45,ふるさとのクリスマス
キューバ危機までのアメリカは、アメリカ自身も変化の時代でした。
中央情報局(CIA)に入る『南部』アメリカ出身の(架空の人物)メアリーの目線でこの章は語ります。
1960年12月 バージニア州 クリスマス帰省
故郷の駅のホームに降りた瞬間、空気が違った。
ワシントンの冬は乾いていて、言葉の端が尖っている。
ここは湿り気がある。冷たいのに、どこか柔らかい。
改札の向こうに、母が立っていた。
いつもなら真っ先に手を振るのに、今日は一拍遅れてから振った。
その一拍が、胸に引っかかった。
「メアリー!」
抱きしめられる。
腕が細い。
香水が薄い。
頬が少しこけている。
半年ぶりなのに――
二人は歳を取ったような気がした。
母だけじゃない。
その後ろにいる父も、どこか小さい。
背が縮んだわけじゃないのに。
私は自分のヒールのせいだと思うことにした。
そう思わないと、胸の奥が痛くなる。
父の義足が、ホームの床を“コツコツ”と叩く。
音は昔と同じだ。
でも、間が少しだけ長い。
歩幅が小さい。
父は急がないように、いや、急げないように見えた。
父は私の前で止まり、短く言った。
「よく帰った。」
それだけで、私は安心してしまう。
安心しすぎる自分が、少しだけ怖い。
母が私の腕を引く。
「寒いから、早く。家で温まって。」
父は荷物を取ろうとして、母に先に手を出される。
父は何も言わず、新聞を脇に抱え直した。
いつもより、紙を強く抱えている気がした。
※※※※※※※※※※
家に着くと、玄関のリースが少しだけ斜めになっていた。
去年はもっと真っ直ぐだった。
母が飾り、父が直す。
その役割が、今日は少しだけ曖昧だ。
ドアが開く。
熱が頬を撫でる。
オーブンの熱。バター。シナモン。
焦げる寸前の甘さ。
私はこの匂いに弱い。
意志より先に、体が帰ってしまう。
台所へ連れていかれる。
大きなハム。
湯気の立つグレイビー。
パンの籠。
テーブルの端に新聞。
父は新聞の向こうにいた。
紙が高い。
顔が見えない。
でも、分かる。
父は隠れているんじゃない。
“落ち着く場所”にいるだけだ。
母が皿を並べる。
父がハムを切る。
切り方が、少しだけ慎重になっている。
昔はもっと乱暴だった。
乱暴で、それが頼もしかった。
私はトーストをちぎった。
母が私の手を軽く叩く。
「お祈りは済ませたの?」
――忘れていた。
「……今するわ。」
私は短く祈った。
難しい言葉は使わない。
“今日ここにいることを、ありがとう。”
母が「アーメン」と言い、
父が低く「アーメン」と言った。
食事が始まる。
家の音が戻る。
皿の音。ナイフの音。母の小言。父の短い相槌。
母が聞く。
「ワシントンはどう?」
私は答えを選ぶ。
嘘はつきたくない。
でも、言えないことは言えない。
「詳しくは言えないの。
でも――私、結構優秀みたいわよ。」
母が目を丸くする。
「まぁ。」
父が咳払いをする。
照れている時の癖だ。
私は笑いそうになる。
父はわざと低い声で言った。
「仕事ができるより、お母さんみたいに“よき妻”になる方が嬉しいんだがな。」
母がフォークを止める。
「あなた、またその話……」
私はすぐ返す。
「そんなことないわ。
時代は変わってる。」
父が眉を上げる。
「時代?」
私はパンを噛んでから言った。
勢いで言うと、喧嘩になる。
「おじい様の時代と、お父様の時代が変わったように。
戦争の前と後で、国は変わったでしょう。」
父の目が少しだけ細くなる。
硫黄島での痛みは、父の中でまだ終わっていない。
私は続けた。
「大統領も若くなったわ。
ジョン・F・ケネディよ。」
父が鼻で笑う。
「あんな小童が大統領だ。わからんよ。」
“わからんよ”は、拒絶じゃない。
不安だ。
父は不安を言葉にするとき、いつも古い言葉を選ぶ。
母が言う。
「若いってことは、希望ってことよ。」
父はすぐには返さない。
返さないまま、新聞の端を指で整えた。
その動きが妙に丁寧で、私は目を逸らした。
私は少しだけ声を落とす。
「私はね、お父さん。
お父さんが“分からない”って言うの、嫌いじゃない。」
父がこちらを見る。
「……なんだそれは。」
「昔は全部分かってる顔をしてた。
今は、分からないって言える。
それって、変わったってことよ。」
父は照れたみたいに視線を逸らす。
その照れが、私は好きだ。
父が人間になる瞬間だから。
母が笑って言う。
「ほら、メアリー。
あなたも誰か見つけなさいよ。」
私は肩をすくめる。
「新年から新しい役目が与えられるみたいなの。
今はそれどころじゃないわ。」
父が反射的に言う。
「役目?」
私は一拍置いた。
「国のための役目。
パパみたいにね。」
父は何も言わない。
ただ、口元がほんの少し上がった。
それだけで胸が温かくなる。
温かいのに、少しだけ痛い。
※※※※※※※※※※
食後、窓の外は濃い青だった。
イルミネーションが瞬いて、世界が“平和”のふりをしている。
時代は変わる。
人も変わる。
大統領が変わった。
ケネディになった。
言葉の時代が来る。
そして、海の向こうの小さな島では、
髭の男たちが“世界の秩序”に楯突いているらしい。
キューバは、私に何を教えてくれるのだろう。
私は両親を、いつもよりいとおしく感じた。
もうすぐ、1961年がやってくる。
新年から、私は新しい世界を知る。
次回から激動の1961年が始まります。
ダレス長官とメアリーの出会いです。
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