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第14.5話 異世界の剣理

 アルマさんへの『授業』を終え、一緒にお昼ご飯を食べたあと、アルマさんは迷宮へ、主人は仕事へ、私――シャリア・カラードです――は食器の片付けへと向かいました。

 今日は協会のお仕事はお休みなので、一日この工房にいる予定です。


 洗い物を終え、お昼の片付けを済ませた頃、外からお昼の鐘の音が聞こえてきました。

 私は濡れた手をぬぐい、居間の方へと向かいます。

 居間といっても、ここは母屋ではなくて主人の仕事場の工房なので、休憩ができる程度の椅子とテーブルが置いてあるだけのような場所ですけれど。

 ほとんどの空間は表の店舗スペースと奥の鍛冶場に割り振られているのです。


 居間には、私の主人であり工房の主である、鍛冶士のゲイルさんがお茶を飲んでいました。

 私も、彼の向かいの席に腰を降ろします。


「お疲れ様、シャリア」

「いえいえ、家事は好きですから。お茶のおかわりは?」


 いただくよ、と差し出されたカップにポットから熱いお茶を注いで、自分のカップにもお茶を注ぎました。

 彼は舌がぴりっとするくらいの熱いお茶が好物で、付き合っているうちに私も同じものが好きになってしまいました。

 二人で熱いお茶をずずっとすすり、熱の溜まった吐息をほっと吐きます。

 そのタイミングがまるで同じで、思わず二人で見つめ合って笑顔になってしまいました。うふふ。


「彼…… アルマ君は、どうだい? シャリアから見て」

「そうですね…… 最初は、だめかなって思ったんですよね」


 探索士というお仕事は、危険なぶん誰でも簡単になることかできます。

 ですので、跡を継げない農村の次男や三男といった人がなけなしの餞別に剣をもらってやってくることが多いのです。


 多くの英雄は、彼らの中から生まれました。

 彼は貧乏な農家の三男として生を受けた――から始まる、有名になった探索士の物語は枚挙に暇がありません。

 新人たちも、それに続かんと夢見てやってきます。


 その影に、英雄になりそこねて姿を消した者がどれだけいるかも知らずに。


 実はあまり知られていないことですが、探索に向かったまま帰ってこない探索士は珍しくないのです。

 根拠のない自信を胸に、一人で迷宮に向かう人。

 仲間と共に、不相応なレベルの迷宮に向かう人。

 そうでなくても、生活費を稼げなかったり怪我をしたりで引退する探索士も少なくありません。

 1年後も探索士を続けていられる人の割合は5割前後と言われており、探索士協会でも頭を悩ませている問題だそうです。


 私のように、素敵な旦那様と結ばれて家庭に入るなどの円満な引退は、そうそうあることではないのです。


 最初は、アルマさんもそんな消えていく新人探索士の一人だと思っていました。

 だって、「お金がないから一人で迷宮で稼ぐ方法ありませんか」ですよ? 口すっぱく現役時代の経験を元にしたやり方を教えましたが、正直戻ってこれないかと思っていたんです。

