97,誤算と責任
はじめはケネディ暗殺の際に書いたベトナムの振り返ります。南ベトナムはひどい政権でした。
でもアメリカはその政権を維持しないといけないという恐怖もありました。
1964年1月 ワシントンD.C. 国防総省
会議の空気は重い。
アメリカは1964年の時点で、南ベトナムにすでに深く関与していた。
表向きの中心は軍事顧問団だったが、実態はそれだけではなかった。
装備供与、訓練、作戦支援、政治的助言を通じて、南ベトナム政府と軍の運営にアメリカが大きく関わる状態が続いていた。
そのため、南ベトナム政権の不安定化は、現地だけの問題ではなく、アメリカ自身の政策判断の問題でもあった。
その南ベトナム政権は、すでに深刻な腐敗と統治不全を抱えていた。
ジエム政権には、身内びいき、政治的閉鎖性、仏教徒弾圧、民衆の支持低下、軍内部の不満が蓄積していた。
ジエム政権の仏教弾圧に対して講義するためアメリカ大使館の前で焼身自殺をした僧侶。
大統領夫人は
「あれは人間バーベキュー。ガソリンだってアメリカから輸入されたものじゃない。」
と答えた。もうジエムでは南ベトナムが持たない。
ワシントンでも、このままの形では長期的に維持できないという認識は共有されていた。
そのためアメリカは、政権に対して政治的なシグナルを出した。
現在の統治のあり方を改めなければ、従来どおりの支援は保証できない、という意味の圧力である。南ベトナムの自浄作用にかけたのである。
しかし、そのシグナルはワシントンの想定どおりには受け取られなかった。
南ベトナムではクーデターが起き、ジエムと弟のヌーは殺害された。
アメリカ側は政権への圧力と政治的整理を想定していたが、現地では生き残りを懸けた権力闘争として読まれた。
結果として、ワシントンが望んでいなかった形で政権が崩壊した。
これが、国防総省にとっての最初の大きな誤算だった。
ただし、この誤算は撤退の理由にはならなかった。
むしろ逆だった。
国防総省の基本認識は変わっていなかった。
共産主義は一国で止まらない。
ひとつの国が崩れれば、次の国へ波及する。
いわゆるドミノ理論である。
その前提を疑わない以上、南ベトナムの政変は、関与をやめる理由ではなく、関与の仕方を練り直す理由になる。
アメリカはここで、どこまで責任を負うのか。
どう立て直すのか。
どういう形で関与を続けるのか。
それを早急に“継続”の再設計しなければならなかった。
会議室の空気が悪いのは、そのためだった。
※※※※※※※※※※
会議室では、怒鳴り声が飛んでいるわけではない。
むしろ逆で、皆、声を抑えていた。
抑えているからこそ、机の上に置かれた言葉だけが硬く響く。
長い机の向こう側に制服組が並んでいる。
こちら側には背広組。
私は壁際に座り、手帳を開いていた。
議題は、南ベトナムだった。
正確に言えば、南ベトナムで起きた誤算を、どう立て直すかだった。
「問題は単純です。」
制服組の一人が言った。
「向こうに曖昧な合図を送り、こちらでも曖昧な態度を取り、その結果として最も汚い形で政権が崩れて困ってる。そういうことです。」
別の背広組が即座に返す。
「曖昧な合図ではありません。政治的圧力です。現地政権に是正を促すための――」
「是正?」
低い声が、その言葉を途中で切った。
発言したのは、アール・ウィーラーだった。
統合参謀本部議長。
制服組の側でも、ただの一将官ではない。
この部屋で、もっとも静かに、もっとも重く物を言う立場の人間だった。
「ずいぶん清潔な言い方ですな。」
ウィーラーは言った。
「現地の将軍たちは、そんな上品な言葉では動かない。」
ロバート・マクナマラ長官は、正面の資料から目を上げた。
「現地の軍部がどう動くか分からなかったわけではない。
しかし、我々は少なくとも、政治的整理を想定していました。
暗殺まで含めた無秩序は、望んでいなかった。」
ウィーラーの目が、わずかに細くなった。
「望んでいない結果だとしても、起きたことの責任は消えない。」
会議室の空気が少しだけ張った。
ウィーラーは語気を荒らげない。
だが、その分だけ逃げ場がない。
「揺さぶる。」
彼は言った。
「圧力をかける。整理を促す。」
その三つを、彼は一つのものとして机の上に並べた。
「言い方はいくらでもある。
