かないんだろう……?
『それと、迷宮を作れるか、ということだが……
意図的に魔力の吹き溜まりを作れれば、可能だな。
……まあ、普通の人間には無理だ。いや、人間でなくとも個人の持ちうる魔力では、迷宮を作ることは困難だし、その内部を自由に設定するとなると尚更だな』
「迷宮を作るのは無理……ってことか?」
『理論上は可能だ。必要な魔力の量は凄まじいがな。
だが、それだけの魔力を費やしてこの程度の迷宮を作ったとも思えぬ。魔物が近付かぬのは、やはり何かしらの偶発的な理由によるものだろう』
結局のところ、魔物が大樹に近付かない理由はわからない。
安全に休憩できるのだから理由はなくてもいいか、とも思うけど。
そのまま天龍と軽くおしゃべりを続けながら、大樹に添って緩やかにカーブしつつ歩いていく。
20分ほど歩いただろうか。最初の広場のほぼ真裏まで来たところで、小さく開けた広場のような場所に出た。
一瞬、もう一周したのかと思ったが、広さや周囲の様子から別の場所だとわかる。
何より一番の違いとして…… 大樹に大穴が開いていた。
「……なんだこれ」
その穴は、岩壁に開いた洞窟のように、そのまま歩いて入っていけそうな大きさだった。
幅も数人が並んで歩けるくらいだし、高さも到底手が届かないくらいはある。
それでも大樹の大きさからすればほんの小さな穴ではあったが……
異様なのは、その中だ。
『……階段だな』
明らかに人の手で作られたような岩の階段が、緩やかに地下に向かって続いていた。
岩、である。
大樹に穿たれた穴なので壁や天井は木製になるはずなのに、見た目も手触りも完全に岩だった。
天龍眼でじっと見てみても、「岩壁」と表示されている。
『ふむ…… 迷宮の入り口のように、独立した異空間になっているのかもしれぬ』
「迷宮の中に迷宮がある、ってことか?」
『理屈としては、ありえぬ話ではないが……』
俺と天龍の声にも、緊張感がにじむ。
この階段の先から、何か本能に訴えかけるというか、首筋がピリピリするような何かを感じるのだ。
階段を下りているうちに気が付けば魔物の口に飲み込まれていそうな、不気味な忌避感を感じる。
『ううむ…… この奥は、かなり濃密な魔力が渦巻いているようだ。
もしかしたら、ボスがいるかもしれぬな』
「ボスか…… 勝てると思うか?」
『……いや、今のお前では無理だろう』
だよな。自分でもそう思う。
それくらい、危険な予感がピリピリしていた。
そもそも、降りていこうにもこの先は真っ暗だ。何かしら明かりがなければボス戦どころか歩くのもままならない。
「……今日のところは、帰るしかなさそうだな」
『天龍眼なら、暗闇を見通すことも造作もないが』
「何でもありだな、天龍眼。
でも、暗さは何とかなっても、それで勝てるわけじゃないからな……」
ゲームで攻略の順番を間違えて、序盤で後半のダンジョンに踏み込んでしまったような感覚。
いや、これはゲームではなく現実だ。ゲームバランスも何もありゃしない。
「ともあれ、ここを降りるのはまた今度だ。
シャリア先生に話を聞いて、俺自身ももうちょっとレベルを上げて…… それからだな」
『うむ。だが、いずれはお前もこのくらいの迷宮に足を踏み入れられるようになるのだぞ』
言われるまでもない。最終目標はもっとずっと先なのだ。
ラスボスを倒そうっていうのに、道中のダンジョンでつまづいていては話にならないというものである。
立ち去る前に、いずれ挑むべき階段の奥の暗闇をじっと見つめ――
その奥で、何かがきらりと光った。
『ユート、横に跳べっ!!』
「うおぉっ!?」
天龍の声が脳裏に響き渡ると同時に、俺は反射的に全力で横に跳んだ。
その直後、大樹に開いた大穴の中から何かが矢のように飛び出してくる!
質量の大きなそれは通過と同時にぶわっと強い風を巻き起こし、どすんと重そうな音を立てて広場の中央に落下……いや、着地した。
「シュルルルル……」
「シャラララララ……」
それは磨きあげた鉄のような鈍色をした二頭の蛇だった。
……いや、違う。直径1mもありそうな太い身体の半ばから二股に別れ、それぞれに頭を持った二つ頭の一匹の蛇だ。
全長は何mになるだろう。かなり巨大で、着地音からして重さもかなりありそうだ。
……というか、今のはこの蛇が飛び出してきたのか。
天龍に声をかけられて跳ばなければ、あの巨体に激突されていただろう。即死していたかもしれない。
「こいつが…… ボスか!?」
『わからぬ。ボスと呼ばれる連中は自ら外に出ることはほとんど無いはずだが……』
鎌首をもたげてしゅるしゅると威嚇してくる二頭蛇に、俺はすらりと剣を抜いて構える。
果たして今の俺でこいつに歯が立つのか……?
