30.モルカ台地――8
『――ふぅ。アスラ、お疲れさん』
『主こそな。我はどうという事もない』
拠点にしている、砂漠に最も近い村に戻って一息つく。俺たちは近くに散らばる他の村を巡って、魔王種の襲来に備えて避難勧告を出してきたところだ。
以前俺たちがよく利用していたことや「本部」の影響力の大きさもあって、事はスムーズに進んだ。
現代……いや、前と違って、今の世界じゃ持って逃げるのに困るような財産なんてそうそうない。これ以上村人たちの心配をする必要はないだろう。
「さて、これから取り掛かるような役目はあるか?」
『いや……特には無――』
「あ、アスラ? ちょうどいいや、少し炎分けて!」
人化したアスラの問いに応えようとした時、砲弾のように通り過ぎた何かが引き返してきた。
エルピスを乗り回していたらしいシャロは、スキル特有の輝きを帯びたフラスコのようなものをアスラに差し出す。
「別に構わんが……これで良いか?」
「うん、ありがと! それじゃっ!」
アスラが手に生み出した黒炎がフラスコに吸い込まれていく。シャロはそれを確認すると、エルピスを駆って走り去っていった。
『戦支度か……俺も手伝った方が良いか?』
「あの様子ではな。下手に介入すると邪魔になりかねん」
『やっぱそうか』
村を回るとき、ついでに支部の連中にも声はかけてある。
そいつらが到着するまで、どうしたものか……そう考えたとき、事態が急転してから様子がおかしかった一人のことが頭を過った。
『なぁ、アスラ。確かリーネは村の外で相手の動向を見てるんだよな?』
「ああ。護衛にユイハがついている」
『…………』
「ん、どうした?」
『乗せてくれよ』
「……そこまでする程の距離ではあるまい。背負うくらいなら構わんが」
『固いこと言うなって』
以心伝心とはいかなかったのか、通じた上でとぼけているのか。
……少しだし自分で歩くか。
戯れも適当に切り上げ、俺たちは村の外へ向かった。
『リーネ、様子はどうだ?』
『まだ特に動きはありません』
『そうか。お前も無理はするなよ』
『ありがとうございます』
砂漠の方を見つめ続けるリーネに声をかける。
俺も同じ方向を見てみるが、騎乗補正もかかっていない目では砂粒程度にさえ見えなかった。
山脈を越え、砂漠を超えてきた魔物たちなんていなかったんじゃないかって思えるくらいだ。……実際そうだったら、どれだけ良かったことか。
再び監視の態勢に戻ったリーネから視線を逸らす。その先には、昨日からずっと口数の少ないユイハの姿があった。
『おい、ぼんやりしてんなって』
「む…………」
その頭を軽く叩く。避ける素振りも見せなかったユイハの反応は微々たるものだった。
いつもみたいに噛み付かれるか、最悪鞘でぶん殴られるくらいは予想してたんだが……これは重症か。顔色も良くないし。
こんな時に助言者は何やってんだ……と思ったが、そういえばアイツはアイツでガゼルたちと細かい計画のすり合わせをしてるんだった。
……仕方ないか。
『アスラ。俺とユイハは少し離れるから、戻ってくるまでリーネの護衛を頼む』
「大丈夫か?」
『たぶんな』
「……承知した」
アスラは何か言いたげだったが、頷くと人化を解いて丸くなった。
俺はユイハを引っ張って移動する。
いつもならこの時点で手を振りほどいて先を歩いていく【剣士】は、別人のようにおとなしくついてきた。
さて……場所はこの辺でいいか。
頭を叩くのはさっき試したけど効果イマイチだったからな……。
少し考えた末、無言でその頬を摘まんでみることにした。
お? 意外に柔らかいな。
気分も乗ってきて、悪戯半分に両頬を引き伸ばしていると――衝撃と共に、目の前に星が散った。
この感触は鞘じゃない。実戦の中で磨かれた拳が顔面に炸裂したと気づいた時には、俺は野原にひっくり返っていた。
「貴様という奴は、人が大人しくしていればっ……!」
『いっ……ストップ、落ち着け! 流石に抜き身の刀は洒落で済まねぇ!』
少しやり過ぎたか。
エルピスもアスラもいない今、本気で殺りにかかられたら抗う術はない。
平謝りの態勢に入ってからユイハがひとまず怒りを収めるまで、それなりの時間を要した。
「……それで? 何故あんな巫山戯た真似をした」
『聞きたいことがあったからな』
「なに?」
『お前さ、ビビってんの?』
「…………ッ!」
こういうとき、言葉を選べるほど俺は器用じゃない。
単刀直入に告げた一言の効果は歴然。ユイハはさっと表情を強張らせた。




