50,ノイズ
キューバ危機までのアメリカは、アメリカ自身も変化の時代でした。
中央情報局(CIA)に入る『南部』アメリカ出身の(架空の人物)メアリーの目線でこの章は語ります。
1961年4月15日 CIA作戦指令室
テレタイプが、けたたましい音を立てて印字を始めた。
指令室の空気が、一瞬で張り詰める。タイプライターを打つ音がピタリと止み、全員の視線がその無機質な通信機械に向かった。
第一報だ。
作戦の口火を切る、空襲の結果報告。
通信士が急いで印字された紙を引きちぎり、無言でダレスに渡す。ダレスの冷たい灰色の目が、文字を素早く斜め読みする。そして、彼にしては珍しく、少しだけ乱暴に紙を机に置いた。
「空襲、成功。」
指令室の温度が、一気に上がった気がした。
歓声こそ上がらない。ここは情報の処理機関であり、野球のスタジアムではない。だが、誰もが深く息を吐き、隣の席の人間と無言で目配せをした。重圧から解放された、静かな熱狂が部屋に充満する。
「キューバ空軍の主要な滑走路、および航空戦力の大半を破壊した。敵の空からの反撃能力は、ほぼ削がれた。」
私は、胸の奥で静かな高揚感を覚えた。
勝った!
ダレスの言う通りだった。我々の作り上げた完璧な制度が、圧倒的な力と緻密な計算で現実をねじ伏せたのだ。相手の最も厄介な戦力を、開始早々に排除した。敵は空を失い、地上に這いつくばるしかない。
今頃、亡命部隊の兵士たちは船の上から、夜明けのピッグス湾の海岸線を見つめているはずだ。空からの脅威は消えた。あとは上陸し、歓喜の声を上げる反体制派の民衆と合流し、首都ハバナへ向かって進軍するだけだ。勝利の港が、彼らの目にははっきりと見えているに違いない。
「これで、勝負は決まった。」
ダレスが低く呟いた。
彼の顔には、大仕事を成し遂げた安堵よりも、むしろ退屈さすら漂っていた。完璧な計算式を解き終えた数学者のような、感情の欠落した顔だ。
「敵は丸裸になった。勝利は既定路線だ。残るは、政治のサインだけだ。」
ダレスは私を振り返った。その目は、次の事務作業を指示するだけのものだった。
「大統領に報告の準備を。上陸部隊への援護と、事後処理のための海軍介入の最終確認だ。」
「はい。」
私はすぐさま手元のバインダーを開き、大統領へ提出する状況報告の要約の作成に取り掛かった。
だが、ペンを走らせる手が、ふと止まった。
違和感。
極小の、棘のような違和感が、指先に引っかかっていた。
報告が。
綺麗すぎる。
「……長官。」
私は、周囲の浮き足立った空気を切り裂くように、あえて平坦な声で呼びかけた。
「空襲の被害に関する、キューバ政府側からの通信傍受記録は入っていますか?」
「まだだ。奇襲を受け、指揮系統が混乱しているのだろう。」
ダレスは気にも留めない様子で答える。
「それでは、現場で空襲を行ったパイロットからの、肉声の報告は?」
「電信の暗号報告が先だ。無駄なノイズはいらん。被害状況のパーセンテージだけが重要だ。」
ノイズ――
そう、ノイズが一切ないのだ。
私は学生時代、新聞部の記者として現場を歩いた経験がある。現実の事件には、いつも泥臭い。
血の匂いがし、予定外の混乱が起きる。暴力が、こんなに綺麗な数字の羅列になるはずがない。
この報告書には、兵士の恐怖の叫びも、火薬の臭いも、予測不能な風の動きもない。ただ、事務的な「大成功」の文字が、書類の上に整然と並んでいるだけだ。
それはまるで、相手が一切の抵抗をせず、ただこちらの都合の良いように倒れてくれたかのような、不自然な美しさだった。
「ミス・ハリントン。」
ダレスの声が、少しだけ硬くなった。威圧だ。
「疑うのは君の長所であり、君をここに置いている理由だが、今はタイミングが悪い。大統領のサインを急がせないといけないのだ。我々がモタモタしていれば、ソ連や国際社会が『不当な介入だ』と騒ぎ出す。時間が命だ。」
私は言葉を飲み込んだ。
「……はい。すぐにホワイトハウスへ繋ぐ手配をします。」
これで、ケネディの机に介入判断の紙が置かれることになる。
あとは、彼が若い決断力でペンを取るだけ。それで、すべてが終わるはずだった。この部屋にいる誰もが、そう信じて疑わなかった。
私は、テレタイプの無機質な機械音を聞きながら、足元がゆっくりと、音もなく崩れていくような奇妙な眩暈を感じていた。
嵐の前の、完璧すぎる静寂。
見えない場所で、密かに仕掛けられた巨大な罠が、ゆっくりと口を開き始めている気がした。
盤面は、私たちの知らないところで、すでに致命的に狂い始めていた。
次回、久しぶりのキューバのパートです。ゲバラとカストロが登場します。
よろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。




