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36.モルカ台地――14

「――ふぅ。ここまで来れば、ひとまずは安全だろう」


 そう言ってアスラは俺を担いだまま立ち止まる。

 重い頭を動かしてどうにか周囲の様子を窺うと、確かに戦場からはだいぶ離れたところまで下がってきていた。

 また、騎乗補正が働く状態だからか、今更ながら別の事にも気づく。

 それは大量の返り血に紛れた、アスラ自身の傷。激戦を経て、その身体は今までどの遺跡を攻略した時よりも消耗している。


『――二人とも済まないな。また、無茶をさせた』

『…………』

「……まだ分かっていないか、主は」


 謝ると、二人から向けられる視線の温度が幾分か下がった。

 アスラは頭痛がすると言わんばかりに頭に手を当てる。


「エルピス。そろそろ第一陣は下がる頃だろう、リーネを連れて来てくれ。主の護衛と説教は我が引き受ける」

『よろしく頼むっす!』

『おい、説教って――』


 俺が反応するより早くエルピスは駆け出していた。

 その身も決して無傷ではない。無理はせず、リーネと合流できたなら自分の回復を優先してほしいと思う。

 そんな事を考えながら遠ざかる姿を見送っていると俺はアスラの背から降ろされ、ついで何か柔らかいものの上に横たえられた。

 視界に映る空とアスラの上半身に、いわゆる膝枕の態勢にあるのだと理解する。


「主には、今回最も無理をしたのが自分だという自覚はあるか?」

『うっ……』

「後方から敵軍の攪乱。なるほど、確かに主にはそれをするだけの力がある。だが……ただでさえリスクの大きい単独行動なのだ。少し早過ぎるくらいのタイミングで確実に退くのがセオリーであろう」

『済まん……』

「……もっとも、反省すべきなのは我の方かもしれんがな。主がその辺り致命的に不器用なのは知っていたのだから、効率などと目先の理屈に囚われるべきではなかった」

『いや、それは俺がきちんと見極めれば良かっただけの話で――』

「できるのか?」


 …………。

 そう言われると、返す言葉もない。

 ただ俯くことしか出来ないでいると、アスラは静かに言葉を続けた。


「まぁ、そういう事だ。主が自ら改善できるならそれが最上だが、そうでないなら我が補う。それが主従関係というものだ……だから主も、もう少し我らに頼れ」

『はは……そもそも俺は、お前たちがいないと何もできねぇよ』

「なら、我とエルピス以外に乗るのは禁止だな」

『あー……いや、それは……』


 思いもしなかった要求をされて返事に迷うと、アスラは冗談だと微笑む。

 その後、表情を真面目なものに変えて改めて口を開いた。


「……あと、もう一つ。リーネが到着する前に知っておいた方が良いだろう」

『ん、なんだ?』

「自分の腕を見てみろ」

『腕がどうしたって――っ!』


 視線を移し、息を呑む。

 痛み以外の感覚が無い左腕。

 てっきり二目と見られないような有様にでもなっているのではないかと錯覚していたその部分は二回りほど肥大化し、先ほどまで乗っていたアバドン片体(フラグム)と同色の鱗によって覆われていた。差し詰め怪人形態とでも言ったところか。


 ……良かった。

 今回ばかりは誰かを巻き込む事もなく済んで、本当に良かった。

 こんな事になったのは、エルピスが突っ込んできたあの時だろうか。

 俺は確かに、どんな代償を払っても構わないと思った。その代償がコレだというのなら、甘んじて受け入れよう。


「思ったより動揺が小さいな」

『まぁな。これくらいの覚悟はあった』

「…………。主の右腕、背中の下部、首元も同じような状態になっている」

『両腕か……食事の時とか苦労しそうだな』

「それなら我が手ずから食べさせてやるさ」


 軽口を叩くとアスラも冗談めかして返してきた。

 互いに、どちらからともなく小さな笑みをこぼす。

 それからリーネを乗せたエルピスが全速力でこちらに向かってくるまでの間、俺たちはとりとめのない話題を続けた。


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