60,巨人が風邪をひくとき
キューバ危機は、主にアメリカパートではメアリー(大統領秘書)のメモベースで実際の出来事を、キューバパートでそれを受けたキューバの反応を描きます。
【1962年10月19日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[メアリーの手帳:第4日目のメモ]
【事象】
ケネディ大統領は、中間選挙の遊説のため、予定通りシカゴへと出発した。笑顔で専用機に乗り込むその姿は、いつもと変わらない「強いアメリカ」の象徴だった。
【対応】
だが、これは完璧な陽動だ。大統領不在のホワイトハウスでは、弟のロバート・ケネディ司法長官らが中心となり、軍部の「空爆案」とマクナマラ長官の「封鎖案」のどちらを採用するか、血を吐くような議論が続いている。
【感情】
空っぽの大統領執務室。主のいない椅子。
世界が滅亡するかどうかの瀬戸際で、リーダーが「何も起きていないフリ」をして地方を回り、握手をして回らなければならないという政治の虚しさ。この静寂が、逆に嵐の近さを告げているようで恐ろしかった。
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[メアリーの手帳:第5日目のメモ]
【1962年10月20日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[午前9時00分]
【事象】
ホワイトハウスのロバート・ケネディから、シカゴの大統領へ緊急電話。「議論がまとまった。帰還されたし」との暗号連絡。
【対応】
ホワイトハウス報道官は、詰めかけた記者団に対し「大統領は風邪をひいた。感染症による発熱のため、遊説を中止してワシントンへ戻る」と発表。
【目的】
危機を悟られないための、あまりにも古典的で、泥臭い「仮病」。だが、軍用機を飛ばすにはそれしか理由がなかった。
【感情】
世界最強の権力者が、子供のような嘘をついて首都へ逃げ帰ってくる。その滑稽さと、そこまでしなければならない事態の切迫感。私はタイプライターを打ちながら、乾いた笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
[午後2時30分]
【事象】
大統領を乗せたヘリコプターがホワイトハウスの南庭に着陸。大統領は帽子を目深に被り、足早に居住区へと消えた。
そのまま直ちに、第50回国家安全保障会議(EXCOMM)の最終決定会合が開かれる。
【対応】
軍部のルメイ空軍参謀長らは最後まで「即時空爆と侵攻」を主張したが、大統領は首を縦に振らなかった。彼はついに、歴史的な決断を下した。「海上封鎖(Naval Blockade)」である。ただし、戦争行為とみなされる「封鎖」という言葉を避け、より柔らかな「隔離(Quarantine)」という名称を採用した。
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<5日経過時点:メアリーの総括メモ(選択肢の結末)>
当初の5つの選択肢は、以下のように決着した。
1.何もしない(事実上の降伏)
→【却下】論外。アメリカの威信が崩壊する。
2.外交的圧力(国連での非難)
→【却下】手ぬるい。ソ連がミサイルを完成させるまでの時間稼ぎにしかならない。
3.キューバに対する海上封鎖(隔離)
→【採用】
最も消極的だが、唯一の「引き返せる」選択肢。
いきなり人を殺すのではなく、ソ連のフルシチョフ書記長に「止まるか、進むか」のボールを投げ返すことができる。ただし、国際法上は明白な戦争行為であり、ソ連船が強行突破すれば第三次世界大戦は避けられない。
4.ミサイル基地へのピンポイント空爆
→【却下】
空軍が「100%の破壊は保証できない」と認めたため。撃ち漏らせば、残った核ミサイルがアメリカ本土に飛んでくる。
5.全面空爆およびキューバ本土への侵攻
→【却下】
軍部の第一希望だったが、これをやればソ連は必ずベルリンかトルコで報復に出る。それは即ち、全面核戦争(人類の終わり)を意味する。
【まとめ】
賽は投げられた。
大統領は、剣(空爆)ではなく、ロープ(封鎖)を選んだ。
だが、これは解決ではない。世界を窒息させるチキンレースの始まりに過ぎない。
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【同日/キューバ・ハバナ 革命宮殿】
ラジオから流れるニュース速報が、ハバナの熱帯の空気に溶けていく。
『ケネディ大統領、風邪による発熱のため遊説を中止。ワシントンへ緊急帰還――』
「風邪、だと?」
エルネスト・ゲバラは、葉巻の煙を吐き出しながら、鼻で笑った。
「面白い冗談だ。あの健康優良児の優男が、こんなタイミングで熱を出して寝込むとはな。……仮病だ」
「ああ、間違いない。」
フィデル・カストロは、窓の外を睨みつけたまま、静かに頷いた。
「ワシントンの役者どもめ。大根芝居もいいところだ。……奴ら、ついに腹を決めたぞ」
カストロの声には、緊張と、そして待ち望んでいた時が来たという高揚感が混じっていた。
「風邪という嘘をついてまで、選挙前の土曜の午後にホワイトハウスへ戻った。つまり、これからすぐに『何か』が始まる。軍隊を動かす最終命令が出たはずだ」
「空爆か?」
ゲバラの問いに、カストロは首を横に振った。
「いや。もし空爆なら、大統領がワシントンに着く前に、我々の頭上に爆弾が降っているはずだ。奇襲こそが空爆の命だからな。……奴らはまだ撃ってこない。ということは、選んだのは『剣』ではない。『ロープ』だ」
カストロは、地図の上に置かれたチェスの駒――ポーンを一つ、指で弾いた。
「海上封鎖。真綿で首を絞めるやり方だ。……甘いな、ケネディ。いきなり殴りかかってこなかったことが、奴の命取りになる」
「時間を与えてくれたわけか。」
ゲバラが、カストロの思考を先読みして補足する。
「封鎖が始まっても、ミサイルの組み立ては止められない。奴らが海の上でソ連船と睨み合っている間に、我々の核の槍は完成する。……奴らの優柔不断さが、我々を『核保有国』にしてくれるわけだ」
「その通りだ。さあ、忙しくなるぞ」
カストロは立ち上がり、軍帽を被り直した。
「全軍に第一級の戦闘配置を発令しろ。海岸線に塹壕を掘れ。高射砲を空に向けろ。……アメリカが『風邪』を治して戻ってくる頃には、この島は触れれば爆発するハリネズミになっている」
二人の革命家は、大国の「躊躇」を冷徹に見透かし、来るべき決戦に向けて静かに牙を研ぎ始めた。
人類終末をかけた駆け引きが――。
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