59,マングースは動けない
キューバ危機は、主にアメリカパートではメアリー(大統領秘書)のメモベースで実際の出来事を、キューバパートでそれを受けたキューバの反応を描きます。
【1962年10月17日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[メアリーの手帳:第2日目の総括メモ]
【事象】
大統領執務室の地下で、EXCOMM(国家安全保障会議執行委員会)の極秘会議が継続。「即時空爆」を主張する軍部と、「海上封鎖」を推すマクナマラ国防長官らの間で激しい怒号が飛び交うが、結論は出ず。膠着状態。
【対応】
マスコミやソ連に異常を悟られないよう、大統領は予定通りコネティカット州への選挙遊説へと出発した。笑顔で群衆に手を振る大統領の頭の中には、核兵器のことしかないはずだ。
【感情】
ただ、重苦しい徒労感だけが地下室に蓄積していく。軍の将軍たちが飲むコーヒーの量は異常で、灰皿は数時間で吸い殻の山になる。時間が経てば経つほど、キューバのミサイル稼働が近づいているというのに、この国の中枢は「結論を出せない」という致命的な病に罹っているようだ。
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[メアリーの手帳:第3日目の総括メモ]
【1962年10月18日/ワシントンD.C. ホワイトハウス】
[午後5時00分]
【事象】
ソ連のグロムイコ外相がホワイトハウスを訪問し、大統領と会談。外相は「ソ連がキューバに供与しているのは、農業用トラクターと純粋な防衛用兵器のみである」と公式に発言した。
【対応】
大統領は、U-2偵察機が撮影した「核ミサイル」の決定的な写真を机の引き出しに隠したまま、外相の大嘘を穏やかな笑顔で聞き流し、一切の反論を行わなかった。
【目的】
自国がミサイルの存在を掴んでいることを隠し通すことで、ソ連側がどこまで嘘を突き通すか、その底意と覚悟の度合いを測ること。
【感情】
オーバルオフィスの分厚い机、その引き出しの板一枚を隔てて、世界を滅ぼす『真実』と、白々しい『大嘘』が交差している。
人類の命運を懸けた、最高権力者同士の最高に悪趣味なポーカー(騙し合い)。外相の完璧な嘘に、大統領が完璧な笑顔で相槌を打つたび、私は背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。
<3日までの総括メモ>
【本日の選択肢の推移】
1.何もしない(事実上の降伏)
→【却下】論外。
2.外交的圧力(国連での非難)
→【消滅】本日の会談で相手が「シラを切る」方針であることが確定したため、対話による解決の道は事実上閉ざされた。
3.キューバに対する海上封鎖(隔離)
→【検討中】マクナマラ長官らが理論武装を進めているが、軍部は「弱腰で効果がない」と猛反発している。
4・5.空爆および侵攻
→【軍部の推奨】ルメイ空軍参謀長らは「外交が通じない今こそ撃つべきだ」と圧力を強めている。
【まとめ】
グロムイコ外相の嘘により、「話し合い」というカードは死んだ。
残るは「撃つ(戦争)」か「囲む(封鎖)」か。
ホワイトハウス内では、「真珠湾の二の舞になる前に先制攻撃を」と叫ぶタカ派の声が日増しに大きくなっている。大統領はまだ、引き金に指をかけたままだ。
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【同日/キューバ・ハバナ 革命宮殿】
「アメリカが、動かないな」
エルネスト・ゲバラは、執務室の窓辺で愛用の自動小銃(FAL)の機関部を布で磨きながら、ポツリと呟いた。
ミサイル搬入の基礎工事が始まってから、すでに数日が経過している。空を飛ぶアメリカの偵察機の数は明らかに増えており、ワシントンがミサイルの存在に気づいていないはずはなかった。
「てっきり、昨日の朝には水平線を埋め尽くすほどの艦隊が押し寄せてくると思っていたが」
カストロは、ソファに深く腰掛けたまま、新しい葉巻の先端を噛みちぎった。
「連中は今頃、密室で互いの腹を探り合い、震えながら泥水のようなコーヒーを飲んでいるはずだ。官僚機構というやつは、想定外の巨大な恐怖を前にすると、意思決定の機能が麻痺してフリーズする。連中には『核戦争の引き金を誰が引くか』という責任の押し付け合いで、時間がいくらあっても足りないのさ」
カストロはマッチを擦り、深く煙を吸い込んだ。
その顔には、ワシントンのエリートたちの狼狽を見透かしたような、冷徹な優越感があった。
「いい傾向だ。連中が時間を空費すればするほど、我が国のジャングルの中ではミサイルの組み立てが進む。発射可能になるまで、あと数日。そこまで持ち堪えれば、我々の『盾』は完全に機能する」
ゲバラは小銃のボルトを引いた。
カチャリ、という冷たく乾いた金属音が、宮殿の執務室に響く。
「だが、油断はできないぞ、フィデル。大国がフリーズから目覚めた時、彼らは自分たちの怯えを隠すために、より凶暴な暴力に頼ろうとする。恐怖は、人間から理性を奪う」
「分かっている。その暴発を防ぐために、我々はヒロシマの悪魔を招き入れたのだからな」
カストロは窓の外、広場を歩くハバナの市民たちを見下ろした。
いつもと変わらない、陽気で貧しいカリブの日常。空の上に、自分たちを消滅させるかもしれない見えない時計の針が進んでいることなど、誰も知らない。
「泣いても笑っても、あと数日だ。ワシントンが目覚めるのが先か、我々のミサイルが空を睨むのが先か。……最高のギャンブルじゃないか」
二人の革命家は、嵐の前の不気味な静けさの中で、ただ己の命運を乗せた時計の針が進む音を、静かに聞き続けていた。
人類終末をかけた駆け引きが――。
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