85,雪解けへの奇妙な配役
この幕間では、リサを中心に解読されないようにイニシャルが沢山出てきます。
以下一覧です。スリリングなスパイ物語のような実話が始まります。
F.C.(フィデル・カストロ)――キューバ革命の最高指導者/『農園主』
L.H.(リサ・ハワード)――ABCの看板記者
W.A.(ウィリアム・アットウッド)――米国側の実務担当
L.(カルロス・レチュガ)――キューバ国連代表、表の窓口
R.V.(レネ・バジェホ)――カストロの側近兼主治医/『主治医』
K(ジョン・F・ケネディ)――アメリカ大統領/『クライアント』
J.D.(ジャン・ダニエル)――フランス人ジャーナリスト、最後の伝言役
分からなくなったらここをみて下さい。
1963年9月22日。ニューヨーク、マンハッタン、アッパー・イースト・サイド。
夜の窓に、街の灯が細かく滲んでいた。
ABCニュースの看板特派員、リサ・ハワードの自宅アパートメントでは、翌晩の小さな集まりの準備が静かに進んでいる。
氷を満たした銀の水入れ。
磨かれたグラス。
棚の上に積まれたレコード。
そして、サイドテーブルの隅に置かれた黒い電話機。
リサはドレッサーの引き出しを開け、小さな封筒を取り出した。
春のハバナで、フィデル・カストロ(F.C.)から託された覚え書き。
公式の印章も、署名も、派手なレターヘッドもない。
ただの紙切れにしか見えない。だが、その薄い紙一枚に、国家をひとつ揺らしかねない熱が宿っていることを、彼女はもう知っていた。
この話には、最初から奇妙な配役が必要だった。
農園主――F.C.(フィデル・カストロ)。
主治医――R.V.(レネ・バジェホ)。
表の窓口――L。
クライアント――K(ケネディ大統領)。
代理人――ウィリアム・アットウッド。
そして、自分。
テレビの顔をした、ただの女主人。あるいは、ただの運び手。
名前をひとつでも言い間違えた瞬間、この話は終わる。
新聞の見出しになる前に、誰かの机の引き出しの中で握り潰される。
だからこれは、最初からニュースではなく、運搬の物語だった。
インターホンが鳴る。
「どうぞ。」
やがて現れたのは、背広姿の男――米国連代表部の特別顧問、ウィリアム・アットウッドだった。
肩書きは上品だが、その顔には外交官らしい余裕がほとんど残っていない。
部屋に入るなり、壁の絵も酒棚も見ず、彼はリサの手元の封筒だけを見た。
「それか?」
「そうよ。」
リサは封筒を軽く振った。
「春のハバナ土産。どうせ大げさな宣伝文句だろうと思っていたけど、読めば分かるわ。これはテレビで読み上げる種類の言葉じゃない。」
アットウッドはグラスにも手をつけず、ソファに腰を下ろした。
「見せてくれ……。」
リサは少しだけ迷った。
だが、ここまで来て後戻りはない。
彼女は封筒を開け、中の紙を差し出した。
アットウッドは目で追った。
二行。三行。
それほど長い文ではない。
だが、読み進めるにつれて、その表情から血の気が引いていく。
「……本物だな。」
「ええ。私も最初はそう思いたくなかったわ。」
「君はこれを誰に渡すつもりだった?」
「だからあなたを呼んだのよ、ビル。ホワイトハウスに近すぎれば露骨すぎる。国務省に渡せば、あの連中はまず握り潰す。新聞社に流せば、それで終わり。だから、まだ“外交”にも“報道”にも見せられる男が必要だった。」
アットウッドは紙を折り直し、テーブルに置いた。
「便利な理屈だな。失敗したら、切られるのは私だ。」
「大丈夫よ。成功しても切られるわ。」
その返しに、彼は初めて少しだけ笑った。
だが、その笑いには温度がない。
「K(ケネディ大統領)は、雪解けの余地を見ている。」
その一文字が出た瞬間、部屋の空気が一段冷えたように感じられた。
リサは黙ってアットウッドを見た。
「本気なの?」
「少なくとも、私がこうして君の部屋へ来る程度には。」
「でも、政府の仕事じゃない――。」
「表向きはな――。」
アットウッドは短く答えた。
「紙は残らない。名前も出ない。漏れた瞬間、すべては存在しなかったことになる。そういう話だ。」
リサは煙草に火をつけた。
薄く立ちのぼる煙が、二人の間に細い膜を張る。
「素敵じゃない。戦争はいつも大声で始まるのに、平和はいつだってコソコソしてる。」
「君は皮肉を言う時だけ、少し賢すぎるな。」
「テレビに出るには、そのくらいでちょうどいいのよ。」
アットウッドは立ち上がり、窓の外を見た。
マンハッタンの夜景は美しかった。
だが、その美しさは時として、こういう裏面工作にはあまりにも上等すぎて、むしろ悪趣味にすら見えた。
「明日の夜、Lは来る。」
「キューバの国連大使ね。」
「君の招待を断れない。ABCの看板特派員に呼ばれて来ない方が目立つからな。」
リサは肩をすくめた。
「便利な肩書きね。私も、あなたたちも、それぞれ違う意味で利用してる。」
アットウッドは否定しなかった。
ただ、低い声で言う。
「Lが乗れば、次はハバナだ。」
今度は、リサが沈黙する番だった。
「……R.V.(レネ・バジェホ医師)を使う気?」
アットウッドは答えない。
だが、それで十分だった。
R.V.。
F.C.の側近にして主治医。
そして、あの革命国家の中枢へ最短で届く、影の回線。
リサは煙草を灰皿に押し当てた。
「ねえ、ビル?」
「何だ?」
「あなたたちが本当に繋ごうとしているのは、LでもR.V.でもないでしょう?」
アットウッドはグラスの氷を指で鳴らした。
「KとF.C.。あなたたちが本当に繋ごうとしてるのは、その二人よ。」
彼は否定もしなかったし、肯定もしなかった。
その沈黙だけで十分だった。
だが、リサにはもう分かっていた。
これは、ただのスクープではない。
女記者が言葉を拾う話ですらない。
北と南、二人の男のあいだに、まだ誰の名前も持たない一本の線を通そうとする話なのだ。
そして、その線が結ばれる場所は、明日の夜の、あのパーティーしかない。
まさか86エピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を書き直してます。
3/21時点でプロローグがかなり変更されてますのでよろしければ覗き見してください。
ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。
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