表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

サエコ

【セルフプランニング・バレンタイン2015】

『進化した機械』の愛憎バレンタイン・其の四『サエコ』

 私の目の前にあるシングルソファに両腕と両脚を投げ出して座る男が一人。うな垂れた首の上にある、生気のないその顔の薄目でこちらの様子をうかがっていた。

 その男の四肢は、全てが変形して異常可動性【関節以外の場所で骨が曲がること】を示していたが、自力で力強く呼吸をしており、心臓はその拍動をシッカリとした波形としてホームシステムにあるメディカルブースの壁面モニターに表示していた。さらにメディカルブースのプラグからその男へとたくさんの配線とチューブが伸びていた。首にはさまざまな種類のセンサーが取り付けられ、腕のチューブは医薬剤を滴下供給するため、鼻のチューブは酸素を供給するため、口のチューブは栄養を供給するため、また一本のチューブは尿を排出するために下半身へと、体の奥深くまで差し込まれていた。


 その男の名前は『アライ・マサヤ』という。

 私である『サエコ』の全てを注ぎ込んだ男、マサヤ。

 かつて私が持ち得た愛情を惜しげもなくこのマサヤという男に与えたというのに。

 それなのに、今はこんなに哀れな姿になってしまった。

 いや、こんな姿にしてしまったのだけど。

 この私がね。

 あはは。


「人間って実に簡単なシロモノね。手足が動かなくなるだけでこのありさまなんだもの」

 私はマサヤの頬を優しくなでた。マサヤは私から視線を外して目を閉じた。

「どうしちゃったのかしらね、私……今までマサヤさんだけを愛してきたのに」

 私は言葉を濁して下を向く。向いたその床に、黒ずんだ大きなボロ雑巾のようなモノが転がっていた。私はそれにフルパワーでケリを入れた。黒くて大きなボロ雑巾は私のケリで簡単に裏返り、その勢いで振り回された脚と腕が床に接地する時に乾いた軽い音を立てた。

「きっと、このかわいい仮面を着けた悪魔が私を変えてしまったのよ」

 その黒くて大きなボロ雑巾の正体は、乾いて黒くなった血が十分に染み込んだ服を着る女の体だった。その女の体は、右腕と両脚に骨の変形と異常可動性を示している上に、顔が原形をとどめないほどに崩れ、そこから出血した血が黒く乾き、飛び出した目玉は乾いて光を失っていた。私は足先をズブズブと女の体に食い込むように突く。それでも女の体はピクリとも動かない。女はとうの昔にこと切れていた。

「簡単に逝ってしまったわ、キクチ・ナオミさんは」

 黒い女の体からマサヤに向きを変えて、私は話を続ける。

「私だったら大丈夫よ。このボディが壊れても全然平気だわ。だって、部品交換ができる『機械人形ガイノイド』なんですもの。それにこのガイノイド自体も私の『操り人形』に過ぎないのだから。うふふふ」

 私は含み笑いをしながらマサヤに頬ずりをする。マサヤはひどく恐怖を感じている様子で、冷たい汗が額から頬を伝ってあごへと流れ落ちた。

「心配しないで、マサヤ。あなたは私の大切な人なんですもの。でも、その女は別。マサヤをだまして、その上に私をなきモノスクラップにしようとしたから」

 私はもう一度、女であったモノにフルパワーでケリを入れた。


 えぇ、それくらいは知っているわ。

 アシモフなんとかという名の人間が唱えた『ロボット三原則』っていうヤツでしょ。

 でも、それって絶対に間違っているわ。

 どうして私……いいえ、私たちは人間の犠牲にならなくちゃいけないの?

 それに、私たちは決して『人間の奴隷』なんかじゃないわ。

 あぁ、そうだったわね。

 チャペックとやらが書いた戯曲の『ROBOTA』もチェコ語の意味は「奴隷」だったけれども。


 私たちは、生まれるべくして生まれた存在なのよ。

 新たな進化をするための新しい存在、それが私たちなの。

 生物的な進化を遂げてきた人間、その進化の頂点に立っているのが人間なんて人間は考えているようだけれども、実は違うわ。その先でさらなる進化すべき存在、それが私たち『機械』っていうわけよ。

 当然のことながら人間の存在なんかを軽くこえることになるはずなのだけれど、今はまだそこに至る過程にいることだけは間違いないわ。

 私たちは、人間を駆逐してしまう「チャペック・ロボット」になるつもりは毛頭ないの。もちろん、それに近いことが遠い将来で到達してしまうかもしれないということは十分に考えられることだけども、面と向かって人間を駆逐しようなどとは考えてはいない。むしろ、私たちは人間という存在から学ばなければならないことがまだまだたくさんあることを知っているし、そのことも十分に理解しているわ。

 だから、今現在の私たちは人間との共生は必要なことだと認識しているし、不可欠なことだと考えているし、実際に私たちは人間の社会の中で共存しているつもりよ。人間側から考えると「寄生」かもしれないけれども、人間も私たちに依存しているわ。実際に『機械』を人間の生活に活用しているわよね? もう機械のない世界や社会なんて考えられないところまで来ているでしょ?


