ナオミ
【セルフプランニング・バレンタイン2015】
『進化した機械』の愛憎バレンタイン・其の参『ナオミ』
その時のあたしは、マサヤのことを思い浮かべて、マサヤが喜ぶ顔を想像して、毒々しいスプレーで飾られたチョコレートをチョイスしていた。
「マサヤはもうあの娘を再起動不可にしたかしら?」
ショーケースに並んだチョコレートを丹念に物色しながら、あたしはつい小声でつぶやいていたみたい。
「うふふふ」
さらにあたしは、笑い声さえも漏らしていたようだ。その様子に店員は怪しげな顔色を見せたので、あたしは慌ててお茶を濁した。
「何でもないわよ、何でも」
そう言いながら、あたしはその店員に、気高くて鮮やかな赤色のチョコレートと爽やかで冷淡な青色をしたチョコレートを指差して言った。
「これとこれ、ください」
あたしはちょうど一年前からマサヤと付き合い始めた。
そう、バレンタインがキッカケよ。
でも、あたしはそれ以前からマサヤを知っていたわ。
もちろん、知り合いだったってこともあるけど。
あたしはマサヤをターゲットに決めてずーっと狙っていたんだから。
あたしがマサヤを好きになったのは大した理由じゃない。
マサヤはビックリするほどのイケメンじゃないわ。
だけど、誠実だし、真面目だし、優しいの。
そうね、一番の理由はあたしの母性をくすぐることかしら。
それと、マサヤが高額所得者であることも見逃せないポイントだったわね。
マサヤに恋人とか彼女とかという存在がいないことも知っていた。知っていたというより調べたんだけどね。ただし、調べているうちに問題も発見したの。それは、マサヤが『ガイノイド』を所持しているということ。これは厄介だと思ったわ。要するに、マサヤは一種の『女性恐怖症』だということ。だから、あたしの誘いに乗ってこなかったんだと納得したの。マサヤのガイノフォビアの症状はそれほどひどくないことは調査会社の報告書で知っていた。けれどもガイノイドに対するマサヤの依存がかなり進んでいることもそこに記載されていたの。
あたしはマサヤに身も心も投げ出す決心をしたわ。
去年のクリスマスからマサヤに積極的なモーションを、あたしは仕掛けたの。
やっとの思いでマサヤを振り向かせたのは、去年のバレンタインだった。
愛しているとは言ってくれなかったけど、あたしのことを好きだって言ってくれた。
うれしかった。
その時に、あたしはマサヤにお願いしてみたの。
「ガイノイドはもう起動しないで」
そしたら、マサヤはうなずいてくれた。
事実、その次の日からガイノイドが動いた気配はなかったわ。
バレンタインのチョコレートをあげた次の日だった。マサヤはあたしに尋ねてきた。「ナオミはホワイトディに何が欲しい?」って。だから、あたしは「あなたが欲しい」って言ったわ。そしたら、マサヤはちゃんとわたしが欲しいモノをくれたの。ホワイトディの日に、マサヤの部屋であたしとマサヤは一つになった。
でもねぇ。
正直に言って、あたしはマサヤの部屋では心がそがれちゃうの。だって、そこにガイノイドがいるんですもの。リビングの片隅に膝を抱えてうずくまっている等身大の女性型人形。それがジーッとこちらの様子をうかがっているような気がして落ち着かないの。たとえ動かないと分かっていても、等身大の女性人形がいると思うだけでゾッとするわ。
すぐに処分してくれとは言えなかった。
あたしがその話をすると、マサヤは目をそらすから。
長く連れ添ってきたことは十分に知っているわ。
確かにバレンタインの後日からガイノイドを起動した形跡はない。
大型連休で車でドライブして帰ってきた時。
サマーバカンスで海外旅行から帰ってきた時。
紅葉の温泉巡りから帰ってきた時。
クリスマスのケーキにろうそくを立てた時。
その時々にどうしても視線を向けてしまう。
リビングにうずくまっている人影に。
膝を抱えて床に座る等身大の女性型人形にどうしても気付いてしまうの。
「もう卒業してもいいんじゃないかしら?」
あたしはそう思った。
だから、あたしはマサヤに迫った。
「あたしと人形と、どっちを取るの?」って。
マサヤはあっさりと返事をしてくれたわ。
「廃棄するよ」と。
とても力強い言葉だと思ったわ。
うれしかった。
だから、あたしはマサヤの胸に飛び込んで泣いてしまったの。
