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ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
『歴史は私を無罪とするだろう!』~カストロの挫折~
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8,歴史は私を無罪とするだろう!(3/22大幅改稿)

(3/22大幅改稿)

カストロは失敗したのか?

カストロ編クライマックス。

◆酒場


「裁判は、手続きの顔をしていた。」


カストロはそう言ってから、しばらくグラスに触れたままだった。

指先は静かだったが、静かすぎるのが逆に奇妙だった。

何かを思い出している時の静けさじゃない。

何かをもう一度、自分の中で立ち上げている時の静けさだった。


酒場の灯りは弱い。

ラジオは遠い。

誰かの笑い声が一度だけ上がり、すぐに消える。

だが二人のテーブルの上だけは、別の明るさに照らされているように見えた。


ゲバラは何も言わない。

問い詰めない。

だからこそ、言葉の方が逃げ場を失う。


「罪状を読み、証言を並べ、判決を下す。順番がある。書類がある。署名がある。……きれいなものだ。」


カストロは小さく笑った。

笑いではない。白い紙の冷たさを、まだ口の中で噛みしめている顔だった。


「だが、あの法廷に本当にあったのは、手続きだけじゃなかった。」


ゲバラの目が、ほんの少しだけ動く。

“そこが核心だな”と見抜いた時の動きだった。


「1953年10月。27歳だった。」


カストロは続ける。


「モンカダで敗れて、捕まり、紙の上で裁かれることになった。向こうは俺を処理したかった。危険人物、反乱者、犯罪者。そういう名前を貼って、歴史の外へ追い出したかった。」


