帰れない教団 ①相談者
休日の昼下がり。
神宮寺かえでは、ソファに腰掛け、優雅に紅茶を飲んでいた。
向かいでは、藤堂新九郎が一冊のファイルを眺めている。
その隣には、当然のように悪魔が座っていた。
藤堂にも、その姿は見えている。
ただし、悪魔がそこにいることを知っているのは、この二人だけだった。
「……何ですの、それは?」
かえでがファイルを覗き込む。
「仕事の資料」
藤堂はファイルを閉じた。
「まだ捜査ってほどじゃない。ちょっと確認してるだけだ」
「ふうん……」
かえでは表紙を見る。
そこには、
『良日会の集い』
と書かれていた。
「宗教団体ですの?」
「一応な」
「まあ」
かえでは少し興味を示した。
「面白そうですわね」
「お前、こういうの好きだよな」
「嫌いではありませんわ」
「好きなんだろ」
「まあ……そうとも言いますわね」
悪魔が口を挟む。
「楽しそうですね」
「あなたは黙っていてくださいな」
「はい」
藤堂が呆れたように二人を見る。
「お前ら、俺がいるところで普通にやるなよ」
「何がですの?」
「いや……もういい」
そのときだった。
「お嬢様、お客様がお見えです」
使用人の声がした。
「わたくしに?」
「はい。神宮寺様にご相談があるとのことで」
「まあ。では、お通ししてくださいな」
しばらくして、一人の女性が部屋へ入ってきた。
五十代ほどだろうか。
疲れ切った顔をしている。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「構いませんわ。どうぞお座りになって」
女性は頭を下げ、ソファに腰を下ろした。
しばらく躊躇したあと、口を開く。
「……神宮寺さんが、こういうことがお好きだと伺いまして」
「こういうこと?」
「その……普通では説明できないようなことを、調べていらっしゃると」
かえでは少しだけ笑った。
「ええ。まあ、嫌いではありませんわ」
「好きなんだろ」
藤堂が横から言う。
「まあ、そうとも言いますわね」
女性は二人を交互に見た。
やがて、膝の上で手を握りしめる。
「娘のことで……お願いしたいことがあるんです」
「娘さん?」
「はい」
女性は一枚の写真を取り出した。
そこには、二十代ほどの女性が写っている。
「この子は、私の娘です」
かえでは写真を受け取った。
「病気を患っていて……ずっと苦しんでいました」
「……」
「病院にも通っていました。でも、薬を飲んでも、治療を受けても……苦しいままで」
女性は写真を見つめる。
「そんなとき、良日会の集いを知ったんです」
かえでの目がわずかに細くなる。
「良日会……」
藤堂も顔を上げた。
「そこへ通うようになってから、娘は本当に楽になったんです」
「楽に?」
「ええ。痛みも、苦しさも……以前とは比べものにならないくらい」
そこまで聞けば、悪い話には聞こえない。
だが、女性の表情は晴れなかった。
「だから最初は、私も良かったと思っていたんです」
「最初は?」
「はい」
女性はゆっくり頷いた。
「ある日、娘に病院へ行こうと言ったんです」
「病院へ?」
「ちゃんと検査を受けて、治療を続けようって」
「すると?」
女性は俯いた。
「娘は……『私は、ここがいい』って」
かえでは黙って聞いている。
「病院に行けば、もっと長く生きられるかもしれない。そう言っても……」
女性の声が震えた。
「『ここにいると、苦しくないから』って」
藤堂が口を挟む。
「本人が嫌がってるなら、無理に連れていくのも難しいだろ」
「でも私は母親です!」
女性が顔を上げた。
「それでも、あの子を病院へ連れていかなければと思ったんです!」
「それで?」
「一度は、無理にでも連れて帰ろうとしました」
女性は苦しそうに目を伏せた。
「でも……娘は、頑として動こうとしませんでした」
「……」
「そのときは、洗脳されているんだと思ったんです」
「洗脳……」
かえでが呟く。
「良日会に入ってから、娘は変わりました」
女性はそう言った。
「まるで……別人みたいに」
かえでは写真を見る。
「お顔は?」
「え?」
「娘さんのお顔ですわ」
「ああ……」
女性は写真を見る。
「顔は……本人に見えるんです」
「本人に?」
「はい。私が見ても、娘の顔に見えます」
「では、何が違うのです?」
「……分からないんです」
女性は首を振った。
「声も似ています。名前も同じ。私のことも知っています」
それでも。
「でも……娘じゃないように感じるんです」
かえでは女性を見つめた。
「……警察には、ご相談なさったのですか?」
「いいえ」
「なぜですの?」
「こんな話……信じてもらえないと思うんです」
「でも、娘さんは実際にそこにいらっしゃるのでしょう?」
「はい」
「本人も自分が娘だと?」
「……はい」
女性は俯いた。
「だからこそ……警察に言っても、私がおかしいと思われるだけだと思うんです」
かえでは少し考えた。
「まあ……確かにそうですわね」
そして、隣の藤堂を見る。
「……なんだよ」
「いえ」
「何で俺を見る?」
「あなた、こういうお話は信じませんものね」
「当たり前だろ」
「ほら」
「何が『ほら』なんだよ」
悪魔が小さく笑った。
「信頼されていますね」
「あなたは黙っていてくださいな」
藤堂には、その会話が聞こえている。
女性には聞こえていない。
かえでは何事もなかったように女性へ向き直った。
「それで、わたくしに何を?」
「娘に……一度会っていただきたいんです」
「お会いする?」
「はい」
女性はかえでをまっすぐ見た。
「私の娘が、本当に私の娘なのか……確かめてほしいんです」
かえでは写真を見つめた。
写真の中の女性は、どこからどう見ても普通の娘だった。
「……分かりましたわ」
かえでは立ち上がった。
「では、参りましょう」
「今から?」
「ええ」
女性も慌てて立ち上がる。
「ありがとうございます」
悪魔も何も言わず、その後ろをついてくる。
四人が玄関へ向かう。
そのときだった。
「あっ……」
女性が足を止めた。
「どうしましたの?」
「すみません。先に面会の予約をしないと」
「……予約?」
かえでが首を傾げた。
「はい。良日会では、最近、面会が予約制になったんです」
「最近?」
「ええ。以前はいつでも会えたんですが……」
女性は少し困ったように笑った。
「娘の体調のこともありますので、今は事前に連絡しておかないと会えないんです」
「なるほど」
藤堂は特に気にした様子もない。
「じゃあ、今から予約すればいいんですね?」
「はい」
女性はスマートフォンを取り出した。
かえではその様子を眺めながら、
「……少々変わった決まりですわね」
と呟いた。
「そうでしょうか?」
「いえ。わたくしには馴染みがないだけですわ」
女性は良日会へ連絡を入れる。
ほどなくして、面会の時間が決まった。
「これで大丈夫です」
「では、今度こそ参りましょう」
かえでが微笑む。
「はい」
四人は、家を出た。
良日会へ向かうために




