82,全員に動機があり、全員に利益があった
真犯人はそのあと得をしたものから推定できる。
しかしケネディ暗殺で得をした要素はおおすぎました。
引き裂かれた星条旗前編ラストです。
1964年9月。ワシントンD.C.のジョージタウンにある、重厚なマホガニーで設えられた高級レストランの奥の個室。
「オズワルドの単独犯。そして、一発の弾丸が複数の傷を負わせたという『魔法の銃弾』……実に見事に計算された、美しい報告ですね。」
私は冷えたマティーニのグラスを指でなぞりながら、目の前に座る老紳士に向けて静かに言った。
元CIA長官であり、私をかつて情報局で鍛え上げた恩師。そして、大統領暗殺事件の真相を究明するために設立された「ウォーレン委員会」の中核メンバー、アレン・ダレスだ。
ピッグス湾事件の失敗でケネディに首をすげ替えられたはずの彼が、なぜかケネディ暗殺の真相を調査する特権的な立場に返り咲いている。その事自体が、この国を覆う巨大なブラックボックスの正体を雄弁に物語っていた。
「久しぶりに、君の仮説を聞いてみたくなったんだよ、メアリー。」
ダレスはパイプにゆっくりと火をつけながら、白煙の向こうで目を細めた。
「かつて私の元で最も冷徹な計算式を弾き出していた優秀な分析官は、この委員会が導き出した結論の裏に、どんな方程式を見ているのかな?」
私はグラスから手を放し、深く息を吐いた。
「……悲しむべきことですが、アメリカという国家システムは、あの暗殺によって『完全に前進する結果』になりました。」
私は、頭の中の冷たいチェス盤に駒を並べるように、各ファクターを一つずつ挙げ始めた。
「ファクターごとに分析しましょう。
まず、【軍部】。彼らはケネディの『撤退のブラフ』という足枷から解放されました。後を継いだジョンソン大統領の下で、心置きなくベトナムへの軍事介入をエスカレートさせ、莫大な予算と兵站を手に入れている。」
「次に、【CIA】。あなた方は、自分たちを解体しようとしていた目障りな若造を排除し、南米や世界中での反共工作の主導権を完全に取り戻した。」
「そして、第3のファクターである【イスラエル】。彼らもまた、ケネディが執拗に迫っていた『ディモナ核施設への強制査察』という最大の圧力から完全に解放されました。後を継いだジョンソンは、中東の核開発に対して都合よく目を瞑ってくれる。」
「最後に、【リンドン・B・ジョンソン】。彼は念願のトップの座に就き、ケネディの死を『殉教者の遺志』として利用することで、本来なら通るはずのなかった『公民権法案』を議会で強行突破してみせた。」
私は、ダレスの射抜くような視線を真っ向から受け止めた。
「この事件の構造は、異常です。国家の中枢にいる誰一人として『損』をしていない。あのダラスの銃弾で致命的なダメージを受けたのは、時代の流れからして元々負けることが決まっていた『南部の保守右派』と、大統領本人だけです。」
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。私は冷ややかな声で言葉を続けた。
「……だからこそ、私はこう考えるのです。誰かが綿密に計画した巨大な陰謀である必要すらないのだと。
オズワルドの単独犯――それで十分です。誰が引き金を引いたかという物理的な事象すら、もはや些末な問題に過ぎない。このピースの組み合わせが、少し早くなるか遅くなるかの違いでしかなかった。大統領は、時代の作った巨大な蜘蛛の巣に絡め取られた……それこそが、この事件の本質です。」
ダレスは、パイプを口から離し、ただ黙って私の言葉を聞いていた。
「全員に動機があり、全員に利益があった。だから誰も彼を守ろうとせず、誰もが彼から目を逸らした。時代そのものが、いつでも引き金を引ける状況にあった。……それが、冷徹な変数から導き出された、私の結論です。」
ダレスはパイプの煙をゆっくりと吐き出し、やがて、喉の奥を鳴らして低く笑った。
「見事だ。誰かの描いた絵図ではなく、時代の必然と結論づけるか。君のその冷徹な視点は、相変わらず私の期待を裏切らない。」
ダレスはグラスの残りを飲み干し、ふと、哀れむような、あるいは値踏みするような目を私に向けた。
「ところでメアリー。主を失った君は、これからどうするつもりだ? もし行き場がないのなら、再び我々の世界へ――優秀なスパイとして推薦してやってもいいがね。」
私は小さく首を振った。
「お気遣いなく。大統領はあのダラスのパレードが終わった後、私を国防総省のマクナマラ長官付秘書官として異動させる辞令を、すでに切っていました。」
その言葉に、ダレスは少しだけ目を丸くし、やがて皮肉げに口角を上げて苦笑した。
「君は……いや、君はむしろ悪運が強いと言うべきかな。これから最も血生臭くなる火薬庫のど真ん中へ行くチケットを、死者から受け取っていたとは。」
ダレスは再びパイプを咥え、紫煙の向こうで目を細めた。
「ペンタゴンか。……ベトナム。いや、むしろ我が国そのものが、これから試されることになるだろう。あの大統領が遺した『撤退の計算式』が消え去った泥沼でね。」
そして、ダレスはテーブルの上に身を乗り出し、私にだけ聞こえるような囁き声に変わった。