ゲバラは低く言う。


「だが、外にいたのはお前の方じゃなかった。」


「そうだ。」


カストロは頷いた。


「共和国の外へ出ていたのは、俺じゃない。」


一拍。


「聞くか?」


「聞く。」


ゲバラは短く答えた。


「眠れなくなる。」


「最初から眠れてない。」


その返しに、カストロはほんのわずかだけ口元を緩めた。

今度の笑いは、自分の傷をようやく武器として持ち直した人間の笑いだった。


「じゃあ聞け。」


彼は言った。


「手続きが、どうやって歴史に負けたかを。」


※※※※※※※※※※


法廷は明るすぎた。


光は正義の味方じゃない。

光は、見たいものだけを照らし、見たくないものを影へ追いやる。

影に追いやられたものは、存在しないことにされる。

だから俺は、光の中で影の話をすることにした。


机の上の紙は白い。

白すぎる。

白い紙の上に、黒いインクで“罪”が並ぶ。

インクは乾いている。乾いているのに、そこだけ湿って見える。

紙は薄い。薄いくせに、人間の首を切れる。


俺は弁護士だった。

言葉の刃の使い方を知っていた。

だがこの場で、刃を振り回す気はなかった。

振り回せば折れる。折れた刃は笑いの材料になる。

俺は笑いの材料になりに来たんじゃない。

奪われる時間の代わりに、未来を残しに来た。


裁判官の視線は俺を見ていない。

紙を見ている。

紙に書かれた順番を見ている。

その順番の中では、俺はもう被告でしかない。


被告氏名。

罪状。

証言。

判決。


順番は美しい。

美しいから、人は従う。

だが順番そのものが腐っていたらどうなる。

腐った順番を整然と踏んでいくことは、正義じゃない。

ただの従順だ。


法廷の中には軍の影があった。

直接立っていなくても分かる。

その場にいない権力ほど、よく効く。

裁判官の背後、記者の目、傍聴席の沈黙、全部の奥に、同じ影があった。


俺は被告席に立っていた。

だが、立っているというだけで、まだ負け切ってはいないと分かった。

完全に負けた人間は、まず自分の目を伏せる。

俺は伏せなかった。


目を伏せないというだけで、人間は抵抗できる。


そして、俺は一人で立っていた。

だが、本当に一人ではなかった。


名前を呼ぶ暇もなく失った若い顔が、法廷の白さの向こうに並んでいた。

モンカダの夜に散った仲間たち。

まだ若く、これから何者にもなれたはずの顔。

判決すら受けられなかった沈黙。

だからこれは、俺一人の弁明ではありえなかった。


俺の背後には、すでに時間を奪われた者たちがいた。


その時、ようやく分かった。

向こうが俺に与えようとしているものは、死ではない。

死刑ではない。

懲役15年だ。


15年。


数字にすれば短い。

紙の上なら軽い。

だが27歳の革命家にとって、15年は命そのものに近い。

若さが消える。

肉体が衰える。

仲間が散る。

歴史の流れから切り離される。

革命家として生きられるはずの時間、そのものが奪われる。


死刑は肉体を止める。

だが懲役15年は、未来を遅らせる。

人間をすぐに殺さないかわりに、可能性をゆっくり殺す。

“慈悲”の顔をした残酷だ。


その瞬間、俺ははっきり理解した。

こいつらは、俺を黙らせたいんじゃない。

俺が革命家になる時間そのものを奪いたいんだ。


だったら、こっちはその時間を別の場所へ逃がさなければならない。


紙の上ではなく、

檻の中ではなく、

もっと先へ。


歴史へ。


そう思った時、法廷の意味が変わった。


ここは、単に俺を裁く場所じゃない。

ここは、手続きが人間を閉じる場所だ。

ならば俺は、その手続きの中で、閉じない言葉を残すしかない。


俺は立って、法廷を見た。

裁判官、兵士、記者、傍聴人。

誰の顔も、完全にはこちらを見ていない。

だが、声が落ちれば、全員が同じ方向を向く瞬間がある。

その一瞬だけで十分だった。


「私は、ここに立っている。」


自分の声が、思っていたより静かだった。

静かだからこそ、遠くへ届く。

怒鳴れば熱になる。熱はその場で消える。

静かな言葉は、あとから人間の中で燃える。


俺は続けた。


「私は、この国の法を否定するためにここに立っているのではない。」


視線が集まるのが分かった。

裁判官も、記者も、兵士も、ようやく“人間の声”としてこちらを聞き始める。


「法を踏みにじった者たちが、法の顔をしてこの場にいることを告げるために、ここに立っている。」


空気が変わった。


変わったのは、場の温度じゃない。

時間の向きだ。

彼らは、俺の時間をここで閉じたい。

だが俺は、その時間を外へ持ち出そうとしていた。


俺はモンカダを、小さな違法行為として正当化するつもりはなかった。

そんなことをすれば、全部が縮む。

“若い反乱者の過ち”として処理される。

そうなれば負けだ。


俺が言いたいのは、もっと大きいことだった。


バチスタは選挙を壊した。

共和国を壊した。

法の骨を折り、国家を私物へ変えた。

ならば反逆者は誰か。

兵営を襲った俺か。

それとも、共和国そのものを先に奪った側か。


