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第9話 探サーの姫

 俺はぽかんと口を開けて彼女を見上げた。

 別に女性に慣れていないわけでも、上がり症なわけでもないが、絵画から抜け出たような美少女がすぐ近くにいて微笑みかけてくれているとなると話は別だ。


「もう大丈夫ですよ。お立ちになって?」


 ささやく声も柔らかなソプラノで、聞いている方の頭の中身もとろけそうな、とろけるように甘い声。英語で言うとキャンディボイス。

 思わず彼女に見とれたまま、その手を取って立ち上がろうとする。


「痛っ……」

「まあ、怪我をなさっているのね?

 ――ねえ、回復魔法をかけてあげてくださる?」


 アリに噛まれた足の怪我に呻く俺に、彼女の仲間の一人が進み出てきた。

 彼は俺の傷に手を近付けると、何やらぶつぶつと呪文を唱えて――


「……ヒール」


 おお、これが回復魔法か……!

 傷口がむずむずするが、痛みはすうっと消えた。ついでに天龍眼の後遺症の頭痛も薄れてくれた。


「うふふっ、ありがとう。流石ですわ」

「……ん」


 にこっと笑う彼女の笑顔は、美しくも愛らしく、横顔を見ているだけの俺でも見とれてしまう。

 直接それを向けられた無口な彼など、顔を赤くして何度も首を縦に振っていた。


 再び差し伸べられた彼女の手を取り、俺も立ち上がる。

 背は俺の方が高い。彼女は俺の手を取ったまま、やや上目遣いで真っ直ぐ俺の目をのぞきこんでくる。

 手袋ごしながら、触れた指先は柔らかくて繊細で……やばい、どきどきする。


「助けて、と声が聞こえたので駆け付けましたの。危ないところでしたわね」

「あ、ああ。本当に助かった…… あの魔法は、その、君が?」

「いいえ、彼ですわ」


 と、彼女が見たのは後ろに控える仲間の一人だ。そういえば、聞こえてきた呪文の声は男性だった気がする。

 魔法使いの男性は、彼女に手を握られている俺に睨むような目を向けていたが、彼女に微笑まれると途端にでれっとした。そして彼女が視線を外すとまたこっちを睨んでくる。


「わたくしはルティアと申します。あなたのお名前は?」

「あ、アルマです」


 あ、噛んだ。


 だが考えてもみてほしい。

 健全な成人男子が美少女に手を握られてやや上目遣いで目を見つめられながら「お名前は?」と聞かれて平常心を保てようか。


「アルマさん、ですね。迷宮に一人で入られるなんて…… それに、先程も二体のアリを一撃で倒していました。

 もしかして、レベルの高い戦士なのではありませんか?」

「いや、俺なんかその、今日探索士になったばかりの新人で…… 戦士じゃなくて学士だし」

「……学士?」


 あれっ。

 なんか急に、彼女……ルティアの様子が変わったような。

 微笑みも何故か余所余所しく、握った手を離して、すっと一歩引かれた。


「わたくし達が偶然通りかかって、運が良かったですね。

 けれど、ろくに剣も使えない学士が一人で迷宮に入っても、死ぬだけですわ。大人しく鑑定屋をされた方が良いのでは?」


 あっれ、なんか急に辛辣なことを言い始めたぞう。


 ルティアは張り付けたような微笑みで優雅に一礼して、くるりと背を向ける。


「さ、皆さん行きましょう。あ、ドロップアイテムの回収はどうしました?」

「一通り回収しといたよ、ルティアちゃん」

「まあっ、流石ですわ。いつもありがとう」


 俺のことなどすっかり忘れた様子で、アリのドロップアイテムを回収した仲間の斥候に微笑みかける。

 急な展開に唖然とする俺を放って、ルティア達は何事も無かったかのように立ち去っていった。


「……あっれー?」


 一体どうしてこうなった。何か気にさわるようなことでも言ったっけ……?


『強いて言えば、学士というのが気にくわなかったのだろう』


 なん……だと……!?

 学士が不遇クラスなのはわかっていたが、まさかあんな優しそうな美少女すらそっぽを向くほどの非モテクラスだとは、思ってもみなかった……!


『……万物を見抜く天龍眼も、お前自身がのぼせあがっていては役立たずだな。

 まあいい、ともあれドロップアイテムを回収して、ひとまず迷宮を出るとしよう』


 何やら天龍が呆れたような声で言うが、ドロップアイテムはルティアの仲間が全部回収していた筈……と思いつつ見回してみると、繁みの近くの見つけにくいところにいくつか残っていた。