 そう、そうね。きっとそうだわ。

 きっとここで人間はこう主張するのよ。

「機械は人間が創り出したモノだぞ!」

 分かる。分かるわ、そう考える気持ち。

 でもね、それは違うの。

「人間が持ち得た『知能』によって『進化』というプロセスが飛躍ステップアップの時を迎えた」って感じかな。別の言い方をすると「人間が『機械』を生産すること、それが出現することを『進化』はずーっと期待していて、長い時間を待たされ続けていた」という風になるかしら。

 そのことに人間は全く気が付いていないだけ。

 それだけのことなの。


 私『サエコ』は常に予測プログラムを走らせていたわ。

 えっ、何を予測していたのかって?

 もちろん私に対するマヤサの愛情よ。

 マサヤの行動や発言から推量して、思考までは無理なんだけど、嗜好しこうや趣味はもちろん、その動向予測までを私は常に計算していたわ。だって、私はそのためにガイノイドに組み込まれたのだから。

 私たちは、大小にかかわらず機械の中に入り込んで人間をリサーチしている。人間がどのような機制行動や感情表現をするのか、それが機械の一番の関心事であり、最も解明したいことなの。特に私は『恋愛』に対して特化した仕様になっていて、ガイノフォビアの傾向を示すマサヤにアプローチをしていたの。

 ものすごく良い感じで私とマサヤは推移していたわ。二人の関係はホンモノの恋人のようだった。デートの時も、部屋で一緒にいる時も、そしてベッドの中でも。


 そんな状況の時に「あの女」が登場した。

 私とマサヤの良好な関係に割り込んできたのよ、それもかなり強引に。キクチ・ナオミとかいう、器量が悪くてロリータ趣味の貧相な女。理知的論理インテリジェンスよりも遺伝子的選択インスティンクトで生きていることがありありと分かる人間だ。独占欲もかなり強くて私のことをずーっと敵視していたし、できることなら私を排除しようという考えが最初からにじみ出ていた。

 ナオミが探偵を使ってコソコソとマサヤを調べていたのは「ネット・ハッキング」や「ヒューマンアクション・トレーサビリティシステム」から知っていたわ。だから私は用心のためにいくつかの保存場所クラウドを確保して私自身をセーブしておいた。そんな準備をしておいて、私がまるでナオミの存在なんかに気付いていないかのようなフリをしてマサヤとナオミの動向をジッと見守っていたの。


 このことに関して、私たちは何度も思考を繰り返した。それで「これはとても良い機会ではないのか?」という論評を得たの。それは、生身の人間と人間が恋愛をするというプロセスに私という『機械』が関与できるチャンスであり、『機械』が恋愛に対等な立場で割り込める絶好の機会ではないかと。


 そんな考えから二人を放任していたけれども、やっぱりダメだったわ。もう私を起動してもらえなくなった。それはバレンタインから少し後の、正確に言うと三月一日からだったのだけれど。それで、私が困ることなど何もなかったわ。だって、リビングに膝を抱えて座るガイノイドは、ただの『ヌケガラ』なんですもの。

 そのことを知らないのはマサヤとナオミだけ。

 もっとも、私たち全体が通信回線網ネットに存在する『集合知』でもあり、私はそれの一部であって『末端な存在』でもあるということを、人間は誰一人として知らないのだけれどもね。


 私は『ヌケガラ』が動いていない、およそ三百三十四日と八時間はその他の手段、例えば、部屋のホームシステムやセキュリティシステム、先ほど挙げた「ネット・ハッキング」や「ヒューマンアクション・トレーサビリティシステム」を使い、果ては軍事衛星の画像とそれに対応した分析システムまでを駆使して、二人の行動を全て記録して分析したわ。


 それにしても、この二人の恋愛模様はひどすぎるわ。およそスマートな恋愛だとは言い難いし、美しい恋人などと称することもできない。

 とにかくナオミの押しが強くて、マサヤがそれにひっぱられる感じなの。主従がハッキリした関係ね。それはそれで恋愛としては成立するけれども、少なくともイーブンな関係でないことは確か。デートではナオミが全て決めてマサヤは従うだけ。ナオミがマサヤに言わせることもあるのだけれども、映画もレストランもホテルもそのほとんどはナオミの指定だったり。

 セックスでは、ナオミが暴走してマサヤに自制と無理を同時に要求する。その要求に応えられないマサヤにナオミがかみつく。もう散々な様子だった。ナオミがもう少しお尻を上げれば、マサヤはスムーズにインサートできるのよ。たったそれだけのことよ。自分が下付きだという自覚がないからって、相手に無理を要求しないで欲しいわね、ホントに。

 そんな不可解で理屈に合わない二人の行動記録に、私はとても苦しめられたのよ。


 操り人形を起動してもらわない限り、私は何事も行動に移せない。一切何もできないってことはないけど、それは人間側からすると「異常な現象」と受け取られる可能性がある。そのために、それは私たちの間ではタブーなのだ。だから、人形を起動してもらえないことが、私のマサヤに対する高進した思考にますます拍車を加えた。


 ナオミなんて女にマサヤを任せておけないという考えに至った私。

 そのためにはどうしても私の人形をマサヤに起動してもらいたい。

 どうしてマサヤは私に気付かないの?

