第15話 大樹の懐へ
※2016/9/9 ドロップアイテムの価格を上方修正しました。
例えば、毎月15万円の給料をもらっている人がいるとする。
彼は毎月の出費で15万円を使いきってしまうとしよう。
では、この人の給料が100万円になったらどうなるか。
すると、新しい家に引っ越し、家具を購入し、服や食事のグレードをあげたり、株に手を出したりして、やはり100万円を使いきってしまうのだという。
収入が増えると支出も増える、という話だ。
俺も迷宮での狩りに慣れてきて、それなりに暮らしていけてると思う。
だがしかし、そうすると段々出費も増えてきた。
シャリア先生には立て替えてもらった研ぎの代金を返したし、砥石も買った。サブウェポンに短剣も一本買った。
だが人は狩りして飯食って寝るだけでは生きていけない。
そう、衣食住の衣が足りていないのだ。
なんたって、私服兼鎧のクロースアーマーと、シャツと下着それぞれ一枚ずつしか持ってなかったのである。下着くらい何枚か新しいのが欲しい。
いや下着だけあっても困る。クロースアーマーは鎧とは名ばかりのあて布と詰め綿で補強した服である、着ていれば汚れてくるし、普段着も欲しい。
着るものがそろってくれば、今度は洗濯だ。
大牙亭では洗濯カゴに洗い物を入れて出しておけばミーシャが洗濯しておいてくれるが、これが一カゴ単位で別料金。
服が綺麗になれば今度は身体の汚れが気になる。
お風呂に入りたい! ……が、温泉地か貴族の屋敷でもなければ風呂なんて無いらしい。桶一杯のお湯とタオルをもらって、それで髪や身体を拭くのが一般的なんだとか。
このお湯とタオルも、やっぱり別料金サービスだ。
嗚呼、生きていくにはとかく金がかかるものである……
1000ダイム銀貨三枚は、3000ダイムという数字以上に高い目標だ。
『洗濯や風呂は、魔法を覚えればなんとかなるのではないか?
水を出すなりそれを暖めるなり、難しい魔法ではない筈だ』
マジか。クロードが本を買ったら俺にも見せてもらおう。
さて。
お金が必要ならば稼がねばならない。
もっとお金が必要なら、もっと稼げるところで稼ぐしかない。
ラディオン近辺で最も高額なドロップ品は、クレセントベアの肝というレアアイテムだという。
高級な霊薬の材料として使われるとかで、なんと一個4000ダイム。
ただし、クレセントベアは一頭相手に戦士三人が魔法使いの援護を受けながら戦ってようやく倒せるかどうか、というくらい強い熊だ。
俺が一人で挑んだら確実に死ぬ。
何事も地道に一歩ずつ。
安全第一、いのちだいじに。
というわけで、まずは大樹の迷宮に来ております。
ぶっちゃけここ、一人でも何とかなるラディオン最低難易度の迷宮だが、複数人パーティだと稼ぎが低すぎるので、人気がないらしい。
……道理でルティア達以外の探索士を見かけないわけだ。
さて、そんな迷宮でも、ドロップ率100%の俺ならそこそこ稼げる。
そして、迷宮は奥に行けば行くほど魔石に魔力が貯まりやすくなり、稼ぎが良くなるのである。
というわけで、今日は大樹の迷宮の最奥、大樹の根本を目指してみようと思う。
通い詰めてたおかげで前半のマップはほぼ完璧に頭に入っている。
後半は未知の領域だが…… 何しろ常識はずれの大樹がどこからでも見える目印としてそびえ立っている。これで道に迷えたら表彰モノだ。
巨大すぎて、逆に距離感がないんだけどな……
道中の魔物の相手はもう慣れたものだ。
キノコを縦に切り裂き、かみつき草の葉を刈り取り、アリの頭を落とす。
アリを倒したあとは刀身を水で洗い流し、一振りして水滴を払い、乾いた布で水気を拭き取る。
ドロップアイテムも忘れずにバックパックへ。
順調に迷宮を踏破していく。
『……つまらぬぞ、ユート』
「何がだよ、天龍」
『敵が弱すぎて苦戦の苦の字もないではないか。
ここのところ、同じ相手に慣れすぎではないか? キノコと初めて戦ったときのことを思い出すのだ!』
「だから、毎回死にそうな戦いなんかしてられないって!」
とはいえ、天龍の言うことにも一理ある。
キノコも草もアリも、魔物の強さとしては最底辺なのだ。ちょっと楽に行けるからといって慢心するのは良くない。
何せ、俺と天龍の最終目的地は、天龍が封印された最高難易度で最大規模(天龍の自己申告)の迷宮なのだから。
『うむ。出来ぬことをしろとは言わぬし、結果として駄目だったのならばそれでも良い。
だが一歩ずつでも進み続けよ。それが私とお前との契約だ、ユート』
「ああ。でないと俺の二度めの命も終わりだからな」
『ん? いや、別に契約と言っても強制力は無いぞ。
たとえ魂の繋がりを切ろうともお前が死ぬことはないし、封印の中から私がお前を殺すようなこともできぬ』
「あれっ、そうなの!?」
『だが、契約をないがしろにするなら、私は夜ごと恨み言をささやき続けるぞ』
「何その地味な嫌がらせ!?」
眠れなくてノイローゼになりそうだな……
まぁ、生き返らせてもらった恩はあるのだ。それを無視して好き勝手にするというのも寝覚めが悪い。
よほどのことが無い限り、このまま天龍の目的を果たしに行くつもりだ。
ピチチチッ、と甲高い小鳥の声が響く森の中を、俺は心構えも新たにしつつ──
──ん、鳥の声?
