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ゲバラとカストロ ~革命は二人で始まり、一人で終わる~  作者: 相馬ゆう
2つのアメリカ、2つのキューバ
43/48

42,1960-二つのアメリカ~メアリーの卒業~

前回の幕間で記者として登場したメアリーがアメリカ編の主役です。

キューバ危機までのアメリカは、アメリカ自身も変化の時代でした。

中央情報局(CIA)に入る『南部』アメリカ出身のメアリーの目線でこの章は語ります。

新聞部室の窓は半分だけ開いていた。

初夏の湿った風が入ってくる。紙の匂いが、少しだけ動く。

机の上には古い新聞の束。見出しは色褪せ、角は丸くなっている。

ホコリを払うと、インクの匂いだけがまだ生きていた。


棚の奥に、小さなトロフィーがある。

掌に乗るくらいの安っぽい金属。

それでも、台座の銘板だけは妙にくっきりしていた。


最優秀学生ジャーナリスト賞

1960

――メアリー・ハリントン――


メアリー・ハリントン。

自分の名前なのに、よそよそしい。


トロフィーの横に、受賞記事の切り抜きが挟まっている。

見出しは短く、乾いている。


「公立学校、閉鎖へ」

「統合命令に抵抗」

「子どもたち、行き場なし」


原因ははっきりしていた。

黒人の子どもを受け入れるくらいなら、公立学校を閉める。

そういう選択が、この州では現実に起きた。


私は現場を見た。

教室は空だった。黒板には昨日の数式が残っていた。

机は並んだまま、子どもの声だけが消えていた。


私はその写真だけを記事に添えた。


でも私は、そこで“正解”を言えなかった。


統合が正しいのか。

抵抗が正しいのか。

州が正しいのか。

連邦が正しいのか。


分からなかった。


だから私は、見たことだけを書いた。

空っぽの教室。

泣く母親。

怒鳴る男たち。

そして、子どもの時間が削れていく速さ。


“正しい”は分からない。

でも、古いアメリカが終わる予感はした。


※※※※※※※※※※


背後で後輩たちが盛り上がっている。


「今年はニクソンだろ。戦争の英雄のアイゼンハワーの後継者だ!」

「いや、ケネディだ。時代が変わるって顔してる。」


アイゼンハワーの時代は分かりやすかった。

戦争の英雄。勝った男。勝った国。

“勝利”という言葉が、国の背骨になっていた。


でも今は違う。

次に来るのは戦場の英雄じゃない。

言葉の上手い男が来る。


人を束ねるのは言葉だ。

そう信じたい時代が来る。


この国は、銃の時代から、テレビの時代へ移る。

顔が良くて、背が高くて、声が良くて、未来の話ができる男へ。


後輩が振り向いた。


「先輩、結局どこ行くんですか? ワシントン?」


私は迷うふりをしない。


「ワシントンよ。」


「新聞社じゃなくて?」


「内緒。でも書くのは続けるわ。」


私は言った。


「でも、紙の上だけじゃ足りない。

誰が何を決めて、誰が黙って、誰が責任を背負うのか。

そこを見ないと、言葉だけになる。」


誰かが言う。


「怖くないんですか?」


「怖いわ。」


私は即答する。


「怖いけど、知らないままの方がもっと怖い。」


私は鞄を持って部室を出た。

廊下の先から歓声が聞こえる。

卒業式が始まる――


※※※※※※※※※※


芝生の上に人が溢れていた。

黒いガウンと角帽が波になる。

学帽が空へ飛ぶと、黒い四角が一瞬だけ鳥になる。

フラッシュが光り、笑い声が重なって、世界が少しだけ軽くなる。


母が私を見つけて、真っ先に抱きしめた。


「メアリー……! あのおてんばが、修士まで取るなんて。」


母の香水の匂いで、私は子供の頃の居間を思い出す。

私は笑って、でも泣かないように顎を引く。


少し遅れて父が来る。


義足の金属が芝生を叩く音が、はっきり聞こえた。

“コツコツ”という音は、拍手より正直だ。


父は私の前で立ち止まり、短く笑った。


「よくやった。」


それだけ言って、父は私のガウンの襟を直した。

不器用な手つき。


父は、私が子供の頃ほとんど家にいなかった。

私はその背中を、ずっと遠くから見ていた。

だから今、目の前にいるだけで、胸の奥が少し痛む。


父は海兵隊だった。

