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79,ようこそダラスへ

引き裂かれる星条旗編。


本編はメアリーの目線です。

ケネディ暗殺前夜のダラスでは彼女が見たものは――。

11月20日。大統領到着の48時間前。

ダラスの街は、狂気と憎悪の展覧会と化していた。


電柱やショーウィンドウの至る所に、正面と横顔のマグショット風の写真と共に『反逆罪で指名手配:ジョン・F・ケネディ』と大書されたビラが、数千枚規模でばら撒かれている。誰もそれを剥がそうとしない。


さらに翌朝の地元紙『ダラス・モーニング・ニュース』には、大統領を売国奴として糾弾する、黒枠の不吉な全面広告が掲載されるという。沿道にはすでに「裏切り者はテキサスから出て行け」というプラカードを掲げた極右団体の抗議活動家たちが陣取っていた。


すれ違う市民の瞳に宿る、北部から来たエリートへの剥き出しの敵意。ここは、法や理屈ではなく、血と土地の怨念で動いていた。まるでいまだ独立を諦めていない、古い王国のようだった。


そのむせ返るような憎悪の空気の中で、私はふと、ある男の顔を思い浮かべていた。

リンドン・B・ジョンソン副大統領。

この異常で狂ったテキサスという巨大な怪物を自らの「地盤」として飼い慣らし、ワシントンの副大統領にまで登り詰めた男。来年の選挙を勝ち抜くためには、大統領をワシントンの温室から引きずり出し、どうしてもこのテキサスの現実と向き合わせる必要があったのだ。彼なりの、泥臭い政治的生存本能。

私は初めて、彼に対して底知れぬ恐怖と、わずかな共感を同時に抱いていた。


だが、ジョンソンの思惑すらも、この土地に渦巻く「殺意の純度」の前では無力だった。


その日の午後。ダラス市警本部で開かれた、警備ルートの最終会議。

最悪のサボタージュは、露骨な敵意の顔ではなく、あくまで「実務」と「善意」の仮面を被って現れた。


※※※※※※※※※※


「シークレットサービスの基本原則を確認しておく。」


連邦SSシークレットサービスの捜査官が、地図上のディーリー・プラザを指で叩いた。


「90度を超える急旋回は避けるべきだ。メイン・ストリートをそのまま直進させれば済むものを、なぜわざわざ右折し、その直後に120度近い鋭角な左折でエルム通りへ入れる? 

あの長くて重い大統領専用車でそんなカーブを曲がれば、速度は極端に落ちる。車を止めるに等しい。明らかなルール違反だ。」


室内に短い沈黙が落ちた。


ダラス市警の警備責任者は、椅子の背にもたれたまま、書類を一枚めくった。声は穏やかだった。むしろ穏やかすぎるほどに。


「ルールは承知しています、捜査官殿。ですが今回は、通常のパレードではありません。」


男は地図の上に鉛筆を置き、問題のカーブをなぞった。


「市民歓迎の密度、沿道の収容能力、地元局の中継位置、固定カメラの画角、車列の見せ場――それらを総合すると、このルートが最も適切です。」


その言葉を聞いた瞬間、私は背中に薄い冷気が走るのを感じた。


“見せ場”。


その単語が、この部屋では異様に滑らかに発音された。


SSの捜査官が険しい顔を崩さない。


「見せ場のために大統領の車速を殺せと言うのか?」


「殺す、という言い方は穏やかじゃない――」


警備責任者は薄く笑った。


「市民は大統領を一目見たくて集まるんです。テレビ局も同じです。車列が少し減速すれば、その分だけ沿道の観衆は大統領の姿を長く見られる。中継も美しく撮れる。歓迎の熱気は、きっと連邦全土へ届くでしょう。」


その「歓迎」という言葉の中に、この街の空気とは正反対の響きが混じっていることが、かえって不気味だった。


「少し、だと?」


SSの捜査官は地図に身を乗り出した。


「120度だぞ。ほとんどヘアピンカーブだ。減速は避けられない!」


「避けられないでしょうな......。」


警備責任者はあっさり認めた。


「ですが、その程度の減速は群衆整理の観点からもむしろ自然です。直進ルートに切り替えれば、観衆配置もバリケードも報道位置も全部やり直しになる。今さらそんな変更をすれば、混乱の方が大きい。」


その言い方は、最後まで“安全”を口にしていた。

だが、言葉の節々からは、私たちが困ることをよく知ったうえで、あえてそこを押している冷たい悪意が滲んでいた。


「このルートは、そちらの要望にも沿っていますよ――。」


男の視線が、静かに私へ移る。


「パレードをテレビで効果的に見せたい。大統領の姿をできるだけ印象的に全国へ届けたい。そうおっしゃったのは、連邦側でしょう?」


私は思わず椅子から立ち上がっていた。


「私は最適なカメラ配置を求めただけよ。ルートを危険に変えろとは言っていないわ。」


「危険?」


男は小さく首を傾げた。


「ずいぶん大げさだ。地元の事情を一番よく知っているのは我々です。道路幅、観衆の流れ、交差点ごとの死角、警官の配置。ワシントンの理屈で地図に線を引くのは簡単でしょうが、現場はそうはいかない。」


言葉だけを聞けば、もっともだった。

だからこそ怖かった。

彼は一度も露骨な敵意を見せない。安全を口にし、歓迎を口にし、実務を口にしながら、その実、最も危険な案だけを涼しい顔で押し通そうとしている。


SSの捜査官が、怒りを抑えた声で言った。


「直進ルートへ戻す。今からでも再調整しろ!」


警備責任者は、そこで初めて露骨にため息をついた。


「戻すのは自由です。ですが、その場合、沿道警備の再配置、バリケードの再設置、交差点規制の再調整、報道各社への修正連絡、すべて今夜中にやっていただく必要がある。うちの人員では不可能です。連邦側で補ってもらえるなら話は別ですが――。」


その場の誰も答えられなかった。

軍の支援は期待できない。CIAの目もない。SSはこの街では、想像以上に孤立していた。


「それに・・・」


警備責任者は書類を閉じた。


「大統領を歓迎するテキサス市民に、直前になって“よく見えないルートに変更しました”と説明がつきますか? 全国中継の絵も損なう。せっかくの歴史的な訪問なのに。」


その一言で、私ははっきり悟った。

彼らは、私が進言した「光の可視化」という戦略を、この危険なルートを押し通すための“公式の言い訳”に変えてしまったのだ。


見栄え。歓迎。実務。安全。

どの言葉も表向きは正しい。だが、それらはすべて、120度の死角へ大統領を導くための、よく磨かれた包装紙にすぎなかった。


長い沈黙のあと、SSの捜査官が掠れた声で言った。


「……ルートは変更なし。これでいく...... 」


その瞬間、私の計算した「勝利の方程式」は、大統領の首に巻き付く絞首縄へと完全に姿を変えた。


私はただ、120度という死の角度が刻まれた地図を見下ろしながら、自分の傲慢さが招いた結末に、打ち震えることしかできなかった。

共和党の大統領アイゼンハワー前大統領の出身地だったテキサスへ、ケネディの歴史的訪問です。アメリカ大統領選挙で、テキサスの選挙人を押さえることは圧倒的勝利の必要条件でした。


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