『ユート、上だ!』
天龍に言われると同時に、俺は上を見上げた。
青空を舞う鳥の影が、俺に向かって一直線に急降下──!
……をしたりはせずに、パタパタと高速で羽ばたきながら目の前に降りてきた。
「ピチチチッ」
うぐいす色をした大きなオウムくらいの大きさのその鳥は、高速の羽ばたきでホバリングしながら、見た目にそぐわない小鳥のような声で俺に向かって威嚇した。
ハミングバード 魔物 Lv7
鳥類系 無属性
せっかく上空にいるのに、急降下攻撃しないでわざわざ目の前に降りてから攻撃してくるのか……
ちょっぴり残念だなと思いつつ剣を構える。
パタタタタタ、とページをめくるような羽ばたきの音を響かせて、ハミングバードはジグザグに振れながら俺に向かってきた!
その動きは速い。目でとらえるのも難しい程だ……!
………が、一定距離を進むとぴたっと止まるので、あんまり脅威ではなかった。
「せいっ……っと!?」
トリッキーな動きで近づいてくるハミングバードを牽制するように剣を振るが、ふらふらとジグザグに飛ぶハミングバードは、まるでその剣を巧みに避けるかのような動きをする。
せわしなく位置を変えての攻撃は、自然と回避や回り込み、フェイントのような効果があって、鋭い脚の爪で引っかかれたり、くちばしで突かれたりしてしまった。
剣を振り回して追い払おうとするが、なかなか離れない。
う、鬱陶しい……!
『ユート、もっと狙いをつけて剣を振れ! そんなことでは奴を切れんぞ!』
「そんなこと言っても、なかなか…… うわっ!」
『ええい、もどかしい……!』
キノコやアリは抵抗なく切れたのに、相手が肉と骨を備えた動物……鳥となると、何故だか途端に剣を振るいにくくなる。
なんというか、生々しいというか…… いや、戦いなんだから生々しいのは当然なんだけど!
だが、剣を振り回しても追い払えそうな様子はない。覚悟を決めて、切りつけるしかないか。
しかし、こいつ、なんというか…… 弱いな。
レベルはアリよりも上なのに、攻撃に命の危険を感じるほどのものではない。
いや、強い弱いというよりも…… なんというか、鬱陶しい相手だ。
だが、こちらの剣も斬ろうとしてもなかなか思うように当たらない。
「せやぁっ!」
ようやく剣が命中し、ばっさりと翼を切り裂く。
ハミングバードは甲高い声を上げて墜落したが、それだけでは絶命させるには至らず、無事な方の羽根を振り回してバタバタと暴れ回っていた。
「……南無三っ」
努めて手応えは感じないようにしつつ、剣を突き立ててとどめを刺す。
ハミングバードが絶命して魔力に還った後、そこには数枚の綺麗な翡翠色の羽根が残されていた。
この羽根は綺麗なので装飾などに使われるらしい。単価は低いのだが、運が良いとこうやって複数枚落とすことがある、ということだ。
たぶん俺なら確実に複数ドロップするだろう。
……少し戦いにくかったが、負けるような相手ではなかったな。
この調子なら、大樹の迷宮を制覇するのは案外簡単そうだ。
『慢心はいかん、という話をしたばかりだったろう……』
「といってもなあ……」
苦笑しながら、大樹を目指して再び迷宮を進んでいく。
大樹にもかなり近づいてきて、入り口で見るよりかなり大きくなってきた。
もはや見上げて首が疲れるくらいの距離だ。あと一息だな。
行く手にキノコとかみつき草を発見し、そして上空からハミングバードの鳴き声が降りてきているのを感じつつ、まずはキノコを手早く片付けるために俺は剣を抜いてキノコに駆け寄った。
……死にかけたっ!!
