66,突然の結末
世界の緊張状態はひとつのラジオ放送で幕を下ろします。
キューバ危機編最後の1日です。
【1962年10月28日現地時間夜モスクワ】
フルシチョフは知っていた。
「キューバのジャングルには、アメリカのCIAが気づいていない『150発の実弾(戦術核)』が、すでに配備を終えている」
そしてそれが、現地司令官の判断ひとつで——いつでも撃てる状態にある、という真実を。
事実現地ではアメリカの偵察機の接近で計算外の事態が起きた。
血を流されたアメリカは、「まだ安全だ」と勘違いしたまま、明日の朝には必ず上陸してくる。
そうなれば現地の指揮官は、カストロの同意のもと躊躇なくアメリカ海兵隊へ核を撃ち込み、第三次世界大戦が始まってしまうだろう——。
だからこそ彼は、アメリカ軍が「空っぽだと思い込んでいる地雷原」に足を踏み入れるのを一秒でも早く止めるため、暗号化の時間すら惜しみ、公共の電波に向かって叫んだ。
世界中に、そして敵にも味方にも届く、最も原始的な方法で。
※※※※※※※※※※
【1962年10月28日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[メアリーの手帳:第13日目の詳細録(午前)]
【事象】
午前9時。世界が終わるはずだった日の朝。
大統領が突きつけた「最後通告」の期限が切れ、タカ派の将軍たちは「CIAの分析通り、今なら我が軍は無傷でキューバを制圧できる」と意気揚々と大規模空爆と上陸作戦の最終準備に入っていた。
その時、CIAの通信傍受班から、信じられない報告が飛び込んできた。
『モスクワのラジオ放送が、フルシチョフ書記長からの公開メッセージを全世界に向けて読み上げています! ソ連は、キューバからのミサイル撤去に合意しました!』
【対応と感情】
閣議室(EXCOMM)は一瞬、完全な静寂に包まれ――次の瞬間、爆発的な歓声に包まれた。勝利を確信して死地へ向かおうとしていた将軍たちでさえ、呆然と顔を見合わせ、やがて安堵の息を漏らした。
ソ連のラジオ放送が、全世界へ流れた。
昨日、キューバで我が軍の偵察機が撃墜されたことで、アメリカのタカ派は「反撃能力がない今なら勝てる」と沸騰した。
しかし、思わない終わりを迎えた。
【まとめ】
なぜロシアは全世界に届くラジオでメッセージを送ったのか。どうしても気にかかる。キューバの現地で何が起きていだろうか?
とりあえず、明日も世界は続く。
アメリカの若者たちが、見知らぬジャングルで一瞬にして灰になることはひとまず回避された。
※※※※※※※※※※
【同日/キューバ・ハバナ郊外 沿岸防衛陣地】
カリブ海から、じりじりと太陽が昇り始めていた。
フィデル・カストロとエルネスト・ゲバラは、最前線の塹壕の中で、アメリカの大艦隊が水平線の向こうから現れるのを、今か今かと待ち構えていた。
彼らの背後には、アメリカのCIAが「存在しない」と分析した150発の戦術核が、いつでも発射できる状態で息を潜めている。
「遅いな。ヤンキーどもは朝寝坊か。」
ゲバラが、小銃のスコープを覗き込みながら冷たく呟いた。
「なに、じきに来るさ。奴らは『安全な遠足』のつもりで、意気揚々とこの海岸にやってくる。そして奴らが我々の頭上に爆弾を落とした瞬間が、この星の最期だ。」
カストロは泥だらけの軍服のまま、不敵な笑みを浮かべて海を睨みつけていた。
その時だった。
背後の司令部テントから、通信兵が転がるようにして塹壕へ駆け込んできた。その顔は、恐怖とも絶望ともつかない色に蒼白く染まっていた。
「コマンダンテ(司令官)! カストロ議長! も、モスクワ放送が……!」
「どうした。フルシチョフから、ついにアメリカへの先制攻撃の宣言が出たか。」
カストロが振り返る。
「ち、違います! フルシチョフ書記長は……アメリカのケネディ大統領に対し、『キューバにある攻撃的兵器を解体し、ソ連へ持ち帰る』と、全世界に向けて発表しました……!