法廷の白さが、だんだん嫌になってきた。

白い壁。白い紙。白い光。

清潔な顔をしたものほど、この国では平気で血を隠す。


俺はその白さの中に、東部の赤い土を思い出した。

砂糖きびの葉の音。

港の湿気。

笑う人々。

安い酒。

歌。

祭り。

大した贅沢もないのに、それでも生きていく人間たち。


そのキューバを、他人の秩序の部品にする権利が、誰にある。


俺は法廷の中で、兵営の話をしているふりをしながら、ずっと祖国の話をしていた。

それが分かる者には分かったはずだ。


共和国は、政権の持ち物ではない。

人民のものだ。

国家は、軍の影で私有されるためにあるんじゃない。

人民が自分の国として呼び、守り、変えていくためにある。


そのことを言葉にした瞬間、俺はようやく、この裁判の意味を掴んだ。

彼らは俺を裁いているつもりだった。

だが本当は、手続きに閉じられたこの国そのものが、歴史の言葉を必要としていたのかもしれない。


だから俺は、最後の一言だけを残した。


手続きの外に残る一言を。

判決の届かない未来へ落ちる一言を。


「歴史は私を無罪とするだろう!」


空気が止まった。


止まったのは空気じゃない。

人間の時間だった。

彼らは俺の人生をここで閉じたい。

だが俺は、時間を外へ逃がした。

判決の届かない未来へ。


その瞬間、俺は初めて分かった。

言葉は、敗者を弁護するためだけのものじゃない。

言葉は、まだ存在していない未来の国家に、先に名前を与えることができる。


そして俺は、その時初めて、本物の革命家になったのだと思う。


銃を持ったからじゃない。

兵営を襲ったからじゃない。

若さに任せて飛び出したからでもない。


自分の時間を奪われると知った上で、

その時間の代わりに、歴史の中へ自分を投げたからだ。


判決の文が読まれる。

文は淡々としている。

淡々としているのは、感情がないからじゃない。

感情を排除しないと、この仕事は続けられないからだ。


そしてその言葉が落ちた。


懲役15年――


革命家としての人生を奪う言葉は、紙の上であまりにも軽く見えた。

だが俺は、もうその軽さに負けなかった。


笑わなかった。

泣きもしなかった。

目を逸らさずに聞いた。


目を逸らさないというだけで、人間は抵抗できる。


監獄の扉が閉まる音がした。

冷たい音だった。

その音だけが、最後まで体に残った。


だが、あの法廷に落とした言葉は、扉の外へ残った。

残った以上、あれはもう俺一人の言葉じゃない。


それで十分だった。


※※※※※※※※※※


酒場へ、夜が戻る。


ラジオが少しだけ途切れ、また鳴り始める。

店の奥で誰かが笑う。

だが二人のあいだの沈黙は、もう最初の沈黙ではなかった。


ゲバラはグラスを置いた。

置き方が静かだった。

その静けさの中に、いま聞いた言葉の重さが沈んでいた。


「裁判じゃないな。」


彼が言う。


カストロは少しだけ目を上げる。


「何だ。」


「変身だ。」


ゲバラは短く続けた。


「若い反乱者が、そこで革命家になった。」


その言葉に、カストロはすぐには返さなかった。

自分の中で一度だけ、その響きを噛み直してから、小さく頷いた。


「そうかもしれない。」


ゲバラは咳を一つだけ飲み込む。


「お前はあの場で、自分を救ったんじゃない。」


彼は言う。


「奪われる時間より先に、自分を歴史の側へ置いたんだ。」


その一言が、酒場の灯りよりもはっきりカストロの中へ落ちた。

慰めではない。

理解だった。


カストロはグラスから手を離した。


「紙の上では、15年だった。」


彼は言う。


「だが、本当に決まったのは刑期じゃない。あの場で、俺がもう後戻りできない人間になったってことだ。」


ゲバラは小さく頷く。


「分かる。」


その二文字が、妙に重かった。

見てしまった者の“分かる”だ。


カストロはテーブルの上の水差しを見た。

水は静かだ。

だが、静かなものほど深い。


モンカダは失敗した。

裁判では敗者として立った。

懲役15年を宣告された。


それでも、そこで終わらなかった。


むしろ、あの法廷で初めて、

敗北を“名前”へ変える術を手に入れたのかもしれない。


敗北は、それだけでは消える。

だが、日付が名になれば戻れる。

戻れるなら、人はもう一度そこから歴史を始められる。


1953年7月26日――


その日付は、まだ傷のままだった。

だが傷は、やがて旗にもなる。


監獄。

恩赦。

亡命。

再編。


カストロは顔を上げた。


「次は、監獄の外へ放り出された話だ。」


ゲバラは短く答える。


「聞く。」


その頷きだけで十分だった。

歴史というものは、たいていこういう夜に、誰にも見えない場所で次の章を決める。


ただの反乱者から、歴史を彼は背負うことにより真の革命家になったという解釈をしてみました。


名言の解釈はいろいろ考えられますが、それって歴史物の面白いところですね。


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