44,メアリーの配属先
キューバ危機までのアメリカは、アメリカ自身も変化の時代でした。
中央情報局(CIA)に入る『南部』アメリカ出身の(架空の人物)メアリーの目線でこの章は語ります。
1960年12月 ワシントンD.C. 研修棟
中央情報局(CIA)研修棟の廊下は、病院より白い。
白いのに、清潔な匂いがしない。
紙とインクと乾いた暖房の匂い。
でも病院とちがって、ここは人間を治す場所じゃない。
私は今日も机に座り、議事録の練習をしていた。
“練習”と呼ぶと軽いが、実際は処刑に近い。
一行の解釈が混ざるだけで、誰かの人生が歪む。
模擬会議は十人。
発言は二十回。
決定事項は三つ。
そのうち二つは、はっきり言葉にされない。
教官が言った。
「いい記録ってのはな。
読む人が違っても、同じ出来事を見た気になる記録だ。」
教官は続けた。
「派手な言い回しは要らない。
“解釈”を混ぜるな。
混ぜると、読む人ごとに違う絵になる。」
隣の研修生が、得意げに紙を差し出した。
「どうです? 勢い、ありますよね?」
教官は赤鉛筆を取って、勢いだけを削った。
文字が剥がされる音がする気がした。
「勢いは、“判断”だ。
判断を混ぜると、責任が逃げる。」
研修生の顔が曇る。
「じゃあ、客観的って、どうやるんですか?」
教官は私の紙を持ち上げた。
「こうやる。」
私の紙には、褒め言葉が一つもない。
ストーリーもなければ、主観もない。でも誰が読んでも、書いてあるのは、時間と発言と決定だけだ。
教官は、紙を軽く叩いて言った。
「メアリーの文章は目立たない。
だから残る。
目立たない文章は、解釈されない。
解釈されないから記録になる。」
私はペンを回した。
褒められている気がしない。
模擬会議が終わる。
教官から呼び止められ封筒を渡される。
「メアリー、辞令だ。この後ボスのところに行くように。」
「まだ研修期間なのでは?」
「研修は終わりだ――。スケジュール変更だ。」
封筒。
薄いのに、重い。
私の名前が書いてある。
私は一度、目を閉じた。
読み間違いであってほしかった。
だが文字は消えない。正直まだ自信がない。
※※※※※※※※※※
呼び出し。
研修棟では、呼び出しは“ご褒美”じゃない。
行き先が決まった合図だ。
廊下を歩く。
靴音が響く。
首都はいつも忙しいのに、この廊下だけは時間が遅い。
扉の前に男が立っていた。
研修棟の“ボス”だ。
正式には上司じゃない。
でもこの世界では、肩書きより先に影がある。
ボスは封筒を見て言った。
「顔に出すな。」
「出してません。」
「出てる。」
私は黙った。
黙るのは得意だ。
新聞部で覚えた。
喋った瞬間、本当のことが聞けなくなる。沈黙は力強い。
沈黙とジョークでリズムを作る。これがコツだ。
ボスは歩き出す。
私は横に並ぶ。
「研修は、どうだった?」
私は肩をすくめる。
「もう過去形なんですね――。
意外と難しくなかったですわ。」
ボスが短く笑う。
「いいな。図太いのは長所だ。
この世界じゃ、優秀さより長持ちする。」
私は言った。
「褒めてくださるのですか?」
「褒めてない。観察だ。」
廊下の角を曲がったところで、ボスが言った。
「君が新聞部で賞を取った理由が、やっと分かった。」
私は足を止めかけた。
「そんな話、誰かににしましたか?」
ボスは振り向かずに言う。
「ここ(CIA)はどこだと思う?」
そして、ほんの少しだけ笑った。
「君の経歴は全部分かってる。
卒業論文の参考文献も。
寮で誰と喧嘩したかも。
君が何人の男に“また今度”と言って――そのまま二度と会わなかったかもね。」
私は息を吸って吐いた。
「……怖いですね。」
ボスは肩をすくめる。
「安心しろ。君の秘密は守る。
こっちは最初から全部知ってるけどな。」
言い方はジョークのように軽い。
でも、内容が重い。
この国の権力は、だいたいこういう温度で喋る。
私は質問した。
「それで、私は何をさせられるんですか?」
ボスは止まらない。
歩きながら答える。
「記録だ。
会議の“空気”まで残す記録。」
「空気?」
「誰が何を言ったか、だけじゃ足りない。
誰が何を言わなかったか。
誰が頷いて、誰が黙ったか。
決定がどこで変わったか。
責任がどこに配置されたか。
引き出し記録する。
そして、判断の材料にし予定を組む。記録係。そして――秘書。」
私は言った。
「それ、ただの秘書じゃないですね。」
「秘書という言葉は便利だ。
便利だから雑になる。」
ボスは私をちらりと見た。
「君に頼むのは、雑じゃない方だ。」
私は少しだけ苦笑した。
「私が選ばれた理由は?」
ボスは一拍置いた。
「不思議だが、君にはいろいろ話してしまう。」
私は眉を上げる。
「それ、私の能力ですか?」
「能力――ちょっと違う。特徴だ。」
ボスは淡々と言う。
「君は相手を“正しく”しない。
相手が勝手に“正直”になる空気を作る。
それは厄介だ。だから便利だ。」
私は言った。
「褒めてます?」
「褒めてない。」
ボスは封筒を指で叩いた。
「新しいチームができた。長官の肝いりのチームだ。
西半球だ。
その中でも、今いちばん重いのは“キューバ”だ。」
キューバ。
この数ヶ月、新聞の見出しがやたらとこの島を叩いている。
「君はその部署の記録係になる。
会議の合間には、キューバにおけるダレス長官の秘書のような仕事もこなす。
キューバ予定、資料、版の管理。
上に上げる一枚の要約。
それが君の仕事だ。」
私は聞いた。
「ならば、ダレス長官の上ってことですよね?どこまで?」
ボスは扉の前で止まり、こちらを見た。
「この国のすべてを決定をするところまで。」
私は頷いた。
怖い。
だが、知らないままの方がもっと怖い。
ボスは最後に言った。
「覚えておけ。
この仕事は、情報を集めるだけではない。情報から真実を集める仕事だ。肝に命じろ。」
扉が開く。
白い光が漏れる。
紙の匂いがする。
私は一歩踏み出した。
――辞令の封筒の薄さだけが、嘘みたいだった。
ダレス長官。いい噂は聞かない人物だ。、
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