だが、相手に『お前はもう要らないかもしれない』という合図を送れば、相手は自分から消えるか、誰かを消すか、そのどちらかだ。」
マクナマラは声を荒げなかった。
「将軍、それは結果論です。」
「戦場では、結果以外に何があるのか!」
即答ではなかった。
だからこそ、重かった。
「こちらは戦場の話だけをしているのではありません。こちらは、政治の話をしているのです。」
マクナマラは言った。
抑えた声だった。
抑えているからこそ、逆に硬かった。
「問題は、南ベトナムの政権だけではありません。今のアメリカがどこまで関与し、どこで線を引き、どの程度の責任を負うか、その全体の設計です。」
制服組の何人かが顔をしかめる。
ウィーラーは椅子に深くもたれなかった。
すぐに立ち上がれる姿勢のまま、言った。
「それです、長官。あなた方はいつも、戦争を設計図の話にする。」
「設計図がない軍隊は我が国ではありえません。」
「だが、今回ベトナムは図面通りには動かなかった!それが事実だ!
はっきり言う。計算違いがおこれば尻拭いするのは現場だ!」
その一言には、会議室の多くが黙って同意していた。
私は黙って書いていた。
誰が何を言ったか。
誰が頷いたか。
誰が視線を逸らしたか。
この会議で争われているのは、事実そのものではないと、もう分かっていた。
誰も、ジエム政権が腐敗していたことは否定していない。
誰も、現地軍部に不満が溜まっていたことも否定していない。
誰も、こちらの圧力が何らかの引き金になったことを完全には否定していない。
争っているのは、そこではなかった。
誰の読みが軽かったのか。
誰のやり方が現実を知らないのか。
誰が、この国を守る資格のある人間なのか。
その争いだった。
会議は結論らしい結論も出ないまま散った。
資料だけがきれいに回収され、椅子の脚の音だけが残った。
※※※※※※※※※※
会議後、私は記録をまとめるために小さな応接室へ移った。
ドアが閉まり、外の足音が遠くなる。
少し遅れて、長官が入ってきた。
「どう見えましたか?」
私は手帳を閉じなかった。
「皆さん、失敗そのものより、失敗の意味づけに反応しておられました。」
長官は私の向かいに座った。
「詳しく聞かせてください。」
「誰も、何が起きたかを争っていたわけではありません。」
私は言った。
「争っていたのは、自分たちがどういう存在かという立場の問題でした。」
長官は黙っていた。
会議の続きではなく、別の話になると分かっている顔だった。
「制服組は、結果が悪かったから怒っているのではありません。自分たちの見方が軽く扱われたことに怒っています。
背広組は、南ベトナム政権が腐敗していたから困っているのではありません。自分たちの圧力が、政治的にまちがえたメッセージになったことに困っている。」
私はそこで少しだけ言葉を探した。
「皆さん、自分たちの読みが間違っていたことより、自分たちがどういう人間として見られているかに反応していました。」
長官は小さく息を吐いた。
「つまり、構造は同じだということですね。」
「はい。」
私はうなずいた。
「南部も同じです。公民権そのものへの反発だけではありません。自分たちが『遅れた人たち』『正しさを教えられる側』として扱われることに反発している。」
「制服組も同じだと。」
「はい。」
私は答えた。
「長官は将軍たちを、好戦的で、感情で動く、扱いにくい人たちとして見ておられる。だからこそ、政治でより強くコントロールしなければいけない。
たぶん、その理解は間違っていません。でも、彼らにしてみれば、自分たちは国を守ってきた側です。その自分たちが、『そういう人間』として整理されれば、政策以前に心で反発が出ます。」
長官は指先で、さっきの会議資料を一度だけ叩いた。
「だとしても、現実は扱わなければなりません。」
「はい。」
「今のアメリカは、もう内側だけで完結する段階ではありません。公民権で揺れている。ケネディ暗殺の余波も残っている。政権は弱く見られたくない。軍部の不満も抑えなければならない。そういう時に、外での後退は、そのまま内側の分裂を深くします。」
そこまでは、前回も見えていた。
だが今日は、もう少し踏み込んでいた。
長官は続けた。
「私は戦争が好きなのではありません。しかし、外の問題を単なる外交としては扱えない。内側の秩序に直結しているからです。」
「分かります。」
