スカートの中の秘密②
「竜騎士じゃないの……」
彼女は、さっきまでの誇らしげな表情をどこかに落として、小さく言った。
「私が専門にしてるのは中型……いや、小型の竜系モンスター」
「おいおいおい……」
思わず声が裏返る。
「この世界、小型竜のハンターにも竜騎士の制服着せてんのかよ……」
「……これは」
一瞬、目を逸らしてから、
「本当は貰ったやつ……」
「なるほど……終わった……」
乾いた声が、風にさらわれていく。
これが、絶望の淵に立つってやつか。
やがて風が止んだ。
嵐の後のような静寂。
その中心で、竜は色鮮やかな瞳孔をこちらへ向けていた。
車ほどもある大きな口から、糸を引く唾液が垂れる。
腹を空かせた生物から放たれる、純度百パーセントの食欲。
理屈も、感情もない。
ただ、「食う」という意志だけがそこにあった。
竜は王者の風格を纏ったまま、巨体をわずかに前へ動かす。
一歩。
それだけで、地面が鳴る。
伏せたままの俺たちとの距離が、確実に縮まっていく。
逃げ場はない。
奇跡も、援軍も、都合のいい演出も——今のところ、何もない。
脳裏をよぎるのは、
恐竜映画で真っ先に喰われる、名前も台詞もないモブの最期。
まぁ……
「……エナドリで死ぬよりかは、派手で良いってか」
そんな、どうしようもない考えが、最後の現実逃避として頭をよぎった。
その時だった。
「……ねえ」
隣から、か細い声。
「……私は……勇者」
視線を向けると、さっきまで中古の制服を誤魔化していた“似非竜騎士”の少女が、今は不思議なくらい静かな顔で立っていた。
「……最期くらい……私の魔法で迷惑をかけるんじゃなくて……魔法なんて使わずに、誰かの役に立ちたい……!」
その声は震えていたが、
目だけは、はっきりと燃えていた。
雪色の肌を溶かしてしまいそうなほど、必死で、必死で、輝こうとしていた。
「伝えてほしいの」
彼女は竜を見据えたまま、言う。
「『“魔法使いサスペーリア”は、魔法に頼らず、ドラゴンを食い止めた』——って」
次の瞬間、彼女は剣を放り投げた。
金属音が地面に響く。
そして、両腕を広げる。
まるで、ドラゴンの殺意を抱きしめるかのように。
まるで、自分の終わりを受け入れるかのように。
「……お、おい!」
呼び止める声は、
咆哮にかき消された。
ドラゴンの巨口が、扉のように開く。
エンジン音のような呼吸。
視界いっぱいに並ぶ、凶悪な歯牙。
人間が敵うはずもない、
幻想から抜け出してきた虚構のスケール。
俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「私が食べられている間に、逃げて……!」
最後に、彼女は振り返らないまま言った。
「……さぁ、ドラゴン。このサスペーリアを——お食べ。きっと、美味しいよ」
小さな背中が、一歩、前へ。
そして——
サスペーリアの姿が、
竜の巨口へと吸い込まれていく。
待て。
待て待て待て。
さすがに——
こんな光景を目の前にして、
「じゃ、あとは任せます」なんて背中向けて逃げるほど、俺は薄情だったか?
……いや、薄情じゃない。
普通に怖い。
とんでもなく、洒落にならないくらい怖い。
だって俺、つい昨日まで日本の一般人だぞ。
毎日コンビニ飯、夜はエナドリ、人生の難易度設定は“なるべく面倒を避ける”。
ゲームではレベル上げが嫌で、ラスボスですらバグ技とハメ戦法でしか倒せない、筋金入りのクソ雑魚プレイヤーだ。
そんな俺がだ。
今、目の前にいるのは——イベントボス級ドラゴン。
勝てるわけがない。
理屈でも、経験値でも、覚悟でも。
……でも。
でも、だ。
俺の人生、
ずっとそれでよかったか?
怖いから逃げる。
面倒だから関わらない。
どうせ無理だって決めつけて、何もしない。
挙げ句の果てに、死因はエナドリの飲みすぎ。
——それで終わって、
それで“もう一回チャンスを貰った”今も、同じことを繰り返すのか?
目の前で、誰かが命を投げ出そうとしているのに?
せめて、目の前の女の子一人くらい、救おうともしないで、俺はまた「仕方なかった」って言うのか?
……冗談じゃない。
怖い。
足は震えてる。
勝算なんて、欠片もない。
それでも。
それでもだ。
俺は——
“勇者”として、この生を与えられた。
なら、やることは一つしかないだろう——
俺はサスペーリアの小さな手を取った。
「俺の背中に!」
竜の巨口が閉じる——
その、ほんの刹那だった。
俺は反射的にサスペーリアの腕を掴み、全力で引き寄せた。
ずるり、と地面を擦る音。
それが功を奏し、ドラゴンの噛みつきは空を噛む。
ガチン、と顎が閉じる重い音が響き、
死が、ほんの指一本分だけ外れた。
そこで生まれた、ほんの僅かな隙。
俺は、盾を構え、
腰の鞘から剣を抜いた。
金属音がやけに大きく響く。
それは、逃げ腰だった俺の心臓の鼓動と、妙に重なって聞こえた。
「だ、大丈夫なの!?」
背後から、サスペーリアの声。
震えている。さっきまで“囮になる”なんて言っていたくせに。
「……わからない」
正直に言った。
でも、そのまま続ける。
「けど、俺も——勇者だ」
精神論じゃない。
根性論でも、勢いでもない。
俺は〈オデッセイファンタジア〉の主人公、
オデッセとして生まれ変わった。
つまり、レベルも、スキルも、ステータスも。
“画面の中”にあったはずのそれらが、ここでは——身体感覚として、具現している。
オデッセは、シンプルな剣と盾の剣士だ。
派手な剣技も魔法も無い。
だが、その代わりに——とにかく重い。
盾を使ったガード、攻撃を受け止めるパリィ、仲間を背に庇いながら前線に立ち続ける耐久力。
自分が倒れないこと。
仲間を倒させないこと。
それが、オデッセという勇者の戦い方だ。
ドラゴンが、再び口を開く。
喉の奥が赤く染まり、
空気が、内側へ引き込まれていくのが見えた。
——吸ってる。
「大変!!」
背後でサスペーリアが叫ぶ。
俺も分かっている。
オデッセには、はっきりとした弱点がある。
魔法攻撃。
範囲攻撃。
属性ダメージ。
——つまり。
「炎が……来ちゃう……」
サスペーリアの呟きが、最悪の答え合わせをしてくれた。
そう。
炎とか。
そして今、まさに。
ドラゴンは、全てを焼き払うつもりで——炎を吐こうとしていた。