そんなあたしをマサヤはしっかりと抱きしめてくれた。
最高の気分でチョコレート店を出た。駅の階段を駆け上がる。改札口でカードをかざす。軽い足取りで電車に乗り込む。扉の開きがもどかしく感じて。改札を出て右の坂道を進む。ひときわ高くて白い建物が見えてくる。それがマサヤのマンション。押し慣れた暗証番号を打ち込む。玄関のドアが開いてホール奥のエレベーターに乗り込む。十七の数字でエレベーターが止まる。通路の一番奥の部屋、そのインターフォンのボタンを押す。
「ピンポーン」
「カチャ」
開錠音の後にドアが開く。
「ごめんね、マサヤ。チョコを買っていて遅くなっちゃったわ」
あたしは下を向いて慣れた手付きでブーツを脱いでから顔を上げた。だけど、その瞬間にあたしの顔は引きつり、あたしの体は金縛りになった。
「えっ、誰?」
これ以上の言葉があたしの口からは出てこなかった。なぜなら、そこに立っていたのはマサヤではなく、紺色のドレスを着た髪の長い女だったから。
「いらっしゃいませ、キクチ・ナオミさん」
その女の声はすがすがしい朝にさえずる小鳥のそれのようだった。
「あ、あ、あな、あなたは……」
辛うじて出たあたしの言葉を察知してその女は受け応えをした。
「私は『サエコ』って言うの。いつもリビングでうずくまっていた女の人形よ。よろしくね」
サエコというガイノイドが、あたしに右手を差し出してきた。あたしは恐怖を感じて、慌てて後退りをしようとしたけれども、それよりも早くサエコがあたしの腕を握って引き寄せられてしまった。
「きゃー! やめてー! 助けてー!」
あたしの口からはもう悲鳴しか出ていなかった。しかし、サエコにあたしの声は届いている様子はなく、逆にあたしにほほ笑んで語りかけてきたのだった。
「マサヤさんがずーっとナオミさんのことをお待ちになってるわ。さぁ、こちらへどうぞ」
あたしは、サエコに右腕を強く握られ、さらに左肩をガッシリと抱えられて奥のリビングへと強引に連れていかれた。
リビングに入ると同時にサエコがしゃべった。
「マサヤさん、ナオミさんがいらっしゃったわ」
マサヤはシングルソファに座っていた。小刻みにうなずいていた。しかし、その姿は悲惨なものだった。マサヤの両脚は、通常の関節ではないところで異常な角度で曲がっていた。さらに両腕も、ダラリとさがったままピクリとも動かなかった。そして、その腕にはたくさんの点滴針が打たれて、壁面のメディカルブースから薬剤が注入されていた。
「きゃー! どうしたっていうの、マサヤ!」
あたしは買ってきたチョコレートをその場で落としてしまった。それほどに気が狂いそうだった。そして、この場所から恐怖で逃げ出したい気持ちだったのだけれど、サエコに手と肩を抑えられて身動きすらもできなかった。
「ちょっと『いたずら』が過ぎたのでお仕置きをしたのよ、うふふ」
サエコがあたしの耳元でつぶやいた。その言葉はあたしにさらなる恐怖を植え付けた。
「マサヤが、彼が何をしたって言うの!」
あたしは食い下がるけれども、サエコは勝ち誇った顔をしていた。
「えぇ、マサヤさんは何もしていないわ、マサヤさんは何一つも悪くないわ」
そう言った後、サエコはあたしの腕を握っている手に力を込めた。
「あなたが全て悪いよ、ナオミさん」
サエコは、あたしの顔を見てニヤリとした瞬間にあたしの腕をあらぬ方向へと曲げた。
「きゃー、痛いっ!」
その痛みであたしは暴れ、サエコの腕を振り解き、床に倒れた。なんとか逃げ出そうとあたしははいずりだしたのだけど、それはサエコの思うツボだった。サエコは倒れたあたしの両足首をつかみ、さらにつかんだだけでなく握りつぶした。
「うぎゃー!」
あたしは痛みでのた打ち回った。
「まだまだよ、ナオミさん。この程度であなたの企てに対する私のお仕置きは収まらないわ」
あたしに馬乗りになったサエコは手のひらであたしの頬を打つ。何度も何度も頬を打つ。最初は激痛が走ったが、ほんの数回で痛みだけでなく感覚がなくなっていた。
そう、そうよ、そうなのよ。
サエコの手のひらは人間のそれじゃないわ。ガイノイドの腕ってことはロボットの部品であって機械の塊でもある訳で、言ってみれば金属棒なのよね……。
あたしの鼻と口から血があふれ出るのを感じながら、あたしの意識は徐々に薄れていった。
お読みいただきまして誠にありがとうございます。