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短編集

最強の森

作者: 吉水ガリ

 草原に伸びる一本道を一台の車が走る。乗っているのは二人。運転席には大柄で筋肉質な体の男。助手席には細身で痩せぎすの女。

「まだ着かないのか?」

 不満げな様子を隠そうともせず、男が口を開く。

「もう二時間は走ってんぞ」

「それぐらいかかりますよ。事前に言っておいたでしょう」

 女は言葉の最後にわざとらしいため息をついた。

「丸一日は付き合ってもらいたいとも言いましたし、移動にしたって森についてからの調査にしたって時間は――」

「はいはい、うるせぇうるせぇ。インテリの長話はごめんだ」

「…………」

 女は腕時計に目をやる。

「けど、よく時計も見ずに時間がわかりましたね」

「野生児だからな」

「…………」

 得意満面の笑みを浮かべているであろう男の顔を見るのが嫌で、女は窓に視線を移した。

 景色が、先ほどよりも心なしか早く過ぎ去っていく。

 目的地までどれくらいだろうか。

 女はズボンのポケットから一枚のメモ取り出した。一番上に『最強の森』と書いてあり、下には雑多に単語と短文が走り書きで並んでいる。

 それを眺める女に、男が訊ねる。

「森が最強ってなんだよ。意味わからん」

「だから、それが調査内容です。『最強の森』と呼ばれる謎の森。観光地にも危険地域にも指定されていない、その概要もわからない謎の森。地図上でも私有地と記載されているだけで、詳細はまったくわからない」

「そんなもん調べてどうすんだよ」

「いいでしょう別に」

 ――脳味噌筋肉のバカじゃあ好奇心も興味もわかないだろうな。

「金持ちが趣味で集めた植物園とかじゃないのか? 『最強の森』は、イコール最強のコレクターって意味で」

「そんなつまらない結論じゃないことを願いますよ。まあ、そうであっても珍しい植物があるのであれば、それはそれで十分に意味があります。調査のやりがいもありますしね」

「ふーん」

 女の想像通り、男はそれ以上の興味は抱けぬようで、

「そういやぁ」

 呟く。

「腹が減ったな」

 話の流れも展開もあったものではない。

「さっき弁当を食べたじゃないですか」

「あんなジジイが食うような枯れた弁当で足りるかよ。男の食い物をよこせ。男の!」

「タダで食べたものに文句を――」

「必要経費だ! わざわざ調査を手伝ってやってんだからいいだろ!――特に食い物は大事だ。これから森の中でハードな肉体労働が待ってんだからな」

 反論できないだろ、と言いたげに女に視線を寄越す。

「確かに。その点ではあなたに頼るしかないので文句は言いません。ただ、あなたもそれなりに楽しみにはしているでしょう?」

「そりゃそうだろ。ガキの頃みてぇに自然の中で動き回れるなんて、今じゃ滅多にない機会だからな。ちょうど地元の山が恋しくなってたところだ。街の中じゃ俺の野生の本能がいびきをかいて眠っちまう」