「お…… おそるべし、ハミングバード……!」
『だから慢心するなと言ったのだ。久方ぶりにハラハラする戦いだったがな!』
二体で出てきたところでもはや怖くないキノコと草に、弱いハミングバードが加わったところでどうということはない。それこそが慢心であった。
とにかくハミングバードが鬱陶しいのだ。
広げた羽根で視界をふさぎ、爪やくちばしの攻撃でこちらの攻撃も防御も邪魔をして集中を乱してくる。
ならばハミングバードを先に、と思っても不規則な動きで剣を当てるのが難しい。
そして気を取られているといつの間にかキノコとかみつき草がそこにいる。
おかげでキノコの打撃をくらうわ、かみつき草にかみつかれそうになるわ、久しぶりに胞子まで吸い込まされてマジで一瞬命の危険を感じた。
なんとか草とキノコから距離を取って、ハミングバードを切り落とせたから助かったが、ああいう他の魔物と組み合わせることで輝く魔物もいるんだなぁ、と感心することしきりである。
だが、もう大樹の根元もすぐそこだ。
帰り道を考えると道半ばといったところだが、大樹の根元には何故か魔物が寄りつかないらしい。
時間も丁度いいし、そこで弁当を食べて休憩して、それから帰ることにしよう。
辿り着いた大樹の根本は、大きく開けていてちょっとした広場のようになっていた。
こうして近付くと大樹は本当にでかい。
日本にいた頃を思い出しても、比較するのに適切な大きさのものがぱっと思い付かない。東京タワーとかスカイツリーとか、あるいは新宿都庁だろうか?
高さだけでなく太さもかなりのものだ。まるで木製の巨大な壁が立ちはだかっているかのようだった。
その大樹の根本に先客がいた。
流れるような金の髪、輝くような純白の衣装。女神のような美貌。
シートを敷いて座り、高そうな白い磁器のティーカップで優雅に紅茶を飲む彼女に侍る男性達は、パーティの仲間というより従者か信者のよう。
ルティア達のパーティだ。
優しげな、というよりも慈愛に満ちたと表現すべき微笑みで彼らを魅了していた彼女は、俺に気づくとティーカップをソーサーに置き、輝くような笑みを浮かべた。
「こんにちわ。ご一緒にお茶でも如何ですか?」
まるでこの場の主であるかのような振る舞い。
ごく自然に、周囲の空気を支配して、俺もそれに取り込もうとしているのがわかった。
これがカリスマか…… わかってなかったら、俺も一度目のように容易くペースを奪われていただろう。
周囲の男たちは俺を警戒しているが、好きな女性が俺に話しかけ微笑みかけているというのに、それを遮るような不届きものは一人もいない。
『存外によく調教されているな、奴ら』
な、なんか怖いな……
ともあれ、友好的な態度で来ているのだから、俺も断りにくい。
「……そちらがよければ、少しだけ」
「探索士は助け合いですわ、仲良くいたしましょう。
皆さま、少しだけ場所を空けてくださいますか?」
ルティアに言われて作られたスペースに、居心地悪く腰を下ろす。
あの時に回復魔法をかけてくれた、なんとなく僧侶っぽい無口で筋肉質な彼が、意外に洗練された手つきで紅茶を入れて出してくれた。
カップに口をつけると…… 意外と言うか何というか、馴染みのある紅茶の味だった。
大牙亭のお茶は、見た目紅茶で味は緑茶だったのになあ。
深い味わいと香り、そして独特の甘みと渋み。
いや、これ実際美味しいぞ。茶葉もいいものなのだろうが、紅茶を淹れる彼のお手前もなかなかのものだ。こんな迷宮の奥でこんなお茶が飲めるなんて。
「美味い……」
「ふふっ、それは良かったですわ」
思わずこぼれた言葉に、紅茶を淹れてくれた彼も少しばかり面映ゆそうにしていた。
それにしても、ルティアが妙に友好的である。
紅茶でややほぐれたものの、意図が読めなくて俺と周囲の男達の間に妙な緊張感が漂ってしまっている。
まるで、先日のことなど忘れてしまったかのような態度だ。
「初めてお会いしますわね。わたくしはルティアと申します」
「……えっ」
「えっ……」
「えっ」
マジで忘れてやがったぁッ――!!!??
今回、魔物に属性が表示されたのにあわせ、今までの話の天龍眼の鑑定結果にも属性について追加しました。
ざっくり言うと、ミーシャだけ天属性で、今回までに出てきたその他の人物や魔物は全て無属性になります。
属性についての説明は、いずれ機会があった時に。今はただの雰囲気です。




