49,作戦準備
キューバ危機までのアメリカは、アメリカ自身も変化の時代でした。
中央情報局(CIA)に入る『南部』アメリカ出身の(架空の人物)メアリーの目線でこの章は語ります。
1961年4月 ワシントンD.C. CIA作戦指令室
タイプライターの音が、心地よいリズムを刻んでいる。
何台もの機械が金属音を立てて紙を叩く音。それは、混沌とした現実世界が、数字と記号、そして「完了」というチェックマークによって、整然と処理されていく音だった。至る所から報告があげられまとめる。
「グアテマラの訓練キャンプ、スケジュール通り進行中。」
「第三次補給物資、搬入完了。銃器の製造番はすべて消去済み。」
「現地の地下組織との通信設定、完了。」
各セクションから報告が次々と上がってくる。私は、それを巨大な一枚のチェックリストに落とし込んでいく。
食料、弾薬、無線機、医療キット。
膨大な物資が、予定通りに手配され、予定通りに国境を越えて運ばれる。数千人の人間が、誰一人として自分たちが全体像のどこにいるのかを知らないまま、与えられた細切れのタスクをこなしていく。
制度が、完璧に機能している。
その事実が、現場の泥や血の匂いを消し去り、奇妙な快感を生み出していた。巨大な官僚機構という機械の歯車が、一寸の狂いもなく噛み合っている美しさ。
ここでは、人間の死傷リスクですら「損耗率」というただのパーセンテージで処理される。
ダレス長官が指令室に入ってきた。
歩く速度はいつもと同じ。一定のリズム。彼の周囲だけ、空気が数度低い気がした。
「グアテマラの状況は。」
「極めて順調です。」
私はバインダーに挟んだ報告書を差し出す。
「メキシコの南、キューバの目と鼻の先にあるあの国で、亡命部隊は十分な訓練を積みました。装備は最新、士気は極めて高いとのことです。」
ダレスは報告書にざっと目を通し、短く頷いた。
「空襲を行うB-26爆撃機の偽装は。」
「完了しています。」
私は淀みなく答える。
「機体からアメリカの国籍マークを完全に消去し、キューバの空軍と全く同じ塗装を施しました。パイロットもキューバの亡命者です。誰が空から攻撃を仕掛けているか、表向きには『キューバ軍内部の反乱分子』にしか見えません。」
「海軍の動きは。」
「空母エセックスを含む艦隊が、ピッグス湾の沖合で待機状態に入ります。あくまで『通常演習』という名目です。」
私は口に出しながら、内心で冷ややかな心の声をつぶやいていた。
演習。誰の目から見ても、重武装の艦隊がその位置で待機している時点で、圧力の匂いは消せない。いつでも力でねじ伏せられるという脅しをチラつかせているようなものだ。
だが、書類上は「無関係」だ。この世界では、事実がどうであれ、書類の辻褄が合っていればそれが「真実」になる。
ダレスは指令室の中央にある作戦地図を見下ろした。キューバの島に向かって、無数の赤い矢印が集束している。完璧に包囲する陣形だった。
「長官。」
私は、周囲のタイピングの音に紛れさせるように、少しだけ声を落として尋ねた。
「本当に、彼ら(亡命部隊)の人数だけで足りるのでしょうか。いくら訓練を積んだとはいえ、向こうの正規軍と比べれば、数の上では劣勢です。」
ダレスは地図から目を離さず、氷のように冷たい声で言った。
「足りる。グアテマラで証明したはずだ。」
彼の声には、経験に裏打ちされた、揺るぎない自信があった。かつて彼が仕掛けたグアテマラでの政権転覆工作。それが彼の「成功体験」の核だった。
「ミス・ハリントン、よく覚えておけ。人民というものは、自由やイデオロギーといった高尚な理念で動くわけではない。彼らが求めるのは、明日のパンと、今日の安定だ。革命の熱狂なんてものは、腹が減ればすぐに冷める。」
ダレスは葉巻を取り出し、火はつけずに指先で転がした。
「体制に少し亀裂が入り、空からの爆撃で不安が広がれば、民衆は必ずこちら側に寝返る。強い方に付くのが人間の本能だからだ。我々がやるのは、最初のドミノを倒すことだけだ。体制の弱い部分を少しだけ強く突いてやる。あとは勝手に崩壊する。」
成功体験。それは時に、最も危険な麻薬になる。
グアテマラとキューバは違う。あのカストロという男は、過去の腐敗した独裁者たちとは違うかもしれない。内心不安がよぎる。
だが、この部屋でその可能性を口にすることは、計算式を乱すノイズでしかなかった。長官の頭の中では、すでに答えは出ているのだ。
ダレスは赤鉛筆を取り、地図のピッグス湾の地点に、小さな丸を書いた。まるで、そこがすべての終わりの場所であるかのように。
「準備は終わった。すべての配置は完了した。あとは、動かすだけだ。」
ルール説明は終わった。掛け金となる莫大なチップはすべてテーブルの中央に積まれた。勝負の行く末を左右する手札は配られ、あとはそれをめくるだけだ。
私は、無意識に深く息を吸い込んだ。
作戦開始の時刻が、静かに、だが確実に迫っていた。響き渡るタイプライターの音が、運命の秒針のように私には聞こえた。
大国対小さな島国。
生き残りをかけた戦いが始まります。
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