アメリカが『キューバには侵攻しない』と約束したため、それに同意したと……。我々への事前通告は、一切ありませんでした!」
通信兵の悲痛な報告が、波の音だけが響く塹壕に虚しく吸い込まれていく。
数秒の、永遠にも似た沈黙。
「……ふざけるな。」
カストロの声は、低く震えていた。
そして次の瞬間、彼は狂ったように怒号を上げ、足元の土嚢を力任せに蹴り飛ばした。
「ふざけるな! ふざけるなああああっ!!」
カストロは無線のレシーバーを通信兵から奪い取り、地面に叩きつけて粉々に粉砕した。
「あのモスクワの腰抜け野郎! 我々を見捨て、この国の指導者である私に一言の相談もなく、ワシントンと勝手に裏取引をしやがった!」
激怒する指導者の前で、若い兵士たちは怯え、言葉を失っていた。
カストロの怒りは、「盾を失った恐怖」などではない。独立国家としての主権を完全に無視され、大国同士の都合で勝手に「死のテーブル」からチップとして下げられたことに対する、魂がちぎれるほどの屈辱だった。
「我々は……我々キューバ人民は、傲慢な帝国主義者どもを道連れにして、祖国のために灰になる覚悟を決めていたんだぞ! それを、あの大国の豚どもは……!」
怒りで肩を震わせるカストロ。
その横で、ゲバラは自動小銃の安全装置を静かに戻し、盟友の肩に重い手を置いた。
「落ち着け、フィデル。……モスクワもワシントンも、結局は同じ穴の狢だ。大国にとって、我々は盤上の駒に過ぎない。」
ゲバラの目は、怒りよりもさらに深く、冷徹な真理を見透かしていた。
「だが、すべてを失ったわけではない。結果として、ケネディは世界に向けて『キューバには侵攻しない』と約束させられた。
大義名分を失った以上、これでアメリカも、これまでのように『安全な遠足』気分でこの島へ軍隊を送り込むことはできなくなる。」
「……ゲバラ。」
「俺たちの戦いの目的は、帝国への復讐で世界を灰にすることじゃない。祖国の独立と、人民の革命を守り抜くことだ。……その意味では、俺たちは生き残ったんだ。」
ゲバラは塹壕から這い上がり、土を払いながら、忌々しそうに、だがどこか誇り高く空を見上げた。
カストロはなおも荒い息を吐いていたが、ゲバラの言葉の重みをゆっくりと噛み砕くように、やがて静かに目を閉じた。
「……そうだな。」
カストロは、握りしめていた拳の力をふっと抜き、短く呟いた。
そして、忌々しそうに背後のジャングルを振り返った。
「……背後で眠っている『手札(150発の戦術核)』はどうする。あれの引き金は、まだ我々の手の中にあるぞ。」
「もういい、そのままにしておけ。」
ゲバラは鼻で笑い、小銃をロックし肩に担ぎ直した。
「あんたの今日のブチギレ具合を知れば、モスクワの腰抜け共は『この島に核を残しておいたら、あいつら本当に勝手に撃ちかねない』と青ざめるだろうさ。……どうせ近いうちに、泣きべそをかきながら慌てて回収しに来る。」
「……違いない。」
カストロの口元に、ようやく皮肉めいた笑みが戻った。
アメリカが「無知ゆえの平和」に歓喜の涙を流していたその同じ空の下で、キューバの革命家たちは大国に裏切られた屈辱を噛み殺し、それでも生き残った祖国の未来のために、静かに破滅の引き金から指を離したのだった。
目隠しでポーカーをする二つの国。その危険さを一番わかっていたのは、ソ連でした。
次回、13日目の後半です。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




