84,言葉と、それ以上のもの
アメリカ人ジャーナリスト、リサ・ハワードのインタビューに答えるカストロ。
彼女のインタビューはキューバ危機の半年後、ケネディ暗殺の半年前、4月に行われました。
1963年4月23日。ハバナ。
インタビュー当日。
リサ・ハワードは控室で、汗ばむ手のひらをスカートの上で静かに拭っていた。
ハバナへ来る前、ワシントンの何人かは彼女に言った。
「あの男は独裁者だ!」
「時間の無駄よ。」
「どうせまた長広舌に付き合わされるだけだ――。」
だが、リサはすでに知っていた。
そういう種類の、分かりやすい悪役ではないと。
※※※※※※※※※※
二日前――1963年4月21日。ハバナ・リビエラ・ホテル。
最初に彼と顔を合わせた時、リサはすでに、その予感を持っていた。
オリーブグリーンの軍服。
葉巻。
長い影。
そして、部屋そのものの重力を変えてしまうような、あまりに巨大な存在感。
フィデル・カストロは、独裁者の顔で現れた。
だが、部屋の空気は、処刑場ではなく舞台の幕が上がる直前のように震えていた。
この男は、テレビ映りが良すぎる。
リサはその瞬間、そう理解した。
しかも厄介なことに、彼はそれを自分で知っていた。
だからこそ、今日のインタビューはただの取材ではない。
最初の握手の時点で、すでに始まっていた値踏みの続きなのだ。
※※※※※※※※※※
扉が開く。
二日前に見たあの男が、再び部屋へ入ってくる。
オリーブグリーンの軍服は今日も隙がなく、葉巻の香りは、彼自身の空気の一部のように自然だった。
リサは背筋を伸ばした。
あの時と同じだ。
部屋の主が誰なのかは、姿を見せた瞬間に分かってしまう。
「ようこそ、ミス・ハワード!」
カストロは握手を求めてきた。
手は大きく、温かかった。
「お会いできて光栄ですわ、コマンダンテ。」
「光栄?」
カストロは口の端を少し上げた。
「アメリカのテレビ記者にそう言われるのは、なかなか新鮮だ。てっきり私は、君たちの国では角と尻尾の生えた怪物だと思われているのかと思っていた。」
部屋に乾いた笑いが落ちる。
リサは笑わなかった。
「少なくとも今日は、角は見当たりません。それともお隠しになっていますの?」
「尻尾は椅子の下に隠してある。」
今度は、通訳まで吹き出しそうになった。
壁際に立っていたチェ・ゲバラだけが、表情を変えない。
カストロはリサの顔を見た。
試しているのだ、と彼女には分かった。
笑うか。怯むか。それとも食らいつくか。
「聞きたいのか、それとも見世物にしたいのか――。」
カストロは言った。
「アメリカ人は、どちらか片方だけで済ませるのが苦手だからな。」
「少なくとも私は、両方ですわ。」
リサは即座に返した。
その返答に、カストロは一瞬だけ目を細め、次いで声を立てて笑った。
「正直だな。気に入った。」
彼は椅子へ腰を下ろした。
その数歩のあいだに、すでにこの場所の主が誰なのかは決まっていた。
カメラが回り始める。
リサは最初の質問を投げた。
「コマンダンテ。アメリカでは今も、あなたの革命は“理想”ではなく“脅威”として語られています。あなた自身は、自分たちが何を成し遂げたと考えていますか?」
カストロはすぐには答えなかった。
葉巻の煙をひとつ吐き、それからゆっくり言った。
「革命とは、北の国の新聞が決める見出しではない。
この国の民が、初めて自分の土地と名前を持てるようになることだ。」
彼はそこでリサを見た。
「アメリカは、我々を脅威と呼ぶ。もちろんだ。自分の裏庭だと思っていた島が、初めて自分の意志で立ち上がったのだからな。」
「ですが、あなたはアメリカを必要としているのでは?」
リサはわざと少しだけ踏み込んだ。
通訳が息を呑む気配がした。
だがカストロは怒らなかった。
むしろ、その無礼を面白がるように笑った。
「必要としている。」
彼はあっさり認めた。
「我々は砂糖を売る。機械も要る。世界のどこかと取引しなければ生きていけん。問題は“必要”かどうかじゃない。ひざまづいてまで“必用”かどうかだ。」
「アメリカには、あなたを一人の魅力的な指導者として見る者もいます。」
リサは次の質問へ滑り込ませた。
「少なくとも、そう見せる力があなたにはある――。」
カストロは葉巻を指で回しながら、少しだけ笑った。
「魅力的だから、というのは北の国の便利な言い方だ。」
彼は低い声で続けた。
「アメリカは、魅力的だったからこの大陸を支配し、魅力的だったから世界を搾取してきた。笑顔と映画と車でね。」
リサは一瞬だけ言葉を失った。
質問が、いつの間にか相手の演壇になっている。
「では、あなたは違うと?」
「私は少なくとも、自分が力を使っていることを隠してはいない。」
カストロの目が細くなる。
「君たちの国は、支配を“自由”と呼ぶ。その方が、よほど上品だ。」
部屋の空気が変わる。
スタッフの誰もが、質問と返答の主導権がどちらにあるのかを理解し始めていた。
