ウェア・ウルフ
名切さんが何かを呟いたと同時だった。それが必然だったのか、偶然だったのかはわからない。
ーーただ、聞こえたのだ。
こんな場所で聞こえるはずのない動物の雄叫びが……。
「おお、かみ?」
耳を疑うと同時に、自分の言葉も疑う。
そして次の瞬間。目を疑う。
「新一さん!」
名切さんの叫び声にも近い声で、ハッとする。
「うそ、だろ……」
速すぎて、どっから現れたかなんてわからなかった。
ただ気付けば、目の前にもう居た。
全長二メートルを越える狼が、目の前にいた。この巨大だけでも驚きなのに、コイツは二本足で直立していた。
まるで人間のようだ。
しかし、毛で覆われた姿。鋭く尖った爪も牙も。そしてその顔立ちも、間違いなく狼だ。
普通ではありえないが……。
ありえない? 普通じゃない?
まさかーー。
「ガルル」
狼の口から唾液が漏れる。
瞳に俺たちの姿が映った。
ーーマズい!
「ガルル!」
いきなり狼は、その大木のような腕を振るった。
奴の狙いはーー。
「名切さん!」
バッと彼女に飛びついた。
「っく!」
奴の爪が、俺の腕を抉った。幸い、少しかじられた程度で済んだが……。
出血がヒドい。
でも今はそんなことを言っている場合ではない!
「新一さん! 血が……」
「大丈夫です! それよりも速く!」
獲物を狩る側としての余裕なのか。それとも何か他に気を取られているのか。
直立歩行狼は、その場にじっと立ち尽くして動かない。
とにかくこの隙に、どこかへ隠れなければ……。
自宅とも考えたが、千春がいる。
それにここは住宅街。下手に逃げ回れば、無関係な人にまで。
もうわかっている。コイツの正体は……普通ではない。異常な存在。
先ほど抉られて出血していた腕の傷がみるみる塞がっていく。
そんな自分の異端者として能力を噛み締めながら、奴も叉。
「異端者……」
なのだと確信する。
取りあえず、俺と名切さんは学校へと向かった。
途中。何度も追いつかれそうになりながらも、狼が足を止めたのは……。
「名切さん?」
「大丈夫です。今の内に」
名切さんの能力。「静止の魔眼」として能力おかげだった。
彼女の瞳赤く染まっている。
俺と名切さんは、時折振り返りながらも、深夜の住宅街を駆け抜け、学校へと辿り着いた。
「こっちです!」
幸いなことに、学校のグランドに辿り着いた時点では狼の姿は見えなかった。だが……。
「WOOO!」
奴の鳴き声が、そう遠くない。
こんな所にいては格好の的になる。
俺たちはグランドに面した部室棟へと向かった。各部室の鍵は、顧問が管理しているが石灰部屋の鍵だけは……。
「あった」
扉の上の方に「石灰部屋」と書かれたプレートがある。その後ろに隠してある部屋の鍵を見つけ、そのまま急いで扉の鍵を開ける。
そして、名切さんをサッと中に押し込んだ。
「え? 新一さん!」
彼女の言葉を待たずして、勢いよく石灰部屋の扉を閉めた。
「どういうことなんですか! 新一さん! ここを開けて下さい!」
こんなに慌てている声を聞くのは、初めてだ。それもそうだ。まだ彼女と出会ってから2日しか経っていないのだから。それでも、もう決めたのだ。
「大丈夫です。名切さんはそこにいてください。朝になれば、誰か来ますから」
「だから、新一さんはどうするんですか! 新一さん! 開けて下さい!」
扉に寄さりかかる。
背中越しに伝わる鉄製の扉とは別に、心の中は温もりが満たしていく。
「ガルル」
まるで目の前の狼も俺の最後の言葉を待っているかのようだ。
まあ、それは考え過ぎか。
単に品定めといったところだろう。
それでも、今、こうして伝えられる時間があるのはチャンスでもあり、奇跡だ。
「大丈夫ですから」
「大丈夫って、さっきから何度も!
本当にここをーー」
「何度だって言います! 絶対、大丈夫です! 名切さんは俺が絶対に守りますから!」
「どうしてそこまでーー」
「好きだから」
「え?」
扉の向こうでは、名切さんがどんな表情なのかはわからない。それが良かったのか、悪かったのかはわからない。
でも、伝えずにはいられない。
もしかしたら、これが……。
「初めて会った、あの満月の夜。あの瞬間から、俺はーー」
不意に、狼の野太い腕の影が扉に映った。
「俺は、名切さんのことを愛してます」
その瞬間。俺の背中は狼に切り裂かれた。