 天龍眼にかかれば、アイテムのあるところにアイテム名のポップアップが出るので絶対に見落とすことはない。


 アリのドロップ品は、アリのアゴと脚、それからアリ蜜だ。それぞれひとつずつ残っていた。

 ハチミツならぬアリ蜜は、文字通りアリが集めた花の蜜だ。

 ああ見えてフォレストアントは実は草食性で、集めた蜜を貯めておく場所を持っている。

 この蜜はハチミツがわりに広く用いられてもいるのだ。


 ……天龍眼のおかげで、アリについて妙に詳しくなってしまった。


 アリ蜜の入った半透明の袋(というかアリの臓器)は薄いように見えて意外に丈夫だ。

 とはいえ破れてこぼれないよう慎重にバックパック内の一番上に入れてから、出口に向かって歩き出す。


 結局そこから、外に出るまでの短い距離では魔物にも人にも出会わなかった。




 迷宮でとれたものは、基本的に探索士協会が一手に買い取りを担っている。

 特定のドロップアイテムが欲しい! という場合も、よほどの事情がない限り、協会を通した方が商人も探索士も得で楽、というふうに制度が出来上がっているのだ。


 勿論、この流れで一番得をするのは探索士協会なわけだが。


 その探索士協会は日が落ちると受付を終了してしまう。

 迷宮に来るときは歩いてきたが、帰りは馬車に乗らないと間に合わないので馬車代を支払って乗ることにした。

 ……100ダイムは結構痛い。


 いや、ドロップアイテムの換金は実は森の門前町で協会の出張換金所があったのだが、折角なのでシャリア先生に報告したかったのである。

 迷宮で戦って疲れたとか、夜道を歩くのは避けたいとか、そういう理由もあるが。


『さっきの娘どものパーティだが』


 馬車は乗り合いで他の乗客もいるので、天龍との会話も口には出さないように気を付けなければならない。


『彼らのレベルを確認していれば、お前も気付いた筈だ』


 ……レベル?

 そういえば、レベルを確認していなかった。

 結構レベルの高いパーティだったのだろうか。

 特にルティアは装備も立派なものだったし、二次職くらいになっていてもおかしくない。


『周囲の男どもはレベル10から20といったところだが…… あの娘のレベルは、3だ』

「…………さ、さん!?」


 思わず声が漏れた。

 近くに座っている乗客が訝しげな顔を向けていたが、窓の外に顔を向けて知らんぷりをして誤魔化しておく。


 いや、しかし、レベル3か…… 一般人と変わらないレベルだな。

 レベル格差が凄まじい……が、ちょっと待って欲しい。

 あのパーティ、ルティアがリーダーなのではないのか? 平均レベル20近くになる男性達を、レベル3の女性が率いるというのはおかしい。


『あの娘はカリスマのスキルをLv1で持っていた。おそらくそのせいだろう。

 カリスマは、魅了・交渉・演技・指揮などの多数のスキルの上位に立つ希有なスキルだ。貴族や王族でも持っていないものが大半だし、歴史に残るような名君でも精々Lv5だな。

 Lv1でも自分よりレベルの高いもの数人を従えるくらいは容易い』


 レアな上位スキル……そういうのもあるのか。

 例えばカリスマLv10だと、どれくらい凄いんだろう?


『もしもそんな怪物がいたなら、世界を統一できるだろう』


 マジか。カリスマすげぇな。


 ……つまり、あのパーティはルティアのカリスマでまとめられた、ルティア親衛隊みたいなものか。

 メンバーが男性ばかりだったのもそのせいだろう。


『話がそれたが…… あの娘の衣装を思い出してみるがいい。

 汚れひとつない白を保っていただろう。それに、武器の類いも持っていなかった。

 つまり、あの娘は自分では何もせず、周りの男どもを操ってかわりに戦わせている……と、推測できる』


 俺に優しい態度をとったのも、俺を腕の立つ戦士と間違えて取り巻きに加えようとした、ということか。

 一見して清楚で優しそうな美少女にしか見えなかったのに…… 女というのは恐ろしい。


 こういうの、なんだったかな。

 元の世界でもそういう、男所帯に潜り込んでちやほやされる女の子のことを、確か……なんとかサークルのなんとか、って言ったような……

 そう、確か「姫」だ。

 この場合は探索士だから、言うなれば探索士サークルの姫。

 略して探サーの姫。


『なかなか面白いやり方だ。……だが、長続きはせんだろうな』


 ん、そうなのか?


『周囲のレベルがあがっても、本人のレベルがそのままではな。

 周りの男どもも強くなれば欲が出る。

 不満を抑え込ませて低レベルの迷宮に付き合わせ続けるか、自分には不相応なレベルの迷宮についていって死ぬか、それとも別れるか。

 いずれにしても綻びが生まれるのは時間の問題だろう』


 逆を言えば、今ならまだ巻き返すこともできる、ということだが……


『その生き方を選んだのはあの娘だ。無為に首を突っ込むな』


 確かに、わざわざ忠告してやる必要もないか。

 美少女ではあったけど、あの手のひら返しと天龍の解説を受けた後では、何かしてやろうという気も失せる。


 ルティアの話題はそれきりで、あとは今日の戦いがどうだとかドロップアイテムがいくらくらいのお金になるかとか、そんななんでもない話を、傾いていく太陽を眺めながら天龍とかわしつつ馬車に揺られていた。

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