リサはメモを取った。
取っているはずなのに、どこかで自分が“答えを追う側”ではなく、“流れに乗せられる側”へ少しずつ移っていることに気づいていた。
「ミサイル危機のあと、あなたはアメリカをより恐れるようになったのか、それとも、より軽蔑するようになったのか?」
彼女はそこで、さらに踏み込んだ。
この流れを断ち切るには、それしかなかった。
カストロは今度こそ長く黙った。
その沈黙は、テレビには映らない。
だが、画面の外の本当の会話は、いつだって沈黙の方にある。
「――両方だ。」
その一言で、部屋の温度が変わる。
「恐れた。あの一週間で、人類は初めて、自分たちがどれほど馬鹿げた方法で終わるかを知った――。」
彼は葉巻を灰皿へ置いた。
「だが同時に、軽蔑もした。あれほど大きな国が、結局は小さな島ひとつを自分の思い通りにできぬことに怯えていたのだからな。」
リサは、そこで初めて本当に息を止めていた。
この男はただ喋りが上手いのではない。
質問を食い、自分の物語へ作り替えるのが上手いのだ。
壁際では、ゲバラが腕を組んだまま二人を見ている。
その視線だけが冷たい。
カストロの熱狂に酔っていないのは、部屋の中で彼だけだった。
「アメリカは一枚岩ではない。」
カストロは続けた。
「我々を叩き潰したい人間もいる。だが、そうでない者もいるかもしれん。少なくとも、私はそう考える自由をまだ手放していない。」
「つまり?」
リサは聞き返した。
だが、その一言には、最初のような主導権はもうなかった。
知らぬうちに、彼のテンポに乗せられていた。
「つまり、私は敵を一つの顔で見ていない、ということだ。」
リサはメモを取るふりをしながら、心のどこかで認めていた。
今この部屋でインタビューを支配しているのは、自分ではない。
カストロなのだ。
そして、その支配に自分が少しずつ巻き取られていく感覚を、彼女は職業的な恐怖と、奇妙な興奮を目眩のように味わっていた。
インタビューの終盤。
カメラが止まり、スタッフが機材を片付け始めても、カストロは席を立たなかった。
カストロそれを丁寧に確認し話しかける。
「君は面白い女だ、ミス・ハワード。」
リサは慎重に笑った。
「光栄です。」
「褒めているとも限らん。」
彼は葉巻を指で回しながら、しばらく彼女を見た。
値踏みする視線だった。
それはリサが彼を観察していた以上に、彼もまたリサを観察していたということだった。
「アメリカは、私を怪物として描きたがる。君も、そのつもりで来たのか。」
「半分は。」
「残りの半分は?」
リサは少し迷ってから答えた。
「あなたが、本当に何を恐れていて、何を欲しているのかを見たかった。」
カストロはそこで黙った。
その沈黙は長かった。
部屋の隅では誰かがフィルム缶を片付ける金属音を立てていたが、その音さえ遠く感じられるほど長かった。
やがて彼は、隣に控えていたバジェホへ視線だけを送った。
医師であり側近である男は、その意味を即座に理解したらしかった。
「ミス・ハワード――。」
カストロは低い声で言った。
「君が本当に北の国に耳を持っているなら、ひとつ伝えたいことがある。」
リサは息を詰めた。
取材メモを取る手が、わずかに止まる。
「公式な声明ではない。記録にも残らん。だが、もしワシントンに、本気で話を聞く耳を持つ者がいるなら――。」
そこで彼は一度言葉を切った。
次いで、はっきり言った。
「私にも話す用意はある、と伝えろ。」
それだけだった。
だが、その一言の重みを、リサはすぐに理解した。
これはニュース原稿にそのまま載せるような言葉ではない。
もっと危険で、もっと個人的で、だからこそ本物に近い言葉だ。
バジェホが別室へ下がり、しばらくして戻ってきた。
手には短い覚え書きがあった。
封も、公式の印章も、派手なレターヘッドもない。
ただの紙切れに見える。
だが、その紙切れは、下手をすれば国家ひとつを動かしかねないほど危険だった。
「もし君が、本当に届けられると思う相手がいるなら――。」
カストロはそう言って、その紙をリサに渡した。
「渡してみろ。」
リサはそれを受け取った。
紙は驚くほど軽かった。
なのに、その瞬間、彼女の手の中へカリブ海そのものを押し込まれたような重みを感じた。
「……誰に渡せばいいのですか?」
その問いに、カストロは笑った。
「それを考えるのが、君の仕事だろう。ミス・ハワード。」
その横で、ゲバラがぽつりと言った。
「記者は言葉を持ち帰る。だが、ときどき、それ以上のものも運ぶ。」
リサは何も言い返せなかった。
彼女はまだ、自分がこの国へ取材に来たのか、それとも一本の危険な回線の最初の運び手に選ばれたのかを、うまく言葉にできなかった。
だが、その答えを考える時間は、もう始まっていた。
彼女は言葉以上のものを持ち帰ります。
その、書簡の行方は――。
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