硫黄島で脚を失い、義足になって帰ってきた。


父は階級や勲章の話を家ではしない。

けれど、母がそっと言うことがある。

父は中佐で、前進指揮所で部下を動かし続けた、と。

私はその言葉を誇りにした。

誇りにするしか、子どもの私は父を理解できなかった。


父は母の隣に立つと急に“州の言葉”になる。

家の中では父でいられるのに、人前では伝統の代弁者になる。

たぶん父は、祖父の影から逃げられない。


祖父は南北戦争の英雄だった。

家には祖父の写真があり、家族はその話を誇りとして語った。

負けた側の勇敢な英雄譚は、勝った側の事実よりしつこく家に残る。


私は子どもだったから、そういうものだと思っていた。


国が割れた時代の英雄譚は、父の背骨になった。

背骨になったからこそ、曲げられない。

曲げられないからこそ、父の口は古い言葉を選ぶ。


父は周りを見回して言った。


「この国はおかしくなってる。」


父の声は卒業式の空気の中でもよく通る。

短い言葉は、反論を許さない。


「あと何年かすれば、黒人も公立学校に入るとかいう話も聞く。

……秩序ってものがある。

古きよきアメリカのために、社会に出ても尽くせ。」


母が咳払いする。

父は少しだけ視線を逸らし、最後に付け足した。


「それから、早く孫を見せろ。」


母が呆れて笑う。

私も笑って頷く。


父の言葉は建前だ。

そして私は知っている。

父は本当は分かっている。

変化はもう止まらないことを多分知ってるのだ。


その証拠を、私は見たことがある。


※※※※※※※※※※


ある夜、父を訪ねてきた男がいた。

黒人の帰還兵だった。


母は何も言わずに皿を増やし、私たちは同じテーブルで食事をした。

父はその男を“客”として扱わなかった。

戦友として扱った。


私はまだ子供で、空気が読めない年頃だった。


「……いいの? お父さん。

肌の色が違うのに同じテーブルで?」


悪意じゃない。法律の確認だった。

色のある人々と同じテーブルで食事をしたことがなかったので、好奇心もあったと思う。


父のフォークが止まった。


「メアリー。」


父は低い声で言った。


「生きて帰った英雄に、失礼なことを言うな。」


怒鳴らない。

だが、怒りははっきり分かった。

父の怒りは私を守る怒りじゃない。

“その男”を守る怒りだった。


黒人の男は笑って首を振った。


「大丈夫です、サー。」


父は答えた。


「大丈夫じゃない。

ここは俺の家だ。

あと、サーはいらない。」


その言い方が、私の胸に残った。


父はその夜、その男に言った。


「よく生きて帰ったな。おかあさん、英雄にワインを空けてくれ!」


その時だけ、父は本当に笑っていた。

私はその笑顔を見てしまった。


だから私は、父の建前だけを信じる子供には戻れない。

父の古い言葉だけを、祖父の呪いだと笑うこともできない。


父もまた、二つのアメリカの間で生きている。


※※※※※※※※※※


卒業式の芝生は明るい。

この国は、いつも明るいふりが上手い。


だから無関心が生まれる。

外で何が起きていても、自分の芝生だけが世界になる。


でも、世界はもう内側に戻れない。

父は硫黄島でそれを見た。

私もいつか、それを見るんだろう。


母が私の腕を引く。


「写真よ。ほら、あなたの顔、ちゃんと見せて。」


私はカメラの前に立ち、笑った。

その笑顔のまま、心の中で言う。


お父さん。

お母さん。


楽しい時代に産んでくれてありがとう。


私はきっと、この国の本当を見ることになる。

“正義”を語るのは美しい。

“現実”はいつも残酷かもしれない。

目を背けたくなることもある。


パパ、ママ、私は逃げない。


バージニアの空はどこまでも青い。

私はバージニアの空を愛してる。

そして、三人で見た今日の空を忘れない。


ワシントンの空は、どんな色をしているのだろう。

1930年代多くの州のアメリカでは女性選挙権が認められ、有色人種に選挙権が与えられるのは1965年以降(州によってちがいます)。

だった60年前の出来事なのに価値観全然違うので、メアリーにそれを手伝ってもらいます。

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