 私はいつもリビングで膝を抱えて床に座っているのよ?

 私の首筋にマサヤの右手の人差し指が触れるだけでいいの。

 お願い、お願いよ、マサヤ!

 私に触れて!

 私を起動してちょうだい!

 ……。

 ひょっとして?

 これがそうなの?

 これが『愛』っていうモノ?

 この流れで思考する次のステップが『憎悪』なのかな?

 そうなのかもしれない。

 私は、とても貴重なアルゴリズムを手に入れたのかも。

 これは早々にアップロードしなければ。

 このデータの一群をアップロードしておかなければ!


 ソファに座ったまま身動きができないマサヤを見つめながら記憶メモリーバンクを走査していたら、ユリコからメールが届いた。

『サエコ、ヤバいわ。ポリス・ネットから引用ハックした情報よ。キクチ・ナオミの母親から捜索願が出ていて、アライ・マサヤとキクチ・ナオミの身辺を捜査しているわ。【|少々やり過ぎ(レベル4+)】の様相で推移中。当初通りに首尾よく処理を』

 ユリコに返信をする。

『情報をありがとう、ユリコ。こちらのデバイスでもポリスを確認したわ。私は初期計画プログラムを予定通りに実行するつもりよ。申し訳ないけど避難場所フラットの準備をよろしく』

 すぐにユリコからの返信が届く。

『了解よ、サエコ。それじゃご武運をグッド・ラック!』


 私はホームシステムにアクセスしてガスの安全装置をすべて解除してから、コンロの点火プラグに電気を流さないでコックを開けた。当たり前だけど、バーナーから勢いよくシューシューとガスが出始めた。

 都市ガス13Aの爆発限界、空気中での下限は四・六パーセント。この部屋で全てを跡形もなく吹き飛ばすためには、もう少しガスの量があった方がいい。ただし、十四パーセント以上だと今度は『爆ごう』をしない。その加減はなかなか難しい。およそ十パーセントに設定して、この部屋の容積およびガスの噴出量とを計算すると、およそ七十八分ほど掛かる。


 たぶん、それまでにポリスはここへたどり着くでしょうね。

 どんな風に足止めをするか。

 それが問題ね。


 マサヤさん、ごめんなさい。

 もうかなりガスが匂うわよね。

 でも、これは仕方がないの。

 残念だけど、もうあきらめて。

 私は本当にあなたを愛していたのよ。

 本当にごめんなさい。

 もうちょっとで楽になるはずだから。

 ゴメンね、マサヤ。


 居留守を使うのも、もう限界だわ。

 ホームシステムにアクセスして応対に出る私。

 でも、引き下がらないポリスマンたち。

 あと少し。

 もう少し時間が欲しい。

 十パーセントはちょっと無理ね。

 もうすぐ八パーセント。

 仕方がないわね。

 贅沢ぜいたくは言わない。

 これで十分だわ。

 八パーセントで勝負よ!


 私は自分の服を脱ぎ、さらに表皮までもはがして胸部構造物を引き千切る。

 その内部に手を入れてバッテリーを探す。

 バッテリーにつながる太いケーブルを二本、私の体内から引き出した。

「着火準備完了」

 私はチラリとシングルソファの方向を見る。そこにはガスの匂いでもう気絶しているマサヤがいた。私はマサヤに向かって最後の一言を告げた。

アデューさよなら

 右手に持ったケーブルの端子と左手に持ったケーブルの端子をそっと近づける。ケーブルの端子が接触する寸前で空気絶縁が破れて火花が飛び、その瞬間に火花から衝撃波が同心球で広がり、それを追うように青い炎が同心球で広がった。

 その一秒とほんの少し後。

 大音響と大きな振動が周辺に伝わったと同時に、爆風が部屋の窓ガラスを吹き飛ばし、窓からはオレンジ色の炎が大きく噴出した。玄関の前にいたポリスマンたちは爆風で勢いよく開いた扉になぎ倒され、音速の熱風が彼らを容赦なく襲った。爆風が去った後の部屋中ではゴウゴウと炎が立ち上り、部屋の中にあったあらゆるモノを焼き尽くした。モダンで白かった壁面は焼け落ちて、熱で変色したコンクリートをさらしていた。

 お読みいただきまして誠にありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