マサヤ
【セルフプランニング・バレンタイン2015】
『進化した機械』の愛憎バレンタイン・其の弐『マサヤ』
モダンでガランとしたリビングに人影がある。
うずくまっているのは、膝を抱えて床に座る等身大の女性型人形。
ぼくは左耳の後ろに人差し指を当てる。人差し指で押さえた人形の頭と首の境目から強い光が人差し指を赤く光らせた。その後、光は一瞬だけ緑色に変化してから消え、青白かった人形の肌がほんのりと赤味を帯びてきた。それがガイノイド起動時のシーケンスだ。しばらくしてガイノイドの口から音声ガイダンスが流れる。
「起動シーケンス、チェック完了。ヒューマンモードに移行します、完了。おはようございます、アライ・マサヤ様」
ガイノイドは静かに首を上げてニッコリと笑った。
「更新実行中。しばらくお待ちくださいませ」
長い髪の毛がサラリと顔に掛かる。それをたくし上げるガイノイドの動きは、まるで人間そのものに見える。
「更新完了。『サエコ』を起動します、完了。マサヤさん、お久しぶりです。およそ三百三十四日と八時間二十三分ぶりですね」
妖艶で虚ろな半眼をぼくに向けてガイノイドの『サエコ』がしゃべった。
「そんなに時間がたっていたのか。そうだった、最後に起動したのは二月の終わり頃だったな」
ぼくはサエコを見ないでテーブルの上に置いてある赤い包みに視線を走らせ、それを手に取ってサエコに歩み寄って目の前に差し出した。
「これ」
サエコは優しい瞳をぼくに向けて問い返す。
「なぁに?」
ぼくはサエコの目の前に差し出したまま無造作に告げる。
「チョコレート。バレンタインの」
疑わしい顔をしながら受けるサエコ。
「まだ一月よ。それにバレンタインのチョコレートは女性から渡すものじゃ……」
ぼくはウザい顔を露わにしてサエコにきつい言葉を吐露する。
「サエコ、くだらないことをよく知っているな。あぁ、そうか。お前はロボットだからネットをサーチすればすぐにぼくのウソがバレちゃうって訳だ!」
ぼくは赤い包みをサエコに投げた。
「きゃっ!」
サエコは包みを投げられたことに驚き、それが自分の顔に当たってたじろいだ。
「去年のお返しだよ」
ぼくは振り返って、赤ワインのワイングラスをテーブルから持ち上げてグビッと一口飲んだ。
「ビックリしたわ」
そう言いながら笑みを絶やさずぼくを見るサエコは、赤い包みをつかんで立ち上がった。背中が大きく開いた紺色のドレスを着たサエコのボディと顔は、非の打ち所がない程に均整が取れていた。
「でも、うれしい。ありがと」
赤い包みを両手で抱えて胸に当ててニッコリとほほ笑んだ。
「フン!」
ぼくは悪態を付いてサエコから視線を外した。
「マサヤさんが私にくれたんですもの、とってもうれしいの」
愛おしそうに赤い包みをシッカリと胸に抱くサエコ。その様子をチラリと見たぼくは鼻を鳴らす。
「それ、サエコには食えないだろ? 中身は一応ホンモノのチョコレートだぞ」
「いいの。マサヤさんが私にくれたんですもの」
サエコは包みを抱いたままぼくを見て、同じ内容のセリフを繰り返した。そんなことにもぼくは不快感を持った。
「ぼくの名前を連呼するなよ。それに、ロボットのサエコに喜んでもらってもなぁ」
ぼくは嫌悪感をわざと隠さなかった。
「えっ、なに、それ? どうしてそんな風に言うの? 私、マサヤさんのための……」
「サエコ!」
懇願するように目尻を下げた顔に甘えた口調で問い掛けるサエコのセリフを、ぼくは大きな声でさえぎり、うすら笑いを浮かべながら嫌みを言った。
「お前のそういうところがウザいんだよ」