「それはそれは、原初的で楽しそうな人生ですね」

 メモをポケットにしまい、視線から逃れるように窓の方を向く。

「だったら何かくれよ。一日付き合わせる予定であの弁当だけってのはないだろ。――あんなデカい荷物持ってきてんのによ」

 その言葉に促され、女は後部座席を見やった。そこには大小二つのリュックサックが鎮座している。

「無駄に大荷物を準備するのは初心者としてしょうがねぇが、せめて役立つもんを持ってきてもらわねぇとな」

「無くはないですが」

 言いながら、大きい方のリュックサックに手を伸ばす。

「もう少しで着くと思うので、これで我慢してください」

 取り出したのは1本のバナナだった。

「……男の食い物とは言えないが、あの弁当よりゃマシか」

 バナナを受け取る。

「多少は腹も膨れるしな」

 片手でハンドルを操作しながら、空いた手と口を使って器用に皮をむいていく。

「いつもそうするんですか?」

「野生児だからな」

「『児』って年齢じゃないでしょう」

「じゃあ野生の男だ。ワイルドマンだ」

 ――バカっぽくて素敵ですね。心の中で呟きながら、女は窓に視線を戻した。

 こんなバカでも力を借りる必要性がある。仕方がないことだ。

 男はものの三口でバナナを食べ終えた。

 唇をひとなめ、指もひとなめ。そして窓を開け、もう用済みのその皮を、無造作に車外に放った。

「ちょっと、ゴミ袋が後ろにあるでしょう」

 女の咎める声に、男はため息をつく。

「おいおい。バナナの皮ってのは自然のもんだ。地面の上に捨てて放っておけば土に還る。自然の浄化作用ってやつだ。――そんなことも知らんのか?」

 助手席に向けた男の顔には嘲るような笑みが浮かんでいた。口元からは鋭い犬歯がのぞく。

「唾を吐こうが小便をまき散らそうが、全部きれいさっぱりなくなる。何の問題もないんだよ」

 男は笑みをそのままに、前方に視線を戻した。

「都会っ子にはわからなかったか?」

「…………」

 女は憮然とした顔で同じように前を向いた。

「まあ、こんな調子じゃあワイルドマンな俺が調査に必要なのも当然だな。肉体労働だけしてくれりゃいいって話だったが、知識でもお手伝いしてやろうか」

「……ええ、必要であれば頼みますよ。最善はつくしますから。可能な限り」

 女の言葉に、男はガッハッハと豪快な笑いで答えた。その音には満足げな響きがこもっている。

 車は軽快に走り続ける。


 それはうっそうと茂る森だった。森の入り口はこちらにぽっかりと口をあけており、そこから中へと人が3、4人は通れそうな道が伸びている。どれほどの広さかはうかがい知れないが、取り立てて特別な様子もない、森だった。

 入口のすぐそばには小さな小屋がある。こちらに向かってカウンターが作られており、その上には『受付』と書かれたプレートが打ち付けてある。

 その小屋の近くに車を止め、二人はそれぞれのリュックを背負い、降りた。

 改めて、森全体を値踏みするように見てみるが、やはり特別興味を引くような点はない。森は森だ。

 それよりも女は『受付』の存在が疑問でしかない。“謎の森”になぜそんなものがあるのか。来訪者が頻繁にあるものなのか。

 思わぬ不意打ちを食らった格好になってしまい、疑問が噴き出し始めた女に対し、

「おい、金取られるんじゃないだろうな」

 男は全く別のことを心配している。

 そんな男の声に気付いたのか、受付の窓から顔がのぞいた。

 眼鏡をかけた細面の男だ。作業服に身を包んでいる。男はこちらに気付くと、顔に笑みを湛えた。

「いらっしゃいませ。見学に来られた方ですか? 森に入るのにはお金などいりませんよ。どうぞご自由に」

「ご丁寧にありがとうございます。すみませんが、あなたが所有者の方ですか? それとも管理人とか?」

「まあ、そんなところです。管理人でなく監視員ですけどね」

 その違いは女には今ひとつわからない。

「ここに受付とありますが、この森には頻繁に誰か――」

「おい! もう話はいいだろ。御託を聞いてもどうしようもねえ。知りたいことがあるなら現場だ現場!――さっさと行こうぜ!ここ数時間じっとしてたんでケツが痛くなっちまった」

 男は早くも小屋のそばを離れ、ずかずかと森に向かう。手首を鳴らしながらまっすぐ前を見るその顔からは期待と好奇心が見て取れる。

「そんじゃあ早速――」

「ちょっとお待ちください。入るのは構いませんがいくつか規則がありますので、まずはご説明をお聞きください」

 言いながら、監視員の身体が小屋の中に引っ込む。そのまま声だけが外に響く。

「規則と言っても別段難しいものではありませんし、厳しいものでもありません。ここには時たま親子連れなどもいらっしゃいますが、ほとんど問題は発生しませんので」

「え? あ、ああ、わかりました」

 親子連れという単語に驚き、女の返事する声は裏返ってしまった。最強と言っても、一般的な森以上の危険性はないようだ。落胆はしないものの、妙な肩透かしを食った気分になりつつ、女は男に向き直る。

