28.モルカ台地――6
…………。
「傾命の虐呪」に関して、リーネは俺が特に迷惑をかけた相手の一人だ。それ絡みの話題はなるべく避けたい。
だが、今発声練習の事情を隠すと……残るのは深夜、何故か皆から離れたところで人化したアスラに背負われる俺という構図。
客観的に考えれば、それなりに見知った相手でも不審な絵面だろう。
いや待て、リーネならエルピスやアスラがやたら俺を乗せたがる事も知ってるはずだ。
『り、リーネ。これはだな――』
『………………』
『ん?』
言葉もまとまらないまま、それでも何か言わないとという思いが先走り……様子を窺ったところでリーネの異変に気付いた。
目を凝らして、どうやら俺の向こうの空を見ているようだ。俺も振り返ってみてみるが……よく見えないな。
まだ日中なら話は違ったんだが、騎乗補正込みの目でも駄目だ。
『アスラ、お前はどうだ?』
『この状態で主に見えないものが我に見えるはずもあるまい』
『いや、人化解いたらどうだって話なんだが』
『むぅ…………確かに何か見える、ような……?』
獅子の姿に戻ったアスラの背で身を起こすも、やっぱり見えないものは見えない。
発声練習がうやむやになったのは良いんだが、置いてけぼり喰らったようで何とも微妙な気分だ。
望遠鏡でもあれば良かったんだが。
仕方ない、もう少し待つか。騎乗補正あればそのうち何か見えるだろ。
そんな風に気楽に考えていると……。
『――ッ』
『ん、どうした?』
『あ、あれは……!』
不意にリーネが息を呑んだ。その顔が暗がりの中でも分かるほど青ざめたのを見て、何か拙い事態が起きていることを悟る。
『リーネ。何が起きている?』
『……大きさは、アスラさんと同じくらい。暗緑色をした、昆虫と獅子のキメラのような魔物の大群です。数は少なく見積もっても……数百』
『おいおい……』
……冗談だろ?
そんな光景目にしちゃ取り乱すのも無理はない。
そういえばリーネが見てるのは東の空……レム曰く災厄の具現である魔王がひしめく魔界の方向。
恐れていた時が、遂に来たって事か。
状況に頭が追いついてくるにつれ、背筋の辺りがすぅっと冷えていくのを感じた。もしかしたら今の俺は、さっきのリーネ以上に酷い顔してるかもしれない。
『……まずはシャロたちを起こすぞ。リーネもついてこい』
『えっ?』
『今が既に非常事態だ。何が起こるか分からねぇ、固まって動くべきだ』
『あ、あの……!』
リーネの腕を掴んでアスラの背に引き上げる。
瞬く間に皆の元へ戻った黒獅子からエルピスに飛び移ると、俺の最初の相棒は即座に反応した。
『ぅん……御主人?』
『敵襲だ、皆を起こしてくれ』
『了解っす!』
「――クェェ■■■エエ■エ■■エエエッ!!」
「「「ッ!?」」」
ノイズ混じりのけたたましい嘶きが響き、エルピスの背に寝ていたシャロたちが跳ね起きる。
「な、なん――」
『東の空を見ろ。魔王軍の襲来だ』
「東……?」
まだ寝ぼけ眼を擦っているシャロだが、状況は伝えた。
後やるべき事は――。
もたつく思考より早く、身体が手慣れた作業を選択した。念話をガゼルに繋げ、寝ている【中佐】を叩き起こすつもりで思念をぶつける。
『起きろガゼル! 緊急事態だ!』
『ッ……!?』
『起きたか? 一度情報を伝えるぞ、魔王種だ! 境界の山脈を越えて、魔物の大群が砂漠を渡ろうとしている!』
『な――』
流石に返ってきた反応は絶句だった。
一度思念の調子を落として言葉を送る。
『……俺が言うのもなんだが、目が覚めたなら一度落ち着け。思考がまともに働くようになったら、改めて情報を伝える』
『わ、分かった。少し待ってくれ』
その言葉と同時に、念話は一度途切れた。
過ぎていく時間が普段より何倍も速く感じる。
……駄目だな。俺自身も心を落ち着けないと。
息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出す。
そうしながらも俺は、自分の心臓がうるさく脈打っているのを自覚せずにはいられなかった。