懇願する顔のまま、赤い包みを胸に抱えたまま、立ち尽くしたまま、サエコはぼくを見つめていた。ただ、まばたきだけはしていた。それはロボットにありがちな定形動作として。
「そう……そうなの」
トーンを落としたサエコの音声にぼくは少し心がうずくが、それを露わにしないような言葉で追い打ちをする。
「あぁ、そうなんだよ!」
言葉を発した直後に、ぼくはサエコから目を外して背を向けた。
「ふーん、そうなの」
見えないけれども、サエコの視線がぼくの後頭部に突き刺さっている。そんな感じがするサエコのセリフだった。
しばらくの間、天井にビルトインされたエアコンディショナーが立てる温風の吹き出し音だけが部屋の中を満たしていた。
ぼくは生活雑音と耳鳴りだけが響き渡る部屋の空気に耐え切れずに、ついに振り返ってしまった。そこには少し前と全然変わっていない距離とポーズでサエコが立っていた。チョコレートの紅い包みを抱えたまま、先ほどと変わらない優しい表情でぼくをじーっと見つめていた。そんなサエコの視線にぼくは悪寒を感じて、大きな声を出してしまった。
「な、なんだよ!」
「ううん」
サエコはぼくの前でひざまずいた。
「私はずーっとあなたのことが好きよ」
ニッコリとほほ笑んで、サエコはぼくの右と左の膝にそれぞれ右手と左手を置いた。サエコの両方の手のひらは、ぼくの膝の少し上をシッカリとつかんでいた。ぼくはそのつかみ方にひどく恐怖を覚えた。
「ど、どうしたっていうんだよ!」
そう言いながらぼくはたじろいで後退りをしようとしたが、サエコがガッチリと僕の脚をつかんでいるせいで全く体を動かすことができなかった。
「私、知っているのよ」
頭を起こし、長い髪が左右に割れて見えてきた美しいサエコの顔がピンク色になり、ルージュの口許に笑みがこぼれていた。
「な、何をだい? 何を知っているというんだ!」
ぼくは恐れ震えながらも声を発した。それを聞いて、サエコはぼくに顔を近づけてきた。すると、ほのかにゲランの香りが漂ってくる。ぼくの好きな匂い。ぼくがサエコにプレゼントした香水だ。
「あの女と結託して、私をなきモノにしようとしていること」
ゲランを漂わせながら誘惑するような目つきのサエコに、ぼくはなおいっそう恐怖する。
「し、知らないよ、そんなこと」
ぼくは額から冷たい嫌な汗が噴き出てきた。
「そう、そうよね。あなたは何も知らない。そう、それでいいの。全てはあの女のせい。あの女が企てたことだものね。それくらいはちゃんと私も分かっているわ。あなたは何も心配しなくていいのよ」
優しいけれどもほの暗い妖しさを伴った表情でぼくに迫るサエコに、ぼくはもう言葉を返すことができなかった。それほどの恐怖がぼくの脳髄を満たしていた。
「でもね」
ここで言葉をさえぎったサエコは、ぼくにキスをしてから再びしゃべり始めた。
「私を裏切ったことについて、少しだけマサヤさんに反省してもらいたいなぁ、って」
ニコッと笑った瞬間、サエコはその両手でぼくの脚を強く握ってねじった。
「うぎゃー!」
ぼくの脚の、サエコが握っている部分から『グギッ』という鈍い音が骨伝導でぼくの聴覚神経に伝わり、それと同時に激痛もぼくの脳髄に達した。ぼくはジタバタと暴れようとしたが、サエコは全身を使った異様な力でぼくを抑え込んでいた。
「ほんの少し、ほんの少しだけ、マサヤさんの自由を奪っただけよ、うふふ」
そう言ってサエコは両の手を強く握ったまま、今度は逆回転方向へとねじった。
「ぎゃぎゃぎゃー!」
再び『グリッ』という鈍い音が頭の中で響いたが、痛みを感じ始めたかどうかの辺りで、ぼくの視界がブラックアウトし、さらに鼓膜に達する音がフェードアウトした。
お読みいただきまして誠にありがとうございます。