事実……二つの人格
「夏秋……」
「ッハ。まだわからねえのか? 俺はお前が知ってるソイツじゃねえんだよ!」
カッターナイフを振り上げて、迫りくる彼の姿に、確かに夏秋の面影はなかった。
背を向けて逃げるだけで精一杯だ。
「っく痛っ!」
時折、背中を掠めるカッターナイフを刃に身悶えしながらも、階段を上がる。
時折、すれ違う生徒たちから悲鳴や驚嘆の声が上がる。
だが今はそれどころではない。
振り返れば、鬼の形相の奴が追ってくる。
夏秋じゃない……一体、誰何だよ!
苛立ちと恐怖の中、俺は思い切り屋上へ出る扉を開けた。
幸い、そこには誰もいなかった。
肩で息をしながら、振り返る。
俺のすぐ後ろには、奴が立っていた。
眉が上がり、口元は湾曲に歪んだような笑みを作っていて、目つきも悪い。
それに言葉遣いも。
だからだろうか。別人に見えたが、よくよく観察すれば何てことはない。
夏秋そのものだ。
でも、
「お前は夏秋じゃないんだろう?」
俺はコイツを夏秋とは認めたくはなかった。
奴もそうなのだろう。
「ッハ。何度も言わせるんじゃねえよ」
カッターナイフの刃をカチカチと出しながら、怪しく笑う。
どうやら俺を殺す気満々らしいな。
苦笑してしまう。
まさか、夏秋の姿をしたこんな奴に……命を狙われるとは。
だがもう検討は付いていた。
俺の命を狙う。つまりは異端者「生命の根源に至る鮮血」だと知っているということ。
そして、そんな俺を殺そうとしているということは。
「お前、異端者狩りなのか?」
「ッハ! 決まってんだろうが!」
「どうして、夏秋が……最初からそうだったのか?」
「それは違うな。コイツの中にある人格は二つ。一つは、お前が夏秋と呼ぶもの。
もう一つは、俺。鬼木双士だ。いいか? もう一つの人格は明日中には消滅する。
だからよ、俺としての人格の最初の挨拶と、もう一つの人格の別れを済ませたかったんだよ。こんなモンでお前を殺す気はねえ! ッハ!」
何が可笑しいのか。奴はゲラゲラと笑っている。
「夏秋が消える……?」
「そう。そして俺こそがコイツになる。鬼木だ」
何を言っているんだ……?
「ッハ! 理解出来ねえって面だなあ? まあいい。明日になればコイツの母親によってコイツの人格は消される。あの母親『最強の狩人』を産み出す為だけに自分の息子すら殺すなんてイカれてやがるぜ。ある意味俺以上にな?」
夏秋の母親が研究をしているのは、知っていた。でも正か、狩人を産み出すことなんてーー。
「じゃあな。精々、コイツとの別れを楽しみな?」
首がうなだれてしばらくすると、
「新一……」
か細い声で、夏秋が、俺の名前を呼んだ。
「夏秋、お前ーー」
首を横に振って、俺の言葉を遮ると、
「新一。今までありがとう」
「何言ってーー」
顔を上げた夏秋の瞳には涙が浮かんでいた。だがここで引き下がる訳にはいかない。
「今からでも遅くはない。お母さんを説得しよう。な?」
「駄目なんだよ。新一。これは決まっていることなんだ」
「そんなことーー」
「新一!」
大声で名前を呼ばれて、
「僕は、まだここにいる。でも明日にはさっきの奴が出てくる。だから今日中に、僕から逃げて。ずっと遠くに」
「夏秋……」
「本当に今までありがとう」
そう最後に言葉を残し、夏秋は去っていった。そんな彼の後ろ姿をただ見送るだけの自分が悔しくて仕方なかった。