「どうやら危険な肉体労働に従事してもらう必要はないみたいですね」

 そう言った女の視界を何かが遮った。

「――」

 空中に翻ったそれは、男が来ていたシャツだった。シャツは一瞬だけ視界を遮り、次の瞬間には地面に落ちた。女の目に映ったのは、筋骨逞しい男の後姿だった。

「ちょっと、なんで……」

「自分の身ひとつあれば、他に何もいらねぇ」

 言いながら靴も脱ぎ、裸足になると、身軽そうに屈伸を数度繰り返す。

「本当は素っ裸がいいんだが、まあこれでいいか」

 これが野生児か、と驚きと呆れの入り混じった感想を心の中で呟いた女に、男が振り向く。

「じゃあ、お先に行くぜ。長ったらしい規則はお前が耳の穴かっぽじってよーく聞いといてくれ」

「ちょっと待て、勝手なことをしないでください。あなたも――」

「うるせぇな、座りっぱなしでケツが痛いって言ったろ。このうえ、ご高説聞きながらじっと待ってられるかよ」

 森の入口の方に向き直り、

「どうやら名前負けしたちんけな観光地みたいだしよ。危険も何もねえだろ。それに自然にルールなんてもんはひとつしかねぇ」

 前傾姿勢になり、上体を屈め、同時に両腕を振り子のように大きく後ろに振るい、

「弱肉強食、それだけだ。――それも知らなかったか?」

 勢いよく跳んだ。

 目標地点は森の中、入口から数歩ほどの距離。そこに、その大柄で筋肉質な体からは想像できないほど、しなやかに着地した。

 そして勢いよく駆け出そうと、一歩を踏み出した瞬間、

「――!」

 女の目に映っていたその逞しい背中が、一瞬にして黒と茶色の入り混じった色に染まった。

「なッ!?」

 警戒と動揺の色を含んだ声が上がったのと、男の身体を染めた、いや、正確には男の身体を覆ったものが、地面から湧き上がるようにしてへばりつく土だということに女が気付いたのは、ほぼ同時だった。

 そして次の言葉を聞く間もなく、その土の塊は男もろとも一瞬にして消え去った。

「――は?」

 しかし消えたのではない。そんなはずはない。

 女は考える。

 眼前の状況から推測するに、男の身体をなぜか土が覆い、その土もろとも、というかむしろその土によって男の身体が地面に引きずり込まれた。

 今見たものはそうとしか判断できない。

 男が着地した、そして消えた地面を見つめ、言葉を発せずにいる女に対し、背後から声がした。

「言わんこっちゃないですね」

 振り返ると、作業服姿で細身で、ただ先ほどとは異なり、少し残念そうな顔をした監視員が立っていた。その手には二人分の手袋が握られている。

「被害者は少なくしたいんですけど、なかなか難しいですねえ」

 その様子と言葉から、いま目の前で起きたことが監視員にとっては非常事態ではないということは女に理解できた。

「今のはなんですか? この森では化け物でも飼っているんですか!?」

 問い詰める女に、監視員は慣れた様子で口を開く。

「化け物なんていませんよ。ここにあるのは森そのものだけです。自然だけなのです」

「それでいまの現象を説明できると思ってるんですか!? こんなもの自然じゃない! 明らかに異常でしょう!?」

 監視員は女の言葉に数度頷いたのち、ピンと右手の人差し指を立てた。

「自然の浄化作用って、ご存知ですよね?」

 その一言で、女の気勢は完全に消えてなくなった。

「ああ……」

 ポンと手を打つ。

「なるほど」

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