アンフィスバエナ 魔物 Lv32
蛇系 無属性
いや無理だって。Lv30越えとか明らかに無茶。
戦おうとしても死ぬだけだ。ここはなんとか逃げるしかない。
ルティアたちに追い付ければ、あるいは……いや、ルティア達のレベルでも厳しい相手だろう。
どうにか…… 迷宮の入り口まで逃げるしかない。
「天龍、一秒だけ天龍眼を全開にしてくれ。データを抜いたら、後は死ぬ気で逃げる」
『わかった。死ぬなよ、ユート』
今回ばかりは死なずにいられる自信がないなあ……
じりじりと後ろに下がりつつ、まばたきひとつ。
それで全てを理解した。
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【名前】アンフィスバエナ 【Lv】32
【種族】蛇系魔物
【属性】無
【能力値】
体力 62 精神 10
筋力 58 魔力 11
技量 35 感覚 30
敏捷 42 知性 5
【クラス】
魔物Lv32
【アビリティ】
血液毒
毒耐性
熱源感知
氷弱点
【スキル】
二頭格闘Lv5
隠密Lv2
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ステータスは完全に脳筋パワー型。知性もほぼなし、本能で襲いかかってくるタイプの相手だ。
注意すべきは、やはり牙。何と、猛毒がある。
アンフィスバエナの蛇毒は出血を促し、また血液に乗って血管や肉体を破壊してしまう効果がある。噛まれたら死ぬ。
あの巨体で巻き付かれるのも恐ろしい。高い筋力値で全身の骨を砕かれてしまうだろう。巻き付かれたら死ぬ。
そして奴の隠れた武器は全身のバネを利用したジャンプ力だ。あの巨体と重量が解き放たれた矢のような勢いで飛びかかってくる。当たったら死ぬ。
……即死攻撃多すぎじゃね?
攻撃面も恐ろしいのだが、防御面も侮れない。
磨かれた鉄のような鱗は、実際に金属のような硬度を持っている。
また、その鱗の下の筋肉も鋼のように硬くかつしなやかで、切り裂くことは難しい。
弱点は氷属性の魔法……だが魔法の使えない俺には関係ない。
俺の剣ではダメージを与えられそうにない。……こりゃ剣は捨てた方が逃げられる確率があがりそうだな。
天龍眼を全開にすれば、一瞬で奴の全てが理解できる。
全開にしていたのは僅か一秒だったので、少しだけずきりと頭が痛んだだけで済んだ。
アンフィスバエナと俺はにらみ合い……
奴が飛びかかるために全身をぎゅっとバネのように縮めようとするのがわかったので、機先を制するように手にした剣を投げ付ける。
「おりゃあっ!」
「シューッ!!」
投げ付けた剣はひらりとかわされてしまったが、飛びかかりを阻止することには成功した。
その結果を見ることなく俺は身を翻して繁みの中に飛び込む。
巨体だがスピードは圧倒的にアンフィスバエナの方が早い。開けた場所で対峙していては、逃げ出すこともままならない。
迷宮の道から外れて繁みの中を突っ切れば、アンフィスバエナの巨体なら木々の合間を抜けるのにも一苦労することだろう。
障害物と天龍眼を駆使して、あとは死ぬ気で走って逃げる!
それでも決して最後まで逃げ切れる可能性は高くないが…… 大樹を離れたら諦めてくれたりしないかなあ。
『希望的観測は油断を招くぞ。入り口まで走れ!』
「くっそ……!」
背後からばきばきと巨体が草木を破壊しながらかき分けてくる音がする。
思った通り障害物が邪魔をして思うようには進めないようだ。一気に飛びかかってくる気配もない。
ただ、流石に俺の方も走りづらい。枝葉で多少傷つくのは無視して強引に進むが、背後に迫るものを思うと気が焦る。
ちらっと振り返ると……それを後悔したくなるような距離にアンフィスバエナがいた。くそっ!
繁みを突っ切る速度を死に物狂いで上げる。追い付かれたら……確実に死ぬ!
絶望的な鬼ごっこは、まだ始まったばかりだ。