私はそう答えた。
本当に分かっていた。
嫌になるほど。
外に敵がいる時、人は内側の裂け目から目をそらせる。
その考えは、私の中にももうあった。
だが、それでも私は言わなければならなかった。
「ただ、今回の誤算は、情報が足りなかったからではないと思います。」
長官は目を上げた。
「では、何だと。」
「人を道理で動かせる対象として見たことです。」
部屋が少しだけ静かになった。
「ジエムも、南ベトナムの将軍たちも、現地の権力も、こちらの圧力に応じて、ある程度はこちらの想定通りに動くと考えた。でも人は、そういうふうには動きません。切られるかもしれないと感じた人間は、自分で先に切ることがある。」
私はそこで言葉を止めた。
少し強すぎたかもしれないと思ったからだ。
だが長官は遮らなかった。
「続けてください。」
「こちらは整理だと思っていた。」
私は言った。
「でも、向こうにとっては、自分が捨てられるかどうかの話だったのだと思います。そこではもう、政策ではなく生存の話になります。」
長官はしばらく何も言わなかった。
その沈黙が、会議の中のどんな怒鳴り声よりも重かった。
「なるほど。」
やがてそう言った。
「我々は、政治的圧力として見ていた。だが相手は、もっと裸の問いとして受け取った。」
「はい。」
「“お前”は要るのか、要らないのか、という問いですね。」
「そうです。」
長官は窓の方を見た。
外は冬の色をしていた。
「それでも。」
彼は低く言った。
「それでも、我々は考えなければならない。アメリカを割らせないために。」
私はその言葉に、すぐには返せなかった。
国を割らせない。
それは私の中にも、もうある言葉だった。
ケネディが死んでから、何度も形を変えて胸の中に残っている言葉だった。
「はい。」
私はようやく答えた。
「ただ、そのエネルギーはあくまでも内側に対してのものだと割り切る必用もあると思います。相手の為だというのは偽善です。問われているのは偽善だと自分を理解することです。」
長官は私を見た。
「どういう意味ですか。」
「アメリカの事情だけで世界を読むことです。」
その言葉は、自分に向けても言っていた。
「相手のためだと考えないこと――内部の分裂を外に向けるための偽善だと長官も分かっていたのでは?」
長官はすぐには反論しなかった。
「そう。それだからこそ、今の段階では外へ向かうしかない。」
「はい。」
「でなければ、内側が崩れる。」
「はい。」
私はまた、そう答えた。
その答えは本心だった。
そして、だからこそ嫌だった。
長官は立ち上がった。
会話はもう終わりだという合図だった。
「ミス・ハリントン。」
「はい。」
「これまで通り、正確に、正直に伝えてください。結論だけでなく、どこで人が引っかかったかを。都合が悪くても、そのままで構いません。」
「分かりました。」
「私の考えに都合が悪くても、です。」
「はい。」
長官は少しだけうなずいた。
「そこが必要なのです。」
私は手帳を閉じた。
この部屋で、長官は将軍たちの感情に手を焼いていた。
そして私は、長官の正しさの中にある危うさを見ていた。
どちらも、まだ壊れてはいなかった。
だが、もうどこかで軋み始めていた。
廊下へ出ると、さっきより空気が冷たく感じた。
私はまだ、ベトナムを遠い国の話として聞いていた。
遠い国の政権、遠い国の将軍、遠い国の混乱。
それが本当は、アメリカの事情の鏡になっているのだと分かっていても、なお私は、そこに生きている人間たちの重さを自分の中へ入れきれていなかった。
その時の私は、まだ信じていた。
正しく読みさえすれば、
正しく押さえさえすれば、
正しく管理しさえすれば、
国はまだ割れずに済むのだと。
同じ構造での対立は、国内でも軍隊でもそして海外でも起きていました。
【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。
改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)
改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿よていです!)
ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




