62,アルマゲドンレター~安堵と切り札~
キューバ危機は、主にアメリカパートではメアリー(大統領秘書)のメモベースで実際の出来事を、キューバパートでそれを受けたキューバの反応を描きます。
この話は、30年後明らかになった新しい史実もおりこみます。
[メアリーの手帳:第9日目の詳細録]
【1962年10月24日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[午前9時55分]
【事象】
海上隔離の開始まで、あと5分。
閣議室(EXCOMM)には、重い沈黙が張り詰めている。海軍からの報告によれば、ソ連の貨物船と護衛の潜水艦が、ついにキューバ沖500マイルの封鎖ラインの手前まで迫っている。
【対応】
大統領は顔面を蒼白にし、唇を強く噛み締めながら、ただ海軍からの報告を待っている。
【目的】
あの船団に積まれている(とCIAが推定している)核弾頭を、絶対にキューバへ上陸させないこと。もしラインを越えられれば、キューバは完全な核要塞と化してしまう。
【感情】
時計の秒針の音が、爆弾のタイマーのように響く。中身の分からない積み荷がラインを越えれば、米海軍は撃つ。撃てば、世界は終わる。息をするのさえ苦しい、極限の緊張だった。
[午前10時25分]
【事象】
海軍から緊急の無線通信。「封鎖ラインに最も接近していたソ連の貨物船が、突然速度を落とし、Uターンを開始した」との報告。
【対応】
閣議室の空気が、一気に弛緩した。ラスク国務長官が、安堵のあまり微かに震える声で呟いた一言を、私は手帳に正確に書き留めた。
『我々は目と目を睨み合っていたが、どうやら相手が先に瞬きをしたようだ。』
【感情】
アメリカが、未知の恐怖との度胸比べ(チキンレース)に勝った。
一斉に安堵の溜息が漏れ、まるで憑き物が落ちたかのように部屋の温度が上がった気がした。我々はついに、悪魔の兵器を水際で食い止めたのだ。
<10月24日:メアリーの総括メモ>
【まとめ】
最初の危機は去った。ソ連は引いた。我々は、キューバに核弾頭が配備されるという最悪の事態を防ぐことに成功したのだ。
だが、これで終わったわけではない。すでに運び込まれている「ミサイルの筒」をどうやって撤去させるかという交渉が残っている。とはいえ、今夜だけは、大統領も少しだけ安らかに眠ることができるだろう。
※※※※※※※※※※
【同日/キューバ・ハバナ 革命軍司令部】
「……報告します! 我が国の沖合に設定されたアメリカ軍の封鎖ラインの手前で、モスクワからの貨物船団が、一斉にUターンを開始しました!」
通信兵の報告に、地下司令部の空気が凍りついた。
アメリカの艦隊を前にして、大国ソ連が「逃げた」のだ。
「馬鹿な! あの船団には、アメリカ全土を射程に収めるための『長距離ミサイル(R-14)』の本体と追加の部材が積まれていたはずだぞ!」
弟のラウル・カストロが、血相を変えて通信機を殴りつけた。
「それを引き返させるなど、フルシチョフは我々を見捨てる気か! このままでは我々は梯子を外される! アメリカが封鎖を強め、ソ連が腰を引けば、我々はこのままアメリカの爆撃を待って犬死にするだけだぞ!」
激昂し、絶望に顔を歪める弟。
だが、部屋の奥のソファに深く腰掛けるフィデル・カストロの顔には、焦りも絶望も一切なかった。隣で小銃を磨くエルネスト・ゲバラもまた、氷のように冷ややかな目で海図を見つめているだけだ。
「……落ち着け、ラウル。みっともないぞ。」
カストロは、太い葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながら、地鳴りのような声で言った。
「フルシチョフが尻尾を巻いて逃げ帰ったことなど、最初から想定の範囲内だ。モスクワにとって我々は、アメリカを脅すためのポーカーのチップに過ぎないのだからな。」
「兄さん! だが、盾の完成前に見捨てられたら、我々は……!」
「お前は、この私が、他人の手札だけで祖国の命運を懸けたギャンブルをするような愚か者に見えるか。」
カストロは立ち上がり、壁に掛けられた巨大なキューバ全土の軍事地図の前に立った。
そして、ピナール・デル・リオ州の山岳地帯を、太い指でトンと叩いた。
「ワシントンの間抜け共は、『これから来る船』に核弾頭が積んであると信じ込み、海の上で勝った気になって安堵して眠りについているだろう。……だが、無知とは恐ろしいものだ。」
カストロの口角が、獰猛に吊り上がった。
「奴らの足元には、すでに150発もの戦術核と中距離核弾頭が、一週間も前から配備を終えて眠っているのだからな。」
「ひゃく、ごじゅう発……!」
ラウルが息を呑み、絶句した。
それが、準備周到なカストロがひた隠しにしてきた『最後の切り札』だった。海上の船団など、ただの囮であり追加の戦力に過ぎない。アメリカを灰燼に帰すための地獄の釜は、すでにキューバのジャングルの中で完全に開いていたのだ。
「核の引き金は、すでに我々の手の中にある。モスクワの腰抜け共の許可など必要ない。」
カストロは机の上の便箋を引き寄せ、鋭い目でゲバラを見た。
「ゲバラ。モスクワのフルシチョフ宛てに、至急、親書を送る。一刻を争うぞ。」
「内容は?」
「『もしアメリカ軍がこの島に上陸してきたなら、ソ連の許可など待たず、我々の手にある弾頭で即座にアメリカを核攻撃しろ』と書く。……我々にはその準備が完全に整っているとな。」
「了解した。すぐに手配しよう。」
ゲバラは冷酷な笑みを浮かべ、短く頷いた。
「世界の命運を、大国の密室のポーカーのテーブルから、我々の手に取り戻してやる。」
大国に見捨てられかけた絶望の中で、キューバの指導者たちは自らがすでに握り込んでいる「破滅の引き金」を突きつけ、歴史に残る苛烈な書簡の執筆へと向かっていった。
回避されたと考えたアメリカに対しキューバの隠し玉が――
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