 実際、運良くルティアさんたちに助けられなければ死んでいたかもしれませんね。


 ルティアさんは…… 女性としては末恐ろしいと思いますが、探索士としては決して褒められないです。

 真似をする人がいなきゃいいんですけど。並み外れた容姿とセンスがないと、良くて失敗、悪くて仲間ごと全滅ですし。


 ともあれ、アルマさんは今や普通に稼いで帰ってくるようになりました。

 しかもアリのドロップアイテムが多いので、アリ蜜の相場が値下がりの気配を出しているそうです。今はまだ買い取り価格の変動が出るほどではありませんが。


「彼は、シャリアの教えたことをきちんと吸収しているんだね。

 だからこそ、君を先生って呼ぶんだよ」

「うふふ、アルマさんは真剣に話を聞いてくれますから、私も教えてて楽しいんですよね」

「案外、先生はシャリアの天職かもしれないな」

「まさか! だって私、学なんかないですよ」


 先生といえば、街の子供や商人の子が通う学校の教師です。

 ですが、そういったところで教えるのは主に数字の計算。

 私は街の生まれですがそういったところで勉強したことはなく、協会の素材買い取りでもソロバン弾きながら数を数えるくらいがせいぜいでした。

 ゲイルさんも子供の頃から鍛治職人の徒弟でしたので、勉強したことはないそうです。


「……そういえば、アルマさんは素材額の計算が早いんですよね。勉強したことがあるのかも?」

「そうなのかい? 僕は、彼は農村の出だと思ったんだけどね。

 手を握ったときに、農作業の経験がある人間の手をしていたんだ」

「うーん、村の誰かから個人的に教えてもらってたとか。

 ……あれ、でもアルマさん、探索士登録の時に字が書けないって言ってたんですよね」


 計算はできるけど読み書きはできない。

 ちぐはぐな話に、うーん、と小首を傾げてしまいます。


「……もしかしたら、教わった人が遠い国から来た人だったのかもしれない」

「どういうことですか?」

「彼の剣の構え方。普通とは違ったよね?」


 おや、ゲイルさんも気付いていたようです。

 アルマさんに剣を振ってもらいましたが、彼の構え方はあまりに綺麗に過ぎました。

 背筋を伸ばし、足を前後に開いて、手首を締めて。

 真っ直ぐに振り上げ、一歩前に踏み込みながら降り下ろし、水平で剣を止め、踏み込んだ足を引いて元に戻る。

 私が何も指示することなく、自然にそういう構えをしていました。


 普通の農村から出てきた人達は、剣の使い方など習っていませんから、彼らの剣の使い方は違います。

 基本が、鍬なんです。

 鍬を降り下ろすように剣を降り下ろす。ですから、踏み込みませんし、降り下ろした剣も下まで振り抜きます。


 農村の出でなければ、棒切れですね。

 無造作に剣を振り上げ、斜め上から斜め下へ降り下ろす。

 経験を積めば次第に洗練されてはいきますが、アルマさんのような構えにはなりません。


 では、きちんと剣を習った者なら。

 アルマさんの構えは、そういう剣士に近いものでした。

 ですが、アルマさんの場合は、もっとこう……


「たぶん、剣の想定が違うんだ。

 普通の剣は、力と重量で押して切る。彼の構えはおそらく、当てれば切れるような……曲刀のようなものを想定した構えだね」

「なるほど、流石ゲイルさんです!」

「そんなことはないさ。剣については、シャリアにも教えてもらったからね。

 ともあれ、そんな剣を想定した剣術はこのあたりにはない。だから、ずっと遠く離れた国から来た誰かに、剣と勉強を教えてもらったんじゃないかな」

「そういえば、アルマさんの出身地を聞いたとき、聞き慣れない地名でした。

 確か……ニホ国? とか、トルコウの街? とか。

 遠い国で、もっと遠くから来た人に教わったのかもしれませんね」

「そうだね、アルマ君自身は顔立ちや言葉のなまりもこのあたりの人とあまり違いはなかったし、シャリアの言う通りだと思うよ」


 そう言って、ゲイルさんはにこっと優しく微笑みました。

 その爽やかな笑顔にきゅんとしてしまいます。

 真面目で、誠実で、頭もよくて、努力家で、でも偉ぶらなくて、カッコよくて、笑顔が素敵で…… 私の旦那様、素敵すぎませんか?