「だがね、メアリー。君のその完璧な歴史の計算式には、たった一つだけ『抜けている視点』があるんだよ。」
「……抜けている視点?」
「ああ。この事件で、致命的に計算が狂い、すべてを失った連中が、もう一組だけいる。」
ダレスの瞳の奥に、本物の冷戦を生き抜いてきた怪物だけが持つ、底知れぬ暗黒が覗いた。
「それが誰なのか、教えていただけませんか?」
「残念だが、私には国家安全保障に関する厳格な守秘義務があってね。」
ダレスは皮肉げに肩をすくめ、椅子に深くもたれかかった。
「しかし……歴史というものは恐ろしい。いつの日か、必ず歴史がこの委員会のやり取りを暴き、封印された記録の蓋をこじ開けることになるだろう。その時、君にも答えが分かるはずだ。」
老練なスパイマスターは、それ以上何も語ろうとはしなかった。私は一つの可能性、でも、見落としていた大きな可能性を口に出した。
「カリブ海ですか――?」
※※※※※※※※※※
その後――
ダレスの予言通り、歴史はウォーレン委員会の結論に挑み続けた――。
1964年。ウォーレン委員会は「オズワルドの単独犯」と結論づけた報告書を提出した。
だが、その結論を支える膨大な関連文書と証言録は、「国家安全保障」の名の下に長く封じ込められた。
1979年。下院暗殺調査委員会(HSCA)は再検証の末、「大統領は陰謀の結果、暗殺された可能性が高い」という、ウォーレン委員会とは異なる公式見解に到達した。
しかし、そこでもなお、黒幕は特定されなかった。
真相は、輪郭だけを残して再び闇へ沈んだ。
1991年。オリバー・ストーンの映画『JFK』が公開される。
それは単なる娯楽作品ではなかった。
国家が半ば封印してきた暗殺の記憶を、再び政治の表舞台へ引きずり出す、巨大な世論装置だった。
1992年。ジョージ・H・W・ブッシュ政権下で、議会は「ケネディ暗殺記録収集法」を成立させる。
暗殺の真相そのものではなく、まず記録を国家の手から取り戻すための法的枠組みだった。
国家が自ら進んで口を割ったのではない。映画と世論に背中を押され、ようやく制度の形だけを差し出したのだ。
1994年。クリントン政権下で、独立機関「暗殺記録再検討委員会(ARRB)」が本格的に動き始める。
それは犯人探しの委員会ではなかった。
むしろ、各省庁がなお“機密”として抱え込んでいた文書をこじ開け、歴史の土台そのものを掘り返すための、静かな解体作業だった。
1998年。ARRBは任務を終え、膨大な記録群を国立公文書館へ引き渡した。
ウォーレン委員会の時代には見えなかった地層が、そこで初めて歴史の表面へ押し上げられた。
だが、それでもなお、最後の蓋は外れなかった。
2016年。オバマ政権末期。
二十五年ルールの終点は、もはや陰謀論者の夢想ではなく、政府の引き継ぎ資料に載る現実の政治日程となっていた。
翌2017年10月26日。
その日が来れば、JFK法に基づき、残された記録は原則として全面公開される――。
国家の側もまた、その期限を意識し始めていた。
封印は、もはや永遠ではいられなくなっていた。
2017年。第一次トランプ政権の下で、ついに法定期限が到来する。
だが国家は、ここでも完全降伏を選ばなかった。
公開は進んだ。だが、情報機関の要請によって、一部の記録はなお延期され、黒塗りは残された。
扉は開いた。だが、地下室までは見せなかった。
2018年。トランプ政権はさらに猶予を与える。
記録は「いずれ出す」と言われながら、なお国家の内部で寝かされ続けた。
真相への扉は、開放ではなく先送りという形で管理され続けたのだ。
2021年、2022年、2023年。バイデン政権下でも公開は続いた。
しかしその実態は、全面公開ではなく、再検討と部分公開、そして再延期の反復だった。
国家はここでも、自ら積極的に闇を剥がしたのではない。
期限と批判に押され、少しずつ、言い逃れのできる範囲だけを差し出していったにすぎない。
そして2025年。第二次トランプ政権の下で、新たな大統領令が出され、国立公文書館(NARA)は長年秘匿されてきた記録群を大規模に公開した。
数万ページ単位の文書が、ついに黒塗りを外され、あるいは新たに移管され、歴史の表へ押し出された。
六十年以上にわたり守られてきた封印は、ここにきてようやく大きくこじ開けられたのだ。
だが、それでもなお、すべてが白日の下に晒されたわけではない。
大陪審の秘匿、裁判所の封印、税務情報――法そのものが守る一角には、いまだ人の目が届かない。
国家は最後の最後まで、封印の技術だけは忘れていなかった。
ダラスの青空の下で銃声が響いてから、六十年以上。
記録の山は崩れ、蓋は軋み、闇は確かに薄くなった。
だがそれは、国家が自ら真実を差し出したからではない。
映画に揺さぶられ、世論に追われ、法律に縛られ、政局に押し流されるたびに、少しずつ吐き出させられてきたにすぎない。
それでもなお、あの日に失われたすべての未来が、完全に回収されたわけではない。
ダレスが話したもう一つ損をしたもの。
その正体は?
次回、幕間で明かされます。
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