 でも。

 アルマさんには、ただ剣を習ったというだけの人とは違うものがあります。


 探索士の戦いは、疲れたから休憩、というわけにはいきません。

 なので、剣は長時間振り回せるもの、疲れても振れるものを選びます。

 そのためにまずは絶対持てないようなグレートソードを持たせて疲れさせて、余分な力を抜かせてから剣を振ってもらったんですけど……


 だんだん上達するんですよね、アルマさん。

 身体に合った重さの剣を持たせて剣を振らせていると、構えや剣筋が少しずつ変わっていくんです。

 それを見ている私も、構えの完成形がおぼろ気ながら見えてきたりして、それに近付くように指導できるようになったりして。

 それが面白くて、延々と振らせてしまいました。

 ゲイルさんが見たのは最後の方だけですが、最初の方と比べると、短時間ではありえないくらい洗練されていました。


「もしかしたら…… アルマさんのお師匠様は、剣理(けんり)(ひら)いていたのかもしれません。その見本があったから、アルマさんも……

 いえ、もしかしたらアルマさん自身も」

「剣理って…… あれかい? 小枝で甲冑を斬るっていう」

「それは剣聖ガルバーのエピソードですね」


 ガルバーは二百年くらい前の剣聖ですね。

 剣を極め、生涯に千を越える弟子をとり、その弟子たちが今に続く多数の剣術流派を興しました。


 あるときのこと、ある国の王様に宴に招かれたガルバーは、酒に酔った王に「剣を使わずに、そこに飾られている甲冑を斬ってみろ」と言われたそうです。

 ガルバーは笑って大花瓶に飾られた花をつけた小枝を1本抜き取り、その小枝で真っ向から甲冑を真っ二つにして左右泣き別れにしてしまいました。

 これには王様も驚いて、一瞬で酔いが覚めてしまったといいます。

 今でもその国に行くと「ガルバーの枝斬り鎧」という名前で博物館に飾られているそうですね。


 後にどうやったのかと聞かれて曰く、

「木葉で指を切ることもあるのだから、鉄が斬れてもおかしくなかろう」

 と答えたそうです。

 おかしいですよ。意味わかりません。


 ともあれ、剣理とはそういった剣を極めた果てに見えてくるもの、だそうです。

 そして、剣理を啓いた剣士を、剣聖と呼びます。

 ガルバーの千人を越える弟子の中でも、剣理を啓いて剣聖に至った剣士は3人しかいなかった、と言います。

 剣理とは何かと問われた答えは剣聖によって違いますが、彼らは一様に言います。


 「剣理を啓いた」と。


「アルマさんは剣聖だ……とは、今は言えませんけれど。

 あるいは、いずれそこに手が届くかもしれません」

「異国の剣理か…… そのためには、異国の剣が必要だね?」

「ええ」


 アルマさんには、70cm弱のバスタードソードを勧めました。

 その選択自体は間違っていません。アルマさんの筋力と体力と体格なら、あの剣を使うのが最適でしょう。

 ただしあくまで、今この工房にある(・・・・・・・・)武器の中では(・・・・・・)です。


 曲刀といえば、船乗りの使うカトラスという小型の剣です。

 しかし、この国ではそれ以上の大きさの曲刀を扱う剣術もなく、従って大型の曲刀もありません。

 これは直剣を使うガルバーの剣術が広まったためでもありますね。


 アルマさんの剣術が想定する、バスタードソード並の重さと長さを供えた両手持ちの曲刀は、この工房には――

 いえ、この街に、それどころかこの国のどこにも、存在しないのです。


「シャリア」

「はい」


 立ち上がったゲイルさんに、私は微笑んでうなずきます。

 きっと今日は……いえ、しばらくは鍛冶場から出てこないでしょう。

 だって、あの日私に「君のための剣を打ちたい」と言ってくれた時と同じ、きらきらした目をしているんですもの。

 アルマさんに嫉妬してしまいます。


 でも私、この目にきゅんときて絶対この人と結婚するって決めたんですけどね!

 愛する人が最高に素敵な顔でやると決めたんですもの、妻としてそれを支えなければ嘘というものです。


「近いうちに、またアルマさんを招待しておきます。

 店番のお手伝いも近所の人に声をかけておきますね」

「ありがとう、シャリア!」


 感極まって、ゲイルさんはぎゅっと痛いくらいに私を抱き締め、頬にキスしてくれました。

 私も彼を抱き返して、頬にキス。

 最後に、唇にキスをしてから離れます。


 ゲイルさんはすぐに鍛冶場に入り、間もなく金属を打つ音が響いてきました。

 さて、今日の午後は店番で潰れてしまいそうです。

 本当は、もっとゲイルさんとお話したかったんですけど、仕方ないですね。

 今夜の晩御飯の献立でも考えることにしましょう。


 もう少し余裕があれば、店番のために人を雇ったり、徒弟……住み込みで鍛治職人の仕事を学ぶお弟子さんですね、そういった人を迎えられるんですけど。

 ゲイルさんの腕は良いのですけれど、それと収入はどうにも別問題なのです。

 仕事に集中したい時などは近所の主婦仲間にあらかじめお願いしたり、近くの工房の人に声をかけたりして見ていてもらっています。

 武器が置いてありますから、無人にするわけにはいかないんですよね。

 どうしても店番の都合がつかないときは、鍵をかけて工房を閉めておかないといけません。


 もっと工房のお客さんが増えるといいな、と思いつつ、私はゲイルさんの奏でる鎚の音を遠くに聞きながら目